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ポイ活は現代の乞食?ポイ活と程よい距離を保つようになった出来事。

少しでもお金が欲しいと思ってポイ活をしている人も多いと思う。モッピーハピタス、クラシルリワードなどポイ活をするサイトも非常に成長しており、世の中はポイ活全盛期だと思う。

でも1円のためにタップしたり、0.5円のために動画を流したり、自分も少しでもお金が欲しいからとポイ活をしていたのです。今でもやってますが、正直活動をセーブしています。なぜなら、ポイ活は一つ一つの作業はとても軽く簡単にこなせる内容でも、たくさんの作業をするとそれはもはや仕事だと思ったからです。

2024年の2月くらいにどっと鬱っぽくなってしまった時期がありました。それは「世の中お金だ。お金お金お金!」と思ってポイ活に励んでた時期です。

ポイ活をすれば100円、200円のお金はすぐに貯まります。しかし、貯まり続けることはない。同じ案件を何度もできればいいのですが大体1つの案件は一回で終わります。

複数のポイ活に励んでいたある日人気づいたことがあります。

1980年代の時です。家の前にどこの誰かもわからない浮浪者が立っていて、なんだろうと思っていると母親がお米が入った電子ジャーからおにぎりをふたつ握って渡していました。

「なんで知らない人におにぎりをわたすの?」と子どもながらに母親に聞いたら「世の中にはそういう人もいるの。だから来た時にはおにぎりひとつじゃあれだから、ふたつくらいあげるのよ」といわれ何が何だかわからなかったのですが、今言えば「乞食」をする人が存在して昔でいう「乞食」という人が家の前に立っていたら施してあげるという文化があったように思います。

今では生活保護があるから乞食をする人はほとんどいません。ポイ活をして思うことですが、世の中の表面上は「乞食」という人はいなくなりました。いなくなってはいないかもしれないけど少なくなっていると思います。

しかし、ネット上に1円を巡って少しの労働をするというこの行為は「現代版の乞食」なのではないか?

お米を求めて乞食をする人はもういない。でもお金を求めてスマホの中で行われている行為は「乞食」そのものではないでしょうか?もちろん奉仕をするという意味での乞食対策と、ポイ活をするという意味での労働という意味ではちがいますが、「富」を求めて起こす行動ということにおいては似たようなものなのかなと思いました。

ポイ活をしすぎて鬱っぽくなってしまった自分はほとんどのポイ活をやめました。なんでもそうですけどほどほどにしないと心も体も疲れちゃいますよね。資本主義という名の奴隷となった一般の民にとってはお金を求めて動くというのは自然な行為ですが、自分自身を壊してまでお金を求める必要はありません。

ゆっくりと風を感じて太陽を浴びて、景色を楽しむ。

そんな人生の楽しみも味わえないのであれば程よい距離を置いた方がいいのだと思い知りました。

今でもポイ活はしております。Tiktok liteやモッピーなどです。でも程よい距離を保ってやっています。心も体も健康で人生を楽しんだ方がいい。そう思って今日も生きています。

ではでは~。


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