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元気の秘訣?みんな元気なんだよ?なぜなら、

皆さんお元気ですか?noteからあなたの心に話しかけています。僕はあまり元気ではありません。もう元気という状態がどんな状態だったのか、身体のどの部分が痛みなく稼働していたのか忘れてしまいました。痛みなくといいましたが、痛みではなく虚無なくという方が正しいでしょうか。僕の身体はけだるくあらゆるところに虚無、emptyが潜んでいます。体そのものというよりも習慣づけられた心癖がいつの間にか宿命づけられるように子どもの頃の気持ちを忘れて虚無が心に住まうようになりました。

皆さんにとって元気とはどのような状態ですか?歩ける、走れる。激しい運動ができる。スポーツで他人と争うことができる。もしくはご飯を口に運んで咀嚼することが元気な状態だと思いますか?35歳を過ぎたあたりから握力が朝起きたときに弱っているのが分かりました。寿命のバロメーターと呼ばれる握力は年を重ねるとペットボトルの蓋も開けられないくらい弱っていきます。

元気という言葉は元の気といいますね。表面上の健康状態や心の状態すらもじつは関係ないのかもしれません。元というのは体も感情も乗り越えたもっと奥の方にある魂の生き生きとした部分なると考えます。魂というとどこか胡散臭く感じてしまいますが、いま私たちが生きている子の身体は10年後には細胞がすべて入れ替わってほとんど自分自身ともいえない物質で構成されます。汗をかくと身体の老廃物を放出するように細胞も新しい細胞ができれば体の外にでて入れ替わっていくのです。

10年後の自分は全く違う自分なのに自分であることは変わらないですよね。

すなわち、すべての体の細胞が入れ替わっても、記憶や感情が通り過ぎて行っても自分だと思える存在。それが元であり、魂です。アートマンという言い方もするかと思いますが表現方法が適切ではないかもしれないことは大目に見てください。

魂の気というものを持っているか?という略語を「元気か?」という言葉に表しているのだと思います。日本人は絶好調!という答えをする風習はないのでまぁまぁと言っておくのが礼儀かと身についてしまっていますが、魂の気はいつも絶好調であるといえます。

人間である限り、いえ、この世の生きとし生けるものは生物である限り元気であると考えます。「すべての生物は今よりもよくなるために現在を行動している。行動する先が自殺に向かっているとしても今よりも良い状態になるために向かっているのである」というのはダライラマさんの宗教を超えてという著作で拝見しました。根源的に魂とは今より良い状態を目指す性質を持つことからどんな状態であれ、それが自分の生命維持に関わることですら、良い方向へ向かっていると信じて進むわけです。

その解釈からは魂がネガティブであろうはずがありません。すべての生きとし生けるものは自分が良いと思った方向へ進んでいっているというのは全人類間違いなくそうなのです。

自分自身の虚無にしてもそうです。虚無でいることで魂を保っているのだとしたら、現実には目をそむけたくなるような理不尽や認められない歯がゆさというものを感じているからこそ虚無であることでこの身を心を保とうとしている結果だとも言えます。

元気であるということは必ずしも社会的に成功する状態をいうわけではありません。人々は生まれながらに元気であるという素質をもって生きているのです。

散り散りになった雲が流れる先を僕らは知らないように今日抱いた感情がどこに行くのかを私たちは知りません。しかし、現状よりも良くしようという魂は常に元気で命の鼓動がやむまでお祭りの太鼓の音のように胸をノックし続けます。

元気だよ。

まだ、元気だよ。

休んでもいいから、元気だよ。

あなたの胸も僅かに心強いノックが聞こえてきませんか?

それに気づけただけでも僕は今日、いい日だったなってそんな風に思うんです。

ではでは~。


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