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「書き出さなきゃ死んじゃう」と思って、書き殴ったよ、ここ最近の頭の中。

ここ3日、食い入るように社会学の本を読んでいて、といっても難しく書かれたものでなく面白く読めるものだけど、そうすると、体に取り込まれるばかりで文章でも書かないとおかしくなりそうだったから、今デニーズでタイピンクし始めた。
よかった、今日はPCも持ってきていて。

溜まっていく一方なことが我慢できなくなったんなら、自分1人で(日記でも書いて)抜けばいいやん、って私もそう思ったんだけど、どうも「人に聞いてもらう」設定でないと、発散したことにならなそうだった。
だから、何人に読まれるかわからないが(読まれたら嬉しいけど、別に0人でも構わない)、読まれる可能性があるnoteに書こうと思う。

最近は「保険をかける」ことを極力やめていこうと思った矢先であれなんだが、もう最近「書くこと」のすべてが ”編集に編集を重ねて、とにかく修正ばかりの世界” で、「綺麗で、極力間違いのない文章を書くこと」に参ってしまっているので、こちらはもう好き勝手書いて、雑で粗い雑木林みたいな文章であることを前提に読んで欲しい。

最近感じていること(別の言い方では、強烈に印象に残っていること)が、大きく3つある。

①この世界は、私が知らないだけで、「ドラマの中の世界」のように思ってしまっている話も、「ニュースになるほどの凄惨な事件だけど、私には関係ない」と明日には忘れてしまうことが多い話も、隣の席の仲間がその被害者であることが多分にあり得る
②「いつ博士課程終わるんだっけ?」「卒業後はどうするつもりなの?」
③私はいまだに所有の価値に縛られ、でもその価値から抜け出すことができつつある。しかし、他者の目を気にしなくなった一方で、自分の目が厳しくなった。

まず①から。直接の知り合いに、親族から性的虐待を受けた過去がある、と話す人がいた。これ以上の話も以下の話も聞いていない。ただ、そういう話を初めて聞いた。
そんなことを抱えている人が、自分の周りにいたのか、と本当にどうにも言い表すことのできない心になった。親が亡くなる人も、この年齢になると珍しくなくなってしまった。それだけでも、親との関係性もさまざまであっても、聞くと胸が締め付けられる。
その1人に、「死んだ親の顔が、どう頑張っても思い出せない」と言う人がいた。その理由は、本当に深く分厚く、重かった。私は、どうしても我慢できずに涙を出してしまった。本人にはわからない場所で泣いたけど。

もう二つ、とてつもなく胸が締め付けられる過去を話してくれた人がいたが、一つは個人が特定されてしまう懸念から控える。
もう一つは、どこかの誰か、重箱の隅を突いてくる人が怖いので、自己保身で書くことをやめておく。

最後の二つは、そもそも書けないのなら、書かないほうがよかったのかもしれない。たぶん、今日の午前中までの私なら、そもそも書くことをやめていたと思う。自分が非難していたバラエティ番組と同じことをしているからね。「年収、放送できへんねやったらカットせぇや!!!」って思っていたからね。って、今も思うねんけどね。
でも、今日の午後、あるきっかけがあって、このままやと私、何も言えなくなるわ、って思ってん。熱を持ったものを、突っ込まれるのを恐れて何も言わなく、言えなくなる。そんなこと続けていたらどんどん面白く無くなっていくわ、人生も、私の話も、って思った。だから、1から100まで”隙”を怖がるんじゃなくて、もうさ、ちょっとくらい傷つくこと前提にやっていこうって思って。ほんで、それに慣れていこうと。
慣れすぎて、何でもかんでもオープンに言い出すようになったら終わりやけどね。
やから、仲良い友達、家族、人生の先輩方各位、私がそんなふうにおかしくなっていったら(極端に振り切っていたら)どうかご指導ください。もう、間違ったことをしても叱ってくれる人がいなくなるレベルには、大人になりました。

