SDGsと大食い番組
1貧困をなくそう 2飢餓をゼロに 3すべての人に健康と福祉を
これらは(すでにクリアされているものとされ)日本には当てはまらないと思われていたものである。特に子どもの貧困は行政によって存在しないものとされてきた。研究者によってそれが明らかにされ、日本でもきちんとした食生活を送れない子どもたちがいることは多くの人が知ることとなった。なかには、学校の給食でしか食事がとれない子どももいる。食べることは生命の維持に直結するものであり、ネグレクトによって餓死した子どものケースがニュースになることもある。ユニセフのプロパガンダとして使用される一部のアフリカの飢餓に苦しむ子どもたちだけでなく、この日本でも生命を維持するための食にかかわるセイフティネットからこぼれ落ちてしまう子どもたちがいるのだ。
そのような状況において、多くのテレビ局がSDGs大きくうたいながら「大食い番組」を流している。自分たちがいかに愚かであるかを露呈しているものであるが、それがもし視聴率の支えによって継続されているのであれば、これが日本の民度かと思わざるをえない。
以前、kitsonというブランドのエコバッグが流行したことがある。もはや同様の笑い話でしかないが、ある女性がそのkitsonのエコバッグに自分の私物を入れ、買い物したものをプラスティックバッグに入れて歩いているところを見たことがある。
個人レベルで大食いをするのは自由である。しかし、それをエンターテイメントとして、さらにその人に多額のギャランティを支払い公共の電波に乗せることの問題になぜ気づけないのか。それともジャニーズ問題同様気づかないふりをしているのか。そもそも食事というものは、無理やり必要以上にとるものではない。寝だめと同様に食べだめはできない。人間は冬眠しないのだから。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」とはよくいったものである。
公共の電波に乗るということは誰もががそれを見ることができるということである。学校の給食でしか食事がとれない子どもは、この大食い番組を見ながら何を思うのだろうか。
この愚かさに気づくためにも、このような子どもたちの目の前で、そして一部のアフリカ諸国などの飢餓に苦しむ子どもたちの目の前で「大食い番組」をライブで放送してほしいと心から願う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?