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戦争を考える 053 甘えの防衛?

随分前に、「甘えの構造」という本が、ベストセラーになったが、世界第三位の経済大国である日本が、自ら積極的に国防しようとせずに、米国に依存しているのは、甘えの防衛以外の何物でもない。日本の常識、世界の非常識と云われて久しいが、この島国根性と平和ボケは、もはや、病膏肓に入るとしか表現のしようがない。何とも、嘆息が出てしまう今日この頃である。

日米同盟は最重要であり、絶対に維持すべきであるが、自らが自らを防衛する体制を構築せずして、米軍の来援を待つというのは、甘えを取り越して、愚かだなと、諸外国から思われても仕方がないだろう。特に、沖縄県知事は、地方自治の枠を超えて、国の安全保障の邪魔をしている。民意、民意というが、あくまでも地方自治の範囲内で許されることであって、国防は政府の専権事項なのだ。もちろん、批判とか要望をダメだと言っているのではない。それこそ批判、要望が度を越すと、予想もつかない危険な事態を招来する可能性があると言いたいだけだ。また地方紙も含めて、全国紙でも国防に関して、いささか無定見な論評が散見されるが、まさに国益を損ない続けているのではないのか?それでも日本人なのですか、と尋ねたいが、もしそう聞くと、私は地球市民とか、平和を愛する一市民とか、非核都市宣言市民とか、一世界主義者ですとか、答えるかもしれない?ので、誠に如何ともしがたい現状ではなかろうか?もしや、幻想の中で生きているのだろうか?

明治維新の推進力になったのが、国防への危機意識であったのは、歴史的事実である。当時の志士たちは、旧式の武器、船舶しかない日本が、欧米列強の近代的兵器で取り囲まれて、脅されたら、たちどころに、清国のような植民地にされてしまうという猛烈な危機感を持ったからこそなのだ。黒船は、現代で云えば、核兵器とか大陸間弾道弾に匹敵するであろう。まさに安全保障上の脅威が、国論を倒幕へと向かわせたのだ。まさに、歴史は繰り返す、である。現代の兵器、武器は、日々研究開発され、進化し続けており、しかも尖閣諸島が、明らかに中国共産党軍に狙われているというのに、ぐずぐずしていていい訳がない。一刻も早く、甘えの防衛から訣別し、侵攻に対して、万全の体制を作るべきである。外交、国防は票にならない、と言ってる情勢ではない。参議院選挙に向けて、論点を隠したり、抜本的な議論を先送りすることこそが、甘えの惰性と言うべきではなかろうか。



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