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生きる意味ってなんなん?と娘に聞かれた気がして。

 儚い夢が消えていく。初めから何もなかったかのように水面は静かだ。いつ夢が覚めるのかを待ちながら、夢を見る機会を待ち望んで波間を見ている。新1000円札の裏側では葛飾北斎の波がいつでもうなっている。興味を持って物事を見ているとどんなことでも魅力は表裏一体なのだと知ることになる。

 生きるってどういうことなの?12歳の娘が聞いてきた。78歳のばあちゃんは「あんたも難しいこと聞くねぇ」といってかわしていたけれど自分だったらどうこたえるだろうか?生きる意味とはどのようなものか?

 40歳になる今ではふたつの答えが導き出された。「生かされていること」と「生きる意味は自由に創出できる」の2点である。

 よくよく宗教では生かされているということをいう。一神教であれば神様が作ってくれた命を自分が生きているという意。多神教なら生命を維持する神の動力によるもの。身体を見れば心臓は意識して動いているわけではない。何か自分の意思とは関係の中ところからメッセージのように鼓動を打つ。自分の意思とはかけ離れたところから伝わる「生かされている」というメッセージ。それでも「生かされているんだよ」だけでは答えとして弱い。生かされているのならなぜ生かされているのか?

 人類が己の死に向かい熟考して6000年。辿り着いた答えは「生きる意味は自由に創出できる」ということである。どのような人でもどんな世界観で生きるのかということを選択できる。来世ではどうなるのか前世ではどうだったか。一番自分の納得いく形を見つけてその世界観の中に生きる。人は一人で生きるのではなくその世界観を宿り木に何があっても戻ってこれるように芯を通す。

その芯がなくなってしまったのが現代である。

 芯とは古代ギリシャでは自然の摂理だったし、中世では永年神様だった。科学が発達して神様の存在が明かされて科学が宿り木になった。科学は物語を持たないことから、命は大いなる存在との乖離を果たし、個人主義の近代へ移る。近代ではどう生きたらいいのか、生きる意味を見つける人が多く存在する。自分よりも大きな存在とのつながりを求めて宗教との分離を果たしたスピリチュアルとつながる人もいるし、心躍る物語にその存在を見出し、生きる意味を見出す人も多くなったのが2024年近年である。

 名もなき命は存在意義を求めてどれもこれも違うと排除して言った理由の中で見つけたのは自由だ。

 人は物語を生み出す。その物語の中で命を生きる。その物語は神様から予言を受けた者だけの特権ではなくなった。自分が生きるということは、どのような意味があるのか、今、自分自身で物語を作り出し、自分自身が生きる意味を創出することができる。

 娘には「あなたが生まれたこの命にどんな意味を付けるのかは自分自身で決めていい」という言葉をまずはじめとして、「今すぐに出せる答えじゃない、いろいろな物事を見て、体験して経験して、知識を身に着け、自分ってどんな人間か少し分かってきたとき、自分の生きる意味を見つけてみてもいいんじゃないかな」と付け加えたい。

 生きる意味を見出すには12歳では知識と体験が足りない。世界を知ることが必要である。海外に行くとかそういうことも含まれるが、本質的には自分が生きている世界の範囲を知り、その世界の範囲の中での意味を見出すということである。

 12歳の娘がそんな質問をしたものだから、今日を生きる時間が愛おしくなって子どもと触れ合いコミュニケーションをとる時に目を細める時間も持てるようになった。

子どもと触れ合って会話して、たわいもなく紙飛行機を飛ばして折り紙を折ったり、絵をかいたり、本を読んだり、旅行したり、運動会に行ったり、授業参観に行ったり、入学式に行ったり、部活の送迎したり、忘れた水筒を届けるために学校に行ったり、キモイと言われたり、おいしいと外食しておいしいもの食べたり、まだUFOキャッチャーしたいと泣いているところをできません!と怒ってみたり、トランプしたり、笑ってみたり。

瞬間瞬間が愛おしい。

そんな思いをもって毎日生きています。

ではでは~。

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