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検察側の罪人を観て

正直、ストーリーがあっちにこっちに行き過ぎて何が一番伝えたい事なのかが分からなかった。

とりあえず見終わってからググったのは、「丹野議員葬儀」と「日本の裁判官がギャベルを使わない理由」。

丹野議員の葬儀は踊りやら泣き女やら異様過ぎて。説明もないし分からん。どうやら奥さんが新興宗教にハマっているからという話らしい。
確かに話の通じなそうな奥さん。一方的で抑圧的。
ストーリーにはあまり出てこなかったけれど丹野議員という人はきっとこの話の通じない悪と戦っていて、戦いの結論として自分が死ぬ事で社会に一石を投じるという方法をとったんだろう。。

そしてギャベルを使わない理由は日本では木槌を叩いて相手を黙らせるという方法を取る事が無いから。だそう。最上が1番最初に話していたことに通じるんだろう。相手の話しを捻じ曲げるような検察官は犯罪者に堕ちる。

そしてそのギャベルを集めている最上は、相手を支配してでも犯罪者を裁くべきという強すぎる正義を心の底では持っている人なのだろう。

そして犯罪者に堕ちた。

何が言いたい映画?
胸糞悪い犯罪者でも冤罪は間違っているという啓発?
胸糞悪い犯罪者相手に葛藤する検察官の悲哀?
正しさとは正義とは何かという問いかけ?


映画では最上の犯罪は明かされなかったけど、あんな雑な犯罪、きっとすぐに明かされる。最上は捕まることになるだろう。
丹野が命をかけて親友に託した社会問題も犯罪者からでは発信できず闇に消えるのだろう。それを憂慮して沖野に託したかったのかもしれないが断られたし。
沖野も検察という仕事を失い、自分の正義感だけで何が出来るの?立場がなければ最上を裁く事もできないよ?


結局は覆水盆に返らずという事なのか。

いっときの高振りで犯した犯罪も戻らない。
いっときの高振りでかざした正義の宝剣もその矛先はあってるの?
いっときの高振りで逃げ出したその場所はとどまる事は本当に出来なかったのか。


犯罪者であるはずの諏訪部が結果的にいちばん格好良く見えるのも謎。犯罪も極めれば一流!みたいな雰囲気だけど。うーん。私は平和主義者なのでこういう世界は映画やドラマの中だけであって欲しいと思うけど。どこまでが現実の世界と通ずるところがあるんだろう。


結論。キムタクとニノは格好良かったし、ストーリーは見易かったけど、得るものは無い映画でした。

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