②、これ、最近絶対聞かれるね。みんな、いやもはや私も、私が何年生やっているのかわからないときあるのよね。私は今、D2です。学部卒業して、大学院に進んで4年目が終わろうとしています。修士号を取ったあとそのまま博士課程に進学して、もう2年が終わろうとしています。怖い怖い。
先に言っておくと、博士課程最短修了年数は3年ですが、私は4年で修了を目指しています。言い訳は、文系だから^ ^です。嘘です、頑張ります。

卒業後は、一度就職して、週5働いて土日休みの社会人をすることもありかな?と考えています。今のところね。
②と大抵セットで聞かれるのが、「教授になるの?」です。が、聞いてくる人たちは皆んな、別に何の気無しに「教授」って言っていてその職業を厳密にはとらえていないと思うので(そして、教授がどんなふうに働いているかもそんなに近くで見ていない or 記憶がもうない)、いちいち厳密に回答しようとする私が融通が効かないのかもしれませんが、そんな簡単になれないし、なろうと思えないよ、が大雑把な答えになります。

・・・ダラダラ書いてしまった。うざいくらいに。
でも、本来私は、人と喋る時、これくらいべらべらと、とりあえず自分の外に吐き出したいのよ。ただ、自分がそういう話し方をする人に、「話長いなあ」と思ったり、「退屈やなあ」と思ったり、「話下手くそやな」と思ったりするので、頑張って、気持ち8割カット、実際2割カットでおしゃべりしています(のつもりです)。
いつも話を聞いてくれる友達や先生、家族(圧倒的にお母さん)ほんまにありがとう。おかげで、今日も元気です。

で、ようやく結論から言うと、「教授になりたい」とかは今のところないです。でも、この7文字にはいろんな意味があって。でもさ、皆んな興味ないやろ?笑 そこまで深い答え求めてないやん。やから結局、「うーん、まだわからん」とか、美容師さんみたいな「もうしばらく会わへんわ」みたいな人には、面倒臭いので「教授になれたらいいですけどねー^_−☆」って答えています。だいたいそれで場は、次の話題にいくもんね。
でも、語れる人とは、もっと聞いてくれる人には、ブワアって話したいことたくさんあります。

教授には、簡単にはなれないし、私は自分が人に「教える」ことはできないと思っているし(これは今後ちゃんと研究で地に足ついて、博士号取ったら考えが変わるかもしれないけれども)、ゼミという形で学生を引っ張っていったりとか育てたりとか、私は不得手やな…と思っているので、今のところ教授になりたい、とは思っていないです。
でも、これは”保険ではない”(と断言して書く)けど、人の気持ちは変わるので(笑)特に私は、変わりやすいので。
今後、目指すこともあるかもしれません。

じゃあ何をやりたいかって言うと、最近は正直もう、自由に、自分を自分で律して、自分で頑張ることが結構お腹いっぱいで(大変贅沢な悩みであると同時に、そんなこと言っている場合ではないのですが)、決められた時間に決められたことをやる、みたいにどこか(会社)や誰か(上司)に寄りかかりたい、という気持ちがあります。
社会を舐めているかもしれませんが、一度経験して、自分がどっちの生き方が向いているのか、ちゃんと納得して確信して、30代以降(?)を進んでいきたいなと思っています。

③は、並列が間違えているかもしれない。そう思うということは、煮詰めが甘いのだろう。でも、今日のnoteは正確であることが正義ではないので、このまま書き進める。
数年前の井庭先生(私が8年師事しているゼミの教授)の授業で、ゲストスピーカーで登壇された熊坂名誉教授がお勧めしていた、岡崎京子(敬称略)の『pink』を再読するきっかけがあった。そして、つい先日幸運にもKindle版が出た『リバース・エッジ』も読んだ。
そこで、「所有する」ことの価値の変化、これまでと今と、これからで、「豊かさ」を感じる矛先(ちょっと言葉がずれている気がします)の変化を感じた。世の中の、もそうだし、当然私の中の、でもある。

