「好き」とは、引きつけられじっと見つめてしまうこと
「好き」とは、引きつけられじっと見つめてしまうこと
「サイコロジー・メンタルヘルス&日々のあれこれ」
突然ですが、私たちが言葉や文字を獲得するまえの、概念で汚染されていないナイーブな感情はどのようなものだったのか、興味があるのです。言葉や文字以前の世界に歴史上より近い、中世(以前)の古語や物語に様々なヒントが隠されているように思いますね。
山が好きな人は、山がそこにあれば登らない訳にはいかないもののようです(「なぜ山に登るのか、それはそこに山があるからだ」)。これは中世古語でいう「ゆかし(行きたい)」ですね。惹かれている時には、体ごとそっちに行ってしまう、ということです。
この手の言語表現が、中世古語にはたくさんあります。ハマっている、は「ときめく」(“めく”は「春めく」の“めく”で、今それが一番、という語感)で、驚くは「めざまし」(目が覚めるような)、惹かれるは「めでたし」(鑑賞していたい)…といった具合です。「ことば」と「ことば以前(ただ行動していた)」との素朴なつながりが感じられます。
言葉や文字以前の人々は、誰かをじっと見つめてしまい気がついたら引き寄せられていて(時には夢枕に立ったり立たれたりもし)、それに「ゆかし」や「めでたし」という言葉があてがわれて、ああ好きってこういうことなんだ!となったのではないかと妄想してしまいますね。
國分功一郎さんが再発見した、西洋古語の中動態ですが、日本の古語もずいぶんと中動態的だと感じられます。とにかく興味深い(ゆかし)です。
(おわり)