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ALPS処理水放出とリスクコミュニケーション

ALPS処理水放出とリスクコミュニケーション
「サイコロジー・メンタルヘルス&日々のあれこれ」

 明日にも、ALPS処理水の海洋放出が始まる、と報じられています。

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 私は大学の講義で、被災者・被害者支援について取り上げる機会が多く、大規模公共交通事故(「日航機123便墜落事故」「中華航空機墜落事故」「信楽高原鉄道列車正面衝突事故」「JR福知山線脱線転覆事故」など)について、しばしば触れます。

 航空や鉄道などの公共交通機関には高度な安全対策が講じられている一方で、エラーが重なりひとたび重大事故が発生すると、多数の犠牲者・被害者が生まれます。それでも私たちは、一定のリスクを許容した上で、公共交通機関を利用しているわけです。もちろん、事故のリスクを恐れて、公共交通機関を一切利用しない、という人もいるでしょうが、これは極めて少数派だと思われます。

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 科学や工学の世界では、ノーリスクはありえません。明らかにリスクは存在するのです。ヒューマンエラーやシステムエラー、素材の劣化など、さまざまなエラーが想定されますが、エラーが重ならない対策を講じることで、事故の可能性を極小化するのです。

 一方で、これだけ科学技術が発展した今日でも、充分に解明されていない事象が多いのも事実で、その中には私たちにとってリスクとなりうるものも含まれているでしょう。明かされていないリスク、とでもいうべきものでしょうか。

 今回はALPS処理水について触れていますが、(ALPSで処理しきれず処理水に残留する)トリチウムを一定量数十年にわたり摂取することが、人体に影響しないのか(するとしたら、どのように影響するのか)、理論的には概して安全である(ゆえに、各国の原発でも、通常稼働下でトリチウム排出は行われている)と科学的に結論づけられているとはいえ、実証されている訳ではありません(そのような実証研究は、研究倫理的に不可能)。ここに、明かされていないリスクが存在すること自体は、火を見るより明らかでしょう。

 明らかなリスクと明らかでないリスク。二つのリスクにどう向き合うのかが問われます。私としては、ALPS処理水の海洋放出には、(通常の安全対策がなされる前提で)顕在的なリスクは極めて少ないこと、潜在リスクは存在するが、過剰に危険視する必要はない(見えないものに対して、見えないことを理由に過度に怯えるのは合理的でない)、と考えています。もちろん、リスクへの向き合い方は人によってさまざまでよいと思います。ただ、繰り返しますが、新型コロナウイルス感染症対策でもALPS処理水放出でも、ノーリスクはありえないのです。リスクをどこまで許容できるかを一人ひとりが考える必要があります。

 社会における様々なリスクを分かりやすく提示し、受け手がそれぞれ考え行動するための営みを「リスクコミュニケーション」(リスコミ)といいますが、リスコミが圧倒的に足りていませんね。リスクについての考え方に慣れていない人々が、不安を募らせてしまうのも納得できます。総理大臣が「最後まで全ての責任を取る」などと言ったも、安心感につながる訳ではありません。

 ALPS処理水の海洋放出が、東北地方の(あるいは日本の)海産物や漁業に対して、風評による悪影響を及ぼすのではないか、と指摘されています。私は、これまでも近海魚を積極的に食べてきましたし、これからも食べますね。リスクは充分に許容範囲内だと考えます。

 遠洋での漁業が長期的に難しくなる傾向にあると同時に、日本は資源の“買い負け”をするようになっているとのこと。身近に捕れる近海魚を、もっと食べましょう!今日も雨の止み間に、魚勝・スーパーグレースに、お魚みに行ってきます。

(おわり)

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