もともとネームバリューのある大学や企業に受かることが幸せ、それこそが人生の目標、周りから期待されていることだと感じていた(というか信じていた)22歳くらいまでから、研究活動を経て少しずつその思い込みが違うらしいと思えて(感じられて)きて、「自分が自分の今に納得して、幸せ(ワクワク)を感じているかどうか」が、昔「優秀者」になることで到達する!!と信じて疑わなかった状態だとわかってきたのが今だが、その変化がつまりどういうことだったのか。
過去の自分からの変化を「感じる」だけで、どういうものだったか「捉える」ことはできていなかった自分自身の変化を理解することができ(正確には、熊坂先生がこの2冊について過去に社会学的解釈をしたときのデータ(全164ページ!!)をくださり、それを食い入るように読んで、見事に納得させられ惹きつけられたのだ)、そこでスッキリして、どこかに持ち続けていたモヤモヤがなくなった。
自分自身の何となくの変化や、抱いていた違和感が説明されると、こうも霧が晴れるもんなのかとびっくりした。
というのもあって、今は『夢と生きる バンドマンの社会学』(2023)を読んでいるわけです。こちらもとっても面白い。
余談なんですけど、バンドマン社会学(勝手に略称ごめんなさい)の方で、「夢追い」というワードが頻繁に出てきて、その度に相席スタートの山添さん→ギャンブル→絆、がよぎるという弊害があります。集中して読めよ、って話なんやけどね。

私は、『pink』のユミコになりたいし、『リバースエッジ』のハルナになりたいんだと思う。まあ、大抵の読者はみんなそうか。でも今は、ユミコのようなフリをしていて(他者からそう見えているか・他者を欺けているか(笑)はわからないけれど)、でもママハハのようなところが本音のところでは結構まだあって、少しずつユミコに近づいていけるように足掻いている感覚。
いつになると、ユミコのように、ハルナのように、今の私から見た表現でいえば”振り切って””清々しく”生きていけるのだろう。
まあでもたぶんね、そろそろだと思うんだよね。あと、1〜2年くらいじゃないかな〜っておもう。
こういうnoteも公開してみようって、やってみるようになったし。

もう23時だ。本を読むつもりできたのに、気づいたら1時間くらい書いている・・?

今、人生のインタビューを100人目指してやらせてもらっていて、そこでインタビューさせてもらった方々の話が、本当に全て、私1人が聞くのではとてももったいなすぎるので、許可を得られた方からnoteや、別途何らかの形で記事やホームページにして公開していこうと考えています。

その前に、ドバーーっと書きたいことを書き出して公開する、ということをしてしまったけど、「ちゃんとした文章を書かなきゃ」のモードに入る前に、こういうことが必要でした。

あ〜〜スッキリした。ありがとうございました。誰に向けてなのか、何に向けてか、なんもわかんないけど、楽しかった。すっきりした。では、また更新したときに!!

atogaki:
ヘッダー、何もないのもなんか微妙だなーと思って、写真探していたんだけど、空の写真にすると変に素敵感出てきて「ちがうちがう、そうじゃない〜」って感じやし、かと言って・・・?と思ったら、もういいや色々高いけど食べちゃえって20時ごろ食べたデニーズのあまおうパフェの写真がぴったりだった。
食べるべくして、食べたんだわ。縦写真だったからね、全部は綺麗に入らないんだけど、それが逆にぴったりだった。写真映えして綺麗なのはトップのいちごの部分なんだけど、勿論。でも、今日のnoteはパフェのちょうどこの部分の、どろどろしてて、何とかクリームが染み込んだケーキがずっしり重くて、胃にくる感じだと思う、まさに。
だからここにしたんだ〜っていう話。




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