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小林エリコ 「この地獄を生きるのだ」 (本のご紹介)

小林エリコ 「この地獄を生きるのだ」 (イースト・プレス 2017年)

 去年5月に、東畑開人氏の「居るのはつらいよ」を読んでレビューしていました。

 その、精神科医療の“ブラックな”側面について触れた章で引用されていたのが本書でした。所属している大学の図書館にあったのです(てっきりタイトルを「この世の地獄を生きるのだ」と勘違いしていたので、最近まで見つけることができなかった)。

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 若い頃からメンタルを病んでいた筆者が、職場での過酷な労働(成人向けエロ雑誌の編集とのこと)で、自殺未遂を重ねることになり、精神科医療に繋がり生活保護を受けながら、渾身の力で這い上がり、再就職により自分らしい生活を取り戻す…という話なのだが、読み手が当事者なのか医療者・福祉従事者なのかで、読後感が全く異なる筈である。そして両者のギャップを問い続けることが大切なのだ。

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 精神科医療については、以下のようなエピソードが明かされる。

 通所先のクリニックに製薬会社のMRが出入りし、その会社のデポ剤(持効性の注射薬)がしきりに使われるようになる。患者様は、製薬会社の費用負担で豪華な食事が振る舞われたり、会社の旅費負担で講演旅行に出たりする、と。

 クリニックにも製薬会社にも利益がもたらされ、患者様もいい思いをするのだから、“三方良し”でいいではないか。そう考える医療者は、決して少なくないのではないか。しかし、医療にからめとられた患者様は、ほどなくクリニックや製薬会社にとっての“金のなる木”として、収奪の対象となる。経済的な側面だけではない。「別に無理して働かなくてもいいじゃない、生活保護で暮らし続ければいいんだよ」と、人生の可能性までも奪われていくことになるのだ。そのことに気づいた筆者は、働いて生活保護を抜けることを目論むようになる。

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 生活保護へのバッシングは、止むことがないばかりか、勢いを増しているようにも感じられる。支え手としての中間所得層(以上)にとっては、負担以外の何物でもないのだ(私も退職直後に、社会保険の切り替えや住民税の支払いなどで、数十万円一度に請求され、負担の重さに白目を剥いたばかり)。

しかし、生活保護受給者も実は収奪の対象だったのだ、となると、受給者を非難しさえすれば事が済むのではなくなる。困窮者支援の仕組みから、「異なる境遇の人が、それなりに共存し合えるための基盤とは何なのか」までを、改めて考え直す必要があるのだろう。福祉の専門家による発議を期待したいし、その片隅に席を連ねる私自身も、何らかのアクションが求められていることを、胸に刻みたい。

(おわり)

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