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贄の巫女【ショートショート】

かしこかしこもうす。
掛けまくも畏き高天原たかあまのはらに坐す天照大神あまてらすおおかみよ。
光よりいでて、かの地の穢れを祓い潔めたまえ」


霧に包まれた林の中。
頭の上で朧げながらそう唱える声が聞こえた。

凛とした声に空気が瞬時に澄んでいき、とたんに体が軽くなる。なんとか顔を上げてその相手を見ようとしたが、まだ思うように目がよく開かない。


「動かなくて良い」

涼やかな声とは裏腹にグッと力強く持ち上げられる。
まだ体中痺れて思うように声も出さないまま、ようやく目を開くとおぼろげに黒髪の女性の姿があった。

「だ、れ……」

「蠱毒をまともに受けたのだ、そう簡単に回復するものではない。うちへ運んでやるからじっとしていろ」

そういうと彼女は暗闇の中を飛ぶように走り林を抜ける。俺はその細い腕に身を預けるしかすべはなく、妙な心地良さの中で再び意識を失った。





目を覚ますと、障子で囲まれた一室で布団に寝かされてきた。

体の痛みはない。

ふと手を見ると…

それは、獣の足。

飛び起きて体中を確認すると、俺は犬か何かの姿になっているようだ。

「これは一体…」

その時障子がするりと開き、先ほどの女性が入ってきた。艶やかな長い黒髪、背筋をまっすぐ伸ばしたその立ち姿はどこか気品が溢れている。



「目が覚めたか、猫殿」





「ね、ねこ…!?」

「うむ、猫ではなかったかの?犬、にしてはややフォルムが…いやこれはどう見ても猫だ」


古風な喋り方をするその彼女は、俺の耳を唐突につまんできた。

「俺は人間だっ。帰り道で鈴のような音が聞こえたと思ったら、いつのまにかあの林に入り込んでいた。

光るものが見えたからつい近づいてみたら、壺から黒いものが出てきて、そしたら身動きが取れなくなって…」


「それはネコミミをかじるようなもの..」

「は?」

彼女は猫耳から手を離して続けた。

「いや、こちらの話だ。ふむ、どうやら蠱毒こどくの呪いを受けたようだな。猫になるという話はあまり聞いたことがないが…命が助かっただけでも幸いだ」


ー蠱毒?


「蠱毒というのは、陰陽道の呪いのひとつで、現代では禁呪だ。そしてとても強い。壺の中に毒蛇や毒蜘蛛を詰め込んで殺し合いをさせ、最後に生き残ったものが強烈な毒を有し、呪いの源となる。

その現場に居合わせたとは災難だったな。命を落としてもおかしくなかったくらいだ。もしやそなた、陰陽師の素質があるのやもしれんな」


「そんな….」


蠱毒とか陰陽とかなんて、別世界の話すぎて頭に入らない。それより、猫の格好では家に帰ることもままならない。明日からこの猫の姿で一体どう生きればいいのか….

「なに、心配はいらん。猫の一匹くらいいてもなんの面倒にもならん。ついでに仕事を手伝ってくれれば、元に戻る方法も見つかるやも」


「本当か!?」


俺はやや食い気味に声を荒げた。
そんなありがたい話はない。
元に戻れるのならどんなことでも…


「ああ、商談成立だな」


ニンマリとした彼女の顔に、俺はやや不安を覚えた。





彼女の名前は、依音いと

ここは平安時代から続いている由緒正しい春日神社の分家で、彼女は巫女の直系の血を引いているらしい。次の宮司となるべくして育てられたとのことで、話し方も先代の祖母の言葉が移ってしまったとか。


「猫殿、本当にカリカリじゃなくていいのか?」

「当たり前だっ!俺は人間だぞ!」

しかし体は猫なのだが….ブツブツ呟く依音いとを無視して、猫殿、いや結心ゆうしんは皿に綺麗に盛られた朝食を貪った。口で食べることに戸惑ったのも一瞬、空腹には勝てない。


「それで、俺は何をしたらいいんだ?」


「ふむ、そうだな…」


依音いとの話はこうだ。


依音いとの家は表向きは神社だが、裏では陰陽に関する依頼を代々引き受けている。陰陽師は何人かいるが、神力の最も強い巫女である依音いとが依頼を引き受けることが多い。


「藁人形は知ってるだろう?今回依頼人の栴檀せんだんで作られた代人形が見つかった。栴檀は儀式に使われる神聖なもの、それだけ強い呪いが掛けられている。その調査をしにあの林に向かったところ…」


「俺が倒れてた、というわけか」


結心は両手を組んで考え込む仕草をした。
しかし今は、猫が届かない前足を器用に交差させている、可愛らしい姿にしか見えない。依音はふっと笑いをこぼした。

「あの蠱毒の壺はまだ完成していなかった。完成した瞬間を打ち破らなければ、呪詛返しにはならないのだ。しかし、うかつに近寄ると取り込まれてしまう。それでだ、一度毒の耐性のついたお主なら取り憑かれることはないはず」


