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文章のリハビリ

最近noteを更新しようと思ってもなかなか出来ない。
書いてる最中に文の乱れが気になってくるからだ。
ここが違う、ここが変、とやっていくうちにめちゃくちゃになって、面倒くさくなってやめてしまう。

文章がちゃんとした論理になっているかを気にするのは特に最悪だ。
吸って吐いてを無意識に出来ているのは何故か想像するのと同じことで、一度考え出すと文の呼吸が乱れる。
手癖で書いた方がいいこともある。

今や巷に溢れかえっている文体を真似するのも手ではあるけど、かなり抵抗を感じる。
例えば、今書いた文章を、

「今や巷に溢れかえっている文体。それを真似するのも手ではある。しかしそれらを真似することにはかなり抵抗を感じる。」

という風に、体言止めを使ったりして、ちょっとインパクトのある文章を狙ったりすることは、あまり得意ではない。
それを使ってしまったら、凡百のつまらない創作をする人の仲間入りしそうな気がする。

少し棘のある書き方をしたので釈明したい。
凡百のつまらない創作をする人とは、具体的にはXで短編漫画を上げている人間のことを指している。
彼らの漫画は決まって「私は━━だ。」とか、「○○。それが俺の仕事だ。」みたいな独白から始まる。
なるほど読者を初手で惹きつけようというお手本のような書き出しではあるんだろうけど、やる人が多すぎて却って陳腐になっている。
私はこの手の独白漫画がタイムラインに並ぶと、即座にブロックする。
接種しすぎてアレルギーになってしまったのだ。

閑話休題。
一つ文を書くコツとして効果ありそうだなと思ったのは、話すように書く、ということだ。
文を有機物のように捉えて、とにかく話すように書く。
というか話したことを書いた方がいいのかもしれない。
ドストエフスキーはかの超弩級大名作『罪と罰』を口述筆記で著したというのだから、ない話ではないはずだ。

もし私の記事が途中から読みやすくなったと感じたなら、私が話すように書くのを意識した効果があったということになる。
だれか読めばいいが。

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