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一方的な優しさは優しさではない。
お疲れ様です!まーさんです。
今、「スタンフォード式人生を変える人間関係の授業」を読んでいる途中なのですが、その中の『影響力』についての文章が興味深かったです。
長続きする人間関係には影響力のバランスが重要であり、適度にバランスの土台となるのが、自己開示をし、それを相手が支え、信頼が生まれ、さらなる自己開示につながるという好循環である。相手について新たに知った情報が原動力となって、このサイクルが前に進んでいく。(p100)
今までの人間関係を振り返ってみて、自分が不快に感じたり、関係性が拗れたものを考えてみると、「ずっとお礼もなくレジュメを求めてくる友達」、「断っているのに自分の要求を執拗に通そうとする人」、「自分からは話しかけようとしない友達」など、大体の問題がどちらかが「自分が下手に出なければ、みんな友達が離れていってしまう」という恐れ(世の中では、自己肯定感の低さっていうのですかね?)と、「こいつは私(僕)よりも下だから大丈夫だろう」という軽蔑によって起こった影響力の違いによって起こったことに気づきました。これをずっと優しさだと思い込んでいました。
世の中見返りを求めない『無償の愛』が素晴らしいとされていますけど、そもそも、それって相手がなんの影響力も持っていないという前提があってこそですよね。でもそれって、たぶん『無償の愛を与えている私』を成り立たせてくれる他者によって成り立っているんで、たぶん少なからず影響力はあると思います。それに、罪悪感を抱かせてしまうという点で、支配の可能性を持っているのかと思ってしまいます。
優しさとか愛とかも影響力と関係があって、互いに持ってこそ成り立つんだって気づきました。
で、その丁度いい影響力にするためにはどうすればよいのか考えたんですけど、たぶんこれも「コミュニケーション」なんでしょうね。お金やものではなく、情報の等価交換。リスクを冒して一歩踏み込んで相手を知ろうとする。互いに自己開示をして情報交換をする。多分それが大事なのでしょう。
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