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『大学は人生の夏休み』はもう古い?

いま、絶賛夏休み中ですが、大学で教員免許の集中講義を受けています。

そこで、講義をしに来た他大学の先生が言われました。

「最近の大学のカリキュラムや仕組みはしっかりしてて、今の大学生は忙しいけれど、自分が大学生の時は結構ルーズなところがあった。

それで、”大学生期間は人生の夏休みだ”なんていう人たちもいるけど、あれは昔の緩い大学の風潮を生きた人の言葉だよ。

自分が大学生の時は、1つの授業あたり、ひと学期に15回くらい授業があるとしたら、どの授業も1回か2回は休講とかがあってそれが補修や埋め合わせもなく、そのまま流れていたりしたしね。」

また、先生はこのようなことも言われました。

日本人は特に謙遜して、自分の自慢話をしない傾向があるけど、自分の職業や自分が取り組んでいることのアピールポイントを言わずに、わざわざ下げて言うのはとてももったいないと思う。

農業を代々されている方に話を聞いたとき、
「農業はきついし大変だ。そんないいもんではない。子どもに継がせるのは可哀想だから、子どもに仕事の話はようせん。(あまりしない)」
と言われた。でも、その方も農業の魅力や楽しいこと、沢山のやりがいをいっぱい話してくれた。ぜひそれを、周りの人にも言ってくださいよ、遠慮なんてしなくていいですから。と伝えたよ。

私はこの先生の言葉を聞いて、

確かに、自分はそんなのんきに「いや~~人生の夏休みって感じが確かにするわぁ~~」と思ったことや、思い当たることはなかった。

でもそのフレーズは知っているから、謙遜の意味を込めて、「いやいや、大学生は人生の夏休みって言いますし、今は自分は大したことはしてないですよ…」と謙遜したことが何度かあった。

と思いました。


現役大学生の皆さん、皆さんはどう思いますか?

かつて大学生だった皆さん、皆さんはどうでしたか?


ただただ純粋に、皆さんはどうなのかなーと気になります。
そして、きっと、世代にかかわらずいろいろーーーな意見や思い出、経験談が出てくると思うんです。

きっとそれがふつうなんですよね。
でも私たちは、一般論や端的にあらわされてるように感じる短い言葉で、
”○○なんだ” ”これってこうだよね” ”この年代はこうでしょ”
と先入観を持ったり、本質を見ないままに評価したりして、とてももったいないことをしているかもしれない、と思いました。

自分で自分を認めてあげること、また 何かをひとくくりにして評価したりレッテルをはったりすることの危険性、それらについて考える機会でした。


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