「俺に囮になれ、と?」

「まぁ、そうだな」

「でも俺は一般人だぜ?何をしていいのかもわからないし..」


「蠱毒の影響で猫になったのなら、呪詛返しが成功すれば元に戻れるはずだ。私でさえうかつに近寄ることはできないが、お前の力があればおそらくは..」


「そうか..元に戻る方法がそこにあるとしたら、やるしかないよなぁ…」


結心は寝転がって天井を見つめた。

いきなり猫になって、巫女の女子高生が現れて、陰陽師とか蠱毒とか。ついさっきまでコンビニでバイトしていた当たり前の日常が、ひどく遠く感じる。



このままなんてことない日々を通り過ぎていくんだと思っていた。


やりたいことも見つからないまま、人混みに呑み込まれていくなら、それはそれでいいと思っていた。やっきになって元に戻って、それから?それから、俺はどうしたらいいんだっけ…



「失礼いたします」

音もなく障子が開くと、着物姿の小柄な女の子が入ってきた。

「姫巫女さま、ご準備が整いました」

「そうか、ありがとう。では結心、行こうか」

「え、ちょ、行くってもう?」


狼狽えている結心を、着物を着た美少女がきっと睨みつける。

「姫巫女が行くと仰っているのだ。さっさと支度をしろ。そもそもお前を拾ったのは姫巫女の温情だ、恩返しして当然だろう。これだから猫というやつは…」

「こらハク、口を慎みなさい。これから猫殿には重要な役目を担ってもらうのだから、口出しは無用というもの」

依音いとがたしなめると、白は一礼して黙り込んだ。


「いやあの、だから、猫じゃないんだけど…」


「すまんな。この子は私の式神で、ハクという。今夜の儀式に同行するからそのつもりで」


もはや俺に拒否権はないらしい..

「重要な役目ってなんだよ?」

「それは追い追いわかる」

依音はすっと立ち上がって部屋を出ていく。白がその後ろに続いてその場をあとにした。





星明かりだけが照らす山道を歩いて、例の林に着いたのは午前1時を過ぎた頃。いわゆる丑三つ時が、最も呪いの力が強くなるらしい。

それまで迷うことなく歩いていた依音がふと足を止めると、口に人差し指を立て、音を出さないように合図をする。


ー目標の壺まで、20メートル。


依音いわく、ここより先には死臭のような吐き気のする臭いが酷くて近寄りがたいらしい。



俺は猫にも関わらず全く匂わないのだが…
これも猫の呪いのおかげなのだろうか。
猫耳がピクピクと動いた。

壺からは、黒い煙が湧き出てきているのが見える。
どうやら術が完成したらしい。


依音の合図で、俺は全速力で壺に向かって走る。

俺の役割は、あの壺に触って仕掛けた術師の念を捉えること。一度掛けられたものだから同類とみなされるはずだという。つまり今の俺は、最後まで生き残った毒虫と同じ扱いなのだ。


命の危険はないというが、怖いものは怖い。 
結心は額に汗を滲ませながら、恐る恐る壺に触った。

すると..

一気に全身を駆け巡る熱さに耐え切れず、その場に倒れた。

「うわぁぁぁ…!」


焼けるような喉の痛みに声も出せない。
熱い、熱い、痛い。
もうこんな体脱ぎ捨ててしまいたい…!

くっ…
あの巫女に騙されたのか…?

