「丁寧さ」とは、「意識の網目」の細かさ
丁寧さって、ちょっとした違いを愛しむことだと思った。
三軒茶屋の「東京茶寮」という日本茶のお店がとても好きで、今日も足を運んでみた。
このお店の目玉メニューは、ハンドドリップで淹れる「お茶の飲み比べセット」。
10種類程度の茶葉の中から2種類選び、それぞれにつき1. 70度のお湯、2. 80度のお湯、3. 最後に玄米茶と3煎を味わう。(玄米茶は、1種類だけ)
茶葉やお湯の温度による香りや味わいの違いを存分に楽しめるような体験だ。
いつもは「緑茶」と一括りにしてしまっている「お茶」の違いをひとつひとつ確かめるように、意識しながらゆっくり飲んでいく時間はとてつもなくゆたかに感じる。
「丁寧な暮らし」というワードもよく聞くようになった。
忙しい毎日のなかでは、「暮らし」をきちんと意識しない場合が多い。
そういえば、今履いている靴を最後にお手入れしたのは、いつだろう?
家でいつも飲んでいるお茶は、なんのお茶だったか。
自分を取り巻く日常のひとつひとつに意識をむけて、こだわりのお茶を飲んだり、コーヒー豆を挽いてからハンドドリップをしてみたり。
過ごしている時間を、意識的に「丁寧に」過ごすことによって、ぎゅっとゆたかになる。
「丁寧である」ということは、日常をすくい上げる「意識の網目」が細かいこと。
すなわち、ものごとを読み取る時の解像度が高いのだ。
他の人が見過ごしてしまうこと、認識ができないことに対して、意識の光を当てることができること。
それは、もの同士の区別をひとつひとつ明確にしていく作業とも言える。
部屋の掃除の際に、窓のガラス部分とサッシ部分の間にほこりがたまらないように、それぞれを意識しながら拭く。
コーヒー豆とひとくくりにするのではなく、グアテマラのコーヒー豆とケニアのコーヒー豆の違いを認識した上で、今日の気分にあったコーヒーを楽しむ。
「丁寧」とは、違いを愛しむことだと言い換えることもできるかもしれない。
普通であればひとくくりにしてしまう事象に、それぞれの違いを明らかにし、ラベルを貼っていくことは難しい。
また、ラベルを貼るためには、それぞれの概念を言語化し、理解をする必要もある。
違いを見つけるだけの観察力と余裕があること。
「言葉」によって概念を理解しておくこと。
どちらも大切だけれど、日々好奇心を持って暮らしをゆたかにしていきたい。
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今回は、丁寧さに関連して、とてもプライベートなことを覚え書きとして記しておくことにする。
(特に他の人に読んでいただく想定で記載しないので、あくまで以下はおまけ)
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