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三流カメラマン戦記 -二輪業界編-

※今回書く記事は二輪業界全体の話をしているわけでなく、あくまで私が関わった限りなく狭い範囲での二輪業界について書いているので、全てがそうでないと初めに記載する。

二輪業界には独立してから4年ほど携わり、今は疎遠になっている。自ら身を引いたと言い換えてもいいかもしれない。
理由はもちろん私の力不足な部分が多いが、編集長が変わってしまったのが一番大きかった。

私が関わっていた二輪雑誌は、ツーリング企画が多くのページを占め、新車紹介などは少々。

ここでも底辺だったので、一軍、二軍カメラマンが断った仕事や、突発的に企画された仕事がこちらに舞い込んでくる。
そのため、「明日、秋田県に行ける?」と前日の夕方に依頼が来たりすることが何回もあり、その度に少しでも出番が増やせるなら、と快諾して取材に行ったりした。

ギャランティは17,000円/日。
これでも二輪業界の中ではいいらしい。
底辺でも一軍でもギャラは変わらず、表紙を撮れば少し上乗せされる。

私は元々バイク乗りだったので、二輪業界に関われることは幸運だったが、スクールフォト同様、段々と割に合わない仕事が続き、嫌気が差してきた。

取材内容にもよるが基本的に拘束時間が長く、それこそ早朝から夜まで撮影する場合も多かった。
撮影スケジュールもタイトで、絵になりそうな場所を求めてひたすら移動してはシャッターを切り、すぐに移動の繰り返し。

ツーリング取材であればツーリングシーン以外にも、高速道走行シーン、バイクにまたがるシーン、給油するシーン、飯を食べるシーン、などもおさえないといけないので、結構バタバタする。

午前中に街中の走行シーンを撮れば、午後は夜まで用品のブツ撮りがある。
ブツ撮りが終わると、他の編集部員にまた別のブツ撮りを頼まれる。

編集部としては、せっかく撮影依頼したのだから1日をフルに活用して、少しでも多くの素材(写真)を求めているんだろうな、と感じた。
それに私が口を出す立場にはないのだが、もう少しゆとりというか優しさが欲しかったのが正直なところだった。

当時は、それでも頑張って撮影していたのは若さゆえの純粋さが私を動かしていたのかな、と今は思うし、その感覚を忘れてしまったことにやるせなさを感じてもいる。

次回に続く





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