白虎びゃっこっ!!」

とたん何か白くて大きなものが飛んできて、俺の体を掴んで飛び退ける。

壺から離れると体が焼かれるような強い痛みは瞬時に消え、体中から汗が吹き出し滴り落ちた。

呼吸を整えて見上げると、青白く輝く毛並みをなびかせた猛々しい白い虎がそこにいた。

「ふん、やっぱり猫なんて軟弱だな。姫巫女のご指名じゃなかったら助けてなんかやらなかったんだが。感謝しろよ」

「お前、ハクか..?」

するとそこへ依音が駆け寄ってきた。

「結心、すまない」

というと、依音は結心の腕を探り、そこにある黒いあざに見つけるとそこに手を当てた。


かしこかしこもうす。
掛けまくも畏き高天原たかあまのはらに坐す天照大神あまてらすおおかみよ。
光よりいでて、かの者の穢れを我に移したまえ」



すると、腕から黒い渦が湧き上がって球体になったかと思うと、そのまま依音の体に吸収され呑み込まれていった。

その時、パリンと壺の割れる音がした。
途端辺りは跡形もなく静まり返った。


先程までの禍々しい空気はなくなり、爽やかな初夏の風が林の葉をこすり、心地良い音を立てていく。


「終わった、のか…?」

「とりあえず、は」

「…あの吸い込まれたものは、どうした?」

依音は首を横に張った。

「あいつはもう私の中にいる。私は『にえの巫女』なのだ。これまでにも沢山のじゅを呑み込んできたのだから、何も問題はない」


結心が何か言おうとする間もなく、白虎が二人を乗せてその場を立ち去る。風のように空を裂いて飛んでいくそのスピードに押されて、それ以上口を開くことはできなかった。



翌日、目を覚まして自分の手を見ると、そこには5本の指があった。

ー良かった。元に戻ったんだ…

体の痛みはすっかり消えている。

待ち構えていたかのように障子が開いて、依音いとと、続いてハクが部屋に入ってきた。

「戻ったか…」


といって結心と目が合った依音は、目を丸くした。

「お前…?」

「な、なんだよ!?まだ何か変なのか?」

結心が慌てて体中を確かめてみるが、何も変わったところはない。と、ふと頭を触ったときに何かモフモフとしたものに手が触れた。

「あれっ!?」

白がすかさず手鏡を差し出す。


するとそこには、頭に可愛らしい猫耳をつけた自分の姿があった。

「なっ…!?なんで??だって呪いはもう解けたはずだよな!?」

「そのはずだが…」

依音がおもむろに結心の猫耳に触り、引っ張ってみる。

「いてっ!!」

「姫巫女、引っ張って取っちゃいましょうか?」


白がめんどくさそうに言う。

「お前な…」

依音は口に手を当てて何か考えるような仕草をして、じっと結心を見つめた。

「ふむ、完全には解けていないということか。興味深いな。やはり陰陽の才能があるのやもしれん。修業をすればおそらくは..」


「これじゃ、家に帰れないじゃん…」


しょんぼりしている結心に、依音は小さな札を渡した。

「これを身につけておけば、とりあえず耳は普通の奴には見えん。だが陰陽の力がある奴や妖には勘付かれるから注意せよ。

どちらにしてもそのままというわけにもいかんし、仕事を手伝いながらここで修行していくというのはどうだろうか?」

仕事…
となると、またあののたうち回るほどの激痛を受けることになるのだろうか…

結心がげんなりした顔をしていると、

「いやいや、あんなのは滅多にない。手伝ってくれれば力が磨かれて、自力でその耳をコントロールできるようになるぞ」


依音は、結心の猫耳をポンと軽く叩いた。
すると、猫耳が跡形もなく消え、触ってもなんの感触もない。
これが陰陽師の力というものか…

「…私には今、共に闘うものがいなくてな。お主さえよかったら、その力を貸してくれぬだろうか」

依音は、凛としてるのにどこか寂しそうに見えた。



あの飲み込まれていったものは、今もその胸の中に居るのだろうか。


何もなかった平穏な日常。

それで良かった、はずなのに。

胡散臭い扉など、閉めてしまえばそれで終わりなのに。

「仕方ないな…」

「おい、姫巫女の有難い申し出にその態度はなんだ?選ばれたのだから、そこは宜しくお願いします、というところだろう」

咎める白を、依音が制する。

「いいんだ。結心、ありがとう。では明日から修行に入るからよろしくな」

依音は楽しげにニヤリと笑みを浮かべ、結心の肩を叩く。

しまった、こういうヤツだった…



一度家に帰るべく、神社の参道を駆け降りる。


猫耳のまま生きていくなんてゴメンだ。
俺は人間として普通の暮らしをしたい。
なのに、どこかでワクワクしてしまう自分がいる。

見上げれば真っ青な青空と、手の届きそうな入道雲。
昨日まで見えていなかった景色が、急に鮮やかに色づいていく。



ふと、朝なのに静まり返った神社に気づいた。


そういえば他の人は誰もいないのだろうか..?


リン…

何かの音が聴こえた気がしたが、
振り向いても誰もいない。


結心は、涼やかな竹林の間の階段をするりと猫のように駆け降りていった。




5188字



↓こちらの企画に参加しました。

【物語 募集期間】
2024年7月7日(日)~7月15日(月)

【形式】
小説(ショートショート)

【文字数】
800~5,000文字程度

【ジャンル】
SF または ファンタジー

【ルール1】
登場人物の一人に
「それはネコミミをかじるようなもの」
と1回以上言わせてください。

ルール2】
次の要素を物語のエッセンスとして1つ以上入れてください。複数入れても全部入れてもいいです。
※この単語を文中で使うのではなくてエッセンスです。
奇想天外
エモ
中二病
ぶっ飛んでいる
極限状態

ちよさんの募集記事より


詰め込み過ぎて
5000字程度に収めるのが精一杯でした。。


エッセンス、入ったかなぁ…?




これは企画外ですが、書いてるうちにどうしてもイラスト入れたくなって、まくらさんにキャラ画像をおねだりしました✨萌えるAI画像をありがとうございます(`・ω・´)ゞ

※AI画像を加工したもの、adobe stockの素材も含まれています。




よろしくニャーン🐱🐾



 #ネコミミ曲つけたい 
#ネコミミ村まつり



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