小林秀雄との出会い - 『読書について』
小林秀雄を知ったきっかけは、今でも鮮明に記憶に残っている。
社会人になってから参加した飲み会で「大学で何を勉強していたか」という話題が出た。
「哲学を専攻していた」と答えたところ、当時初対面だった友人に「哲学か!小林秀雄とか好き?」と聞かれたのが、「コバヤシヒデオ」を知った1番最初だ。
同席していた元々の友人たちも全員「小林秀雄」の存在を知っていたので、哲学専攻だと答えたくせに名前すら初耳の状態だった自分をとても恥ずかしく思った、懐かしい思い出である。
飲み会帰りにAmazonで『学生との対話』や『考えるヒント』を購入し、急いで読んでみたけれど内容が難しすぎてなかなか理解が進まず、それでもめげずに著作を読み続け、はじめてするっと読めたのが『読書について』だった。
今考えてみると、小林秀雄は哲学者というより批評家・思想家という表現が正しい気がするが、このように偶然出会った小林秀雄によって、古典へ興味を持つようになり、自分の読書の世界は大きく広がった。
久しぶりに『読書について』を開いて目を通してみると、昔「これは!」と思って線を引いた部分に当時の自分の興味関心が透けて見えるのが面白い。
小説の読者は、小説から得る無邪気な夢想を、工夫によって次第に鍛錬し、豊富にし、これを思想と呼べるものにまで、育て上げねばならない。育つにつれて、大小説は、次第にその深い思想を読者に明かすであろう。
間に合わせの知識の助けを借りずに、他人を直に知ることこそ、じつは、本当に自分を知ることに他ならぬからである。人間は自分を知るのに他人という鏡をもっているだけだ。
読書を通じて著者に寄り添い、時間をかけてその人となりや思想を紐解く。その過程で徐々に自分の言葉と思想が形作られていく。
小林秀雄は「自分を知る」という言い方をしているけれど、ここでいう「自分を知る」は「自分の思想を形作っていくこと」を指していると思う。
さらりと読める本も娯楽として良いけれど、長い時間をかけて吟味できる本との出会いは自分の血肉になるので大切だ。
こういった本との出会いを増やしていきたい。
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