太陽とアイスティー【句から小説】
どこをどうやって歩いてきたのか、自分でもわからない。僕はいつのまにかその店の前に立っていた。
まだ昼だというのに薄暗く、人通りも少ない路地の奥。昔ながらの古い長屋が軒を連ねる並びに、場違いな洋風のドア。赤いカーテンでぴったりと窓を閉められているが、ドアにはオープンの札がかかっている。ドアの両脇にはほんのりと提灯が灯されていた。その前に、吸い寄せられるように立っていた。
どうしよう..
躊躇していると、ドアがすっと開いたので一瞬瞬ぎする。自動ドア?いや、そうではないらしい。中からひょろりとした年配の男性が出てきて、微笑んで話しかけてきた。
「いらっしゃいませ。中へどうぞ」
思いのほか明るい店内に、居心地の良い灯りとコーヒーの香り。どうやら喫茶店らしい。勧められるままに店に足を踏み入れると、まだ客は1人もいないようだ。カウンターしかない席に案内され、腰を下ろす。木の温もりあふれる香りがどこか落ち着いた気持ちにさせてくれる。
座って、ふと気づいた。
どこにもメニューがない。
辺りを見回しても、メニューらしきものは何一つ貼られていない。カウンターの奥には、たくさんのコーヒー豆や紅茶缶、白を基調にした気品あるカップやグラスが並んでいる。お店であることに間違いはないようだ。
躊躇する間もなく、おそらくマスターだろう彼は何の戸惑いもなく紅茶を淹れ出した。瓶には「ダージリン」の記載がある。抽出されていく液体が黄金色の柔らかい色合いであることから、一番美味しいファーストフラッシュに違いない。
茶葉を淹れた容器にお湯を注いで蓋をする。蒸らしている間に、別のグラスに氷を入れていく。カランカラン、と気持ちいい音が店内に響く。そういえばこの店、BGMがない。
スプーンで軽やかに混ぜた紅茶を、そっとグラスに注いでいく。まるで太陽の光をかき集めて注ぐかのように、氷の隙間にするすると滑り込んでいく。あまりに滑らかな一連の仕草で、僕は注文してないことも忘れて一言も発せず見入ってしまった。
どこか古めかしいコースターの上に、音もなくそっと置かれたアイスティー。ストローを差して、カラカラと音を立てる。お日様の光の中で、氷たちが踊るように溶けていく。その様子を見て、僕は思い出した。
ついさっき、6年つきあった小春に別れを告げられたことを。
なぜ忘れていたんだろう…
僕はストローを取ると、グラスを持って一気に飲み干した。ひどく喉が渇いていたことに今初めて気づく。喉が音を鳴らし、爽やかな香りと甘さが体の隅々まで流し込まれていく。アイスティーなのに、なぜか手足があったかくなる。なぜだろう。まるで本物の太陽の光が体の中に満ちてきたみたいだ。
「ご馳走様でした」
といってお代を出そうとすると、
「お代は結構です」
とマスターは僕が財布を出そうとするのを制して、ドアを開けてくれた。外はいつのまにか日差しが降り注いでかなり暑そうだ。
「もう、頂いてますので」
ドアを閉める瞬間、彼はそういうとニコリと笑って深くお辞儀をした。僕が何か言おうとする前に、ドアは音もなく閉まった。外にはいつのまにかクローズの札がかけられている。僕は所在なく店に背を向けて、眩しい光が降り注ぐ路地へ歩き出す。
心なしか、すっきりしていた。
あんなに憂鬱で落ち込んでいたことさえ、僕はアイスティーを飲むまで忘れていたのだ。そして飲み干した途端、なんだかどうでもよくなってしまった。
6年という月日、もはやそこに恋などなく、ダラダラと曖昧に誤魔化して過ごしていただけ。惰性は果たして愛と呼べるのか。結婚に踏み切ることのできない僕を、きっぱり振ってくれて良かったのかもしれない。
僕は駅へ抜ける大通りへ向かった。痛いほど降り注ぐ日差しに目を細めながら、通りの両端にいくつもの提灯が飾られているのが目に止まる。
3年ぶりに開催される灯火会には、きっと大勢の人が集まるだろう。いつもなら人混みを避けるところだけど、今年はあの無数の揺めきを見に行こうか。
そういえば、あのお店、名前がなかったな。
でもたしか、こう書いてあった。
ーあなたが一番飲みたいもの、あります。
お代は、あなたの恋心で。
🔻しろくまさんの句から作りました🐻❄️
昨日しろくまさんが、私の短歌から2次創作してくれたので、そのお礼に。短くするの難しい。
鶴亀杯が終わり、フルマラソンした気分で、
しばらく創作は良いや、って思ってた。
さくっとなので出来はさておき、なにか書いてみようと思ったのはしろくまさんのおかげです😊ありがとう💖
🔻鶴亀杯の句や歌から二次創作、こちらで一覧見れます❣️
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