【シリーズ・摂食障害13】摂食障害は、本人が選んだ結果ではない
【シリーズ・摂食障害11】摂食障害は、本人が選んだ結果ではない
「サイコロジー・メンタルヘルス&日々のあれこれ」
摂食障害の理解と対応についての連載記事の、13回目になります。過去記事は、マガジンからご覧いただけます。
AED(全米摂食障害アカデミー)による「摂食障害9つの真実」に沿って、摂食障害の概要をお話ししています。今回は、「9つの真実」の4項目め、「摂食障害は、個人が意図的に選択してなるものではなく、生物学的要因が関わる深刻な病気である。(Eating disorders are not choices, but serious biologically influenced illnesses.)」についてです。この項目を、少し不思議に思う方がいらっしゃるかもしれません。これは摂食障害の本質を反映した、とても大切な項目と思いますので、丁寧に解説したいと思います。
1.一般に、食事(にまつわる私たちの行動)は、私たちの自由(裁量)だが…
私たちにとって食事とは、完全に私たちの裁量と選択に委ねられた生活行為です。何を、いつ、どのくらいの量を食べるのか(どこで、誰と…など、社会的状況の選択を含めて)は、私たちが自由に決めていいものです。
その観点からすると、仮に摂食障害の患者様であったとしても、食事の量や内容は、本人の自由意思で決めるものなのであって、医療者が介入する必要はない(べきではない)、とする意見があるかもしれません。この意見が発展すると、「食べずに苦しい思いをするなら、自分で食べればいいではないか」「食べずに苦しいのは自業自得なのではないか」というコメントにつながります。実際に、SNSで摂食障害についてのコメントを流し読みすると、このようなコメントが散見されることに気づきます。患者様自身がそのように仰ることもあるのです。
2.摂食の欲求自体は、自分自身でコントロールできない
実際には、摂食障害の症状は、自分自身でコントロールできない場合がほとんどです。このことについて、これから詳しくお伝えするのですが、その前に確認しておきたいことがあります。それは、そもそも摂食をめぐる欲求自体は、自分自身の意思でコントロールできない、ということです。
私たちは、空腹になったら食べ、満腹になったら止めます。この欲求自体は、私たちの意思や選択とは無関係な反応です。「これから空腹にするぞ」と念じて空腹感を感じる人はいないでしょう?(美味しいものをたくさん食べたいがために、意図的に食事の間隔を延ばしたりすることはあるかもしれませんが、食事の時間をずらすことはできても、食欲そのものを念じて高められる人はいません)
3.過酷なダイエットは、ほとんどの人にとって「無理ゲー」である
摂食障害の発症のきっかけが「無理なダイエット」だった、という話を、よく聞きます(ダイエットだけを摂食障害の「原因」とみなすことに無理はあっても、ダイエットが発症の“きっかけ”(誘発要因)になる場合は多いのです)。ダイエット自体は、理由があって意図的に取り組むものだと思います。しかし食欲自体をコントロールできないわけですから、当然それを意思の力でねじ伏せることはできません。そもそも無理なダイエットは、多くの人々にとって文字通り「無理ゲー」(達成不能なクエスト)なのだといえます。そして幸いにも、ダイエットを諦めることが、結果的に摂食障害発症のリスクを遠ざけることになるのです。
4.摂食障害は、「無理ゲー」に、文字通り無理やり立ち向かう病気
この観点からは、摂食障害を、「無理ゲー」に、これまた文字通り無理やり立ち向かう病気なのだと説明することができそうです。
一人ひとりの抱える生きにくさ(やせなければ評価されない)、やせに過剰に価値づけし誘惑する価値観、キラキラした(しばしば“盛られた”)しかし生活には直接関わる筈のないSNSからの誘惑…。そこに、「無理ゲー」をやり切る粘り強さ(心理学的には「強迫」などといったりもする)などが加わることで、摂食障害の発症に一歩近づいてしまうのです。
ダイエットを失敗して諦めてしまうのも、もっとやせたい(やせなければならない)のに思うように体重を減らせないのも、食欲を我慢できず過食してしまい、後悔から嘔吐することを繰り返してしまうのも、意思の弱さや選択の失敗(もっと効果的な別のやり方があったのではないか)によるものではなく、そもそも「無理ゲー」だったのだ、と考え直す必要があります。
(つづく)
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