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【シリーズ・摂食障害15】自由を求めて不自由に陥る逆説

【シリーズ・摂食障害15】自由を求めて不自由に陥る逆説
「サイコロジー・メンタルヘルス&日々のあれこれ」

※長く勤めていた精神科病院を退職し、“街の心理士”へと華麗なる転身?を果たした「りらの中のひと」が、心理学やメンタルヘルス、日々の出来事などについて感じることを綴っています。

 摂食障害の理解と対応についての連載記事の、15回目になります。過去記事は、マガジンからご覧いただけます。

 摂食障害というものは、意図してなるものではなく、純粋に生物学的な疾病なのだ、というお話を続けています。

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 前回の記事で、摂食障害の症状は、その症状に“囚われて”抜け出せないことを含め、飢餓状態における生理的な反応なのであって、生物学的な疾患なのだ、患者様が選んでやっていることではないのだ、ということをご説明しました。

 ところで、摂食に関わる生活行為は、単に生存のためのエネルギーや栄養素を摂取するにとどまらず、楽しみや生きがい、健康や美を追求する手段でもあり、その人らしさの一部となっています。いつ、どこで、誰と、何を、どれだけ食べるのか。その選択は、私たち一人ひとりが自由に行ってよい(むしろ自由であるべき)ものです。

 摂食障害の症状を、自らにとって価値のあるものであり、それを選択するのは自由意志である、とする立場を、当事者の方がとる場合があります。pro-anaやthinspirationなどという、その立場を表明する言葉が、ハッシュタグを付けられ、SNSで飛び交っています(その多くに、深刻に痩せた体のパーツの写真などが添付され、閲覧した人を煽るようになっている)。日本語で類語を探すと、「痩せ姫」「シンデレラ体重」などという言葉が見出せます。

 ダイエットを始める人は、摂食障害になりたくて取り組むわけではありません。SNSで、“摂食障害になりたい”とタグつけされたメッセージをしばしば見かけますが、それは摂食障害の実態を知らないまま、「痩せていたい」と願うという意味だと理解します。ところが、飢餓状態は私たちからコントロールを奪い、苦しめ(ミネソタ研究)、そこから抜け出せずに最悪の場合死に至らしめ(アクティビティモデル)ます。痩せることを望み、自由意思で始めたはずのダイエットが、いつの間にか、私たちから自由を奪っていきます。痩せなければという強迫観念に囚われ、食べることができる食品(“許可食”などという)が減っていき、通学や仕事、社交などの機会を奪っていく(会食場面が怖いなど)のです。

 自分自身への自信をやせることによって取り戻す、やせることによって落ち込みから自由になる、そのようなことを望む心理には共感します。ですが、摂食障害になってしまえば、その期待は確実に裏切られます。摂食障害は「選択choice」ではありません。けれども、ダイエットを控えること、やめることは、選択できるものなのです。自信は、それを高めることができる安全で効果的な方法で、根気よく身につけていきましょう。

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 摂食障害と「選択」について考える時、外してはいけないテーマが、逆境やトラウマと摂食障害との関係です。逆境やトラウマの苦痛から“生き残る”ために、摂食障害の症状に置き換え、それに頼らざるを得なかった(それを選ばざるを得なかった)というケースです。

 逆境やトラウマは、それをもたらす環境側の問題を理解する視点が必要です。「あなたは過酷なダイエットを選ぶのですか、それとも引き返しますか」と個人に問うだけでは片手落ちであることは、いうまでもありません。

 この連載が長く続けば(そうできるよう励みますが)、摂食障害と逆境・トラウマとの関係については、後々(数か月後)ご説明したいと思います。

(おわり)

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