見出し画像

【世界遺産×音楽】ベドルジハ・スメタナ


今回はチェコの「国民音楽(国民楽派)」の確立にも尽力した、ベドルジハ・スメタナ(以下スメタナ)について書きたいと思います☺️🇨🇿

5月12日はスメタナの命日です😌🌷
因みに、今年3月2日には生誕200周年を迎え、そして本日5月12日で没後140年になります。


今年はスメタナの音楽が沢山聴ける機会があるかも知れませんね😌✨

それでは、スメタナの生涯や世界遺産とのエピソードについてご紹介します🇨🇿🎶


ベドルジハ・スメタナ(1824-1884)


スメタナはチェコのリトミシュルという街で生まれました🇨🇿

3歳の頃には既に、父親からヴァイオリンやリズムの取り方などを教わり、その後はピアノも習いに行き、幼少期から作曲もしていました🎻
因みにスメタナの父親はビール醸造技師として有名な人物だったそうです🍺

学生時代のスメタナは、音楽に夢中で学業にはあまり身が入らず、転校を繰り返した末に落第してしまいました…
学生時代に出会った憧れの先輩がカレル大学(プラハの名門校)に入学したことで、スメタナは彼を追って15歳でプラハへ向かうことにしました。


そんな中、超有名になっていたピアニスト、フランツ・リストがプラハでリサイタルを開催することに🎹
なんと、スメタナの友人たちがお金を集めて高額チケットを1枚購入し、スメタナにプレゼントしてくれたのです!
※ただし、「リストの弾いた曲を覚えて、我々の前で弾いてほしい」という条件つきでした😂笑

人一倍音楽の才能があったスメタナは、その条件通りに見事リストの弾いた曲を全て覚え、友人たちに演奏し、リサイタルの感動を伝えたそうです🥲✨


その後、彼は激動の人生を送ります…


30代では、スウェーデンのヨーテボリという街に移住し、音楽活動を続け、活躍しました🇸🇪
しかし、愛娘を3人も相次いで亡くしており、スウェーデンからチェコに戻る途中で愛する妻も亡くしてしまいます。とても苦しい時期を過ごしました…

晩年は耳鳴りなどの体調不良に悩まされ、聴覚をほとんど失ってしまいます。そのような状況下でも、スメタナは

「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンならどうするだろうか?」

と、聴覚を失った上で名曲を生み出し続けていた巨匠、ベートーヴェンのことを考え、作曲を続けたそうです。

(もっと書きたいこともありますが、長くなりそうなのでこの辺までにします🙇‍♀️笑)

ベドルジハ・スメタナと世界遺産

『リトミシュル城』


彼の故郷、リトミシュルと言えば…
世界遺産検定の勉強をされている方はピンとくるかも知れません😆💡笑

チェコの「ボヘミア地方」東部に位置するリトミシュル。この地にある『リトミシュル城』は、世界遺産に登録されています。

リトミシュル城には劇場が併設されています🏰

なんと、この劇場はスメタナが作曲者としてデビューした、思い入れのある場所なのです☺️🎶


リトミシュル城
出典:Wikipedia


『プラハの歴史地区』

青年時代のスメタナは、音楽の才能を周囲に認められ、プラハで伯爵家の子どもたちの音楽教師をしたり、自身の音楽塾を開講して生計を立てていました🎼
貧しい生活をしていた時は周囲の人々が手を差し伸べてくれました。

フェルディナント1世の常任宮廷ピアニストとして、プラハ城で演奏していた時期もあります🎹

カレル橋とプラハ城


スメタナが40代の頃、プラハの国民劇場が建設され、定礎式ではスメタナの作曲したオペラが演奏されました。

プラハの国民劇場


しかし、スメタナを羨んで蹴落とそうとするライバルも居て、長年嫌がらせや妨害行為をされ、頭を悩ませていたことも…

それでも、スメタナ率いるオーケストラの団員やプラハの人々はスメタナの音楽を愛していました。この団員のヴィオラ奏者だったアントニン・ドヴォルザークも、その一人です。スメタナの音楽はドヴォルザークにも大きな影響を与えました✨

アントニン・ドヴォルザークはこちら



スメタナは1884年5月12日、60歳でこの世を去りました。何千人もの市民に見守られ、プラハの旧市街にあるティーン教会で葬儀が行われました。

プラハ旧市街にある「ティーン教会」


代表作


彼の代表作でもあり、有名な作品と言えば、連作交響詩『わが祖国』より、第2曲『ヴルタヴァ』だと思います😌🇨🇿

この曲は、スメタナが愛国心を表現した国民学派の代表的作品とされています。
※日本では「モルダウ」として知られていますね☺️


『わが祖国』は6つの交響詩からなり、それぞれチェコの自然や歴史、伝説などがテーマの題名がついています。「ヴィシェフラド」「ヴルタヴァ」「シャールカ」「ボヘミアの森と草原から」「ターボル」「ブラニーク」の6曲です。


特に第2曲「ヴルタヴァ」が有名で、川の流れを表現しています。
冒頭部分は雪解け水からなる「冷たい源流」がフルート、もう一つの「温かい源流」がクラリネットで表現されており、その音色が交わることでヴルタヴァの川となります。

※「ヴルタヴァ」とチェコの街についても、いずれ記事を書きたいです!


彼にとって、「愛国心が芽生えた瞬間」があったそうです。1848年にプラハで革命が勃発した際、市民がオーストリア軍と激しくぶつかり合って奮闘している光景を目の当たりにし、強い「愛国心」が生まれたそうです。


是非、彼の生涯に敬意をこめて、彼の「祖国愛」に想いをよせて「ヴルタヴァ」を聴いてみてくださいね♪


おまけの小話


スメタナは青年時代に、チェコ国内の街を回り、コンサートツアーのような活動をしていましたが、客入りが悪くて中断したり、資金面などでも思い悩む時期が続きました。

そんな中、彼は当時面識が無かったフランツ・リストを頼り、手紙と自作の楽譜を送りました。


リストは才能のある若手音楽家を支援する活動を行っており、スメタナも才能を認めてもらうことができ、支援を得て音楽教室を開講しました🥲✨

リストとはその後も音楽について何日も語り合ったり、ドイツのヴァイマールで再会したり、スメタナの人生にとって重要な人物だったのです☺️🎹

おまけのおまけ

実は、私はスメタナ先生にお会いして、ご挨拶したことがあるんです🥰笑 チェコのプラハにある、ヴルタヴァ沿いの遊歩道で会えますよ☺️🎶

スメタナ先生☺️


また、私はチェコ政府公認の「チェコ応援サポーター2024」にも就任しております🇨🇿

これからも、大好きな世界遺産や音楽、(もちろんチェコをはじめとする)様々な国のことを発信していきますので、どうぞ宜しくお願いします🥰🌏

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?