【読書ノート】ドゥルーズ「ベルクソンにおける差異の概念」——ベルクソンとヘーゲル
ドゥルーズ「ベルクソンにおける差異の概念」(『ドゥルーズ・コレクション』、宇野邦一監修、河出書房、2015年。)
ドゥルーズはこの論文において、ベルクソンとヘーゲルの対決を試みようとしているように思われる。
(ベルクソン自身は著作の中でヘーゲルについて直接言及することはあまりない。dialectique を言語による解決としてよく批判するが、ヘーゲルというよりプラトン、アリストテレス批判である。『思考と動き』「序論Ⅱ」で物自体に何か名前を与えてわかったつもりになってるやつらみたいな感じで何人か名指しで批判するが、その中にヘーゲルも含まれる)
持続 自己に対して差異化する。
物質 自己に対して差異化せず、反復する。
p. 207
差異に関するベルクソン的な方法や理論と、プラトンやヘーゲルの弁証法との対立の指摘。
弁証法 矛盾、他性、否定(外的差異)
ベルクソン 内的差異(性質)
弁証法の三つの観念は、内的差異を外側からとらえたものに過ぎない。
(こうしたベルクソン的な方法と弁証法との違いは、こうした理論を基礎とする歴史についての哲学の違いにも表れているだろう。)
p. 211-3
『二源泉』における生物学的分化と歴史的分化
生物学的分化においては、その原理が生命自身の中にあるとしても、物質に結び付けられており、分離がある。
対して、歴史的分化においては、諸傾向が進展するのは同じ個人、同じ社会の中である。
「差異が意識的になり、自己意識にまで高められるのは、人間によって、ただ人間によってのみだということなのだ」「差異の意識は歴史的なものになる」
持続というのはそれ自体で意識だが、それは権利上。
「歴史は、意識が物質を貫通して、出現してくる唯一の地点であるに過ぎない」歴史は事実上のもの。
→意識は権利上のもので、歴史が事実上のもの。事実上というのは、持続が物質による制限を受けていることを指す。
p. 214-6
ベルクソンvsヘーゲル
ベルクソン 事物は自己に対して直接に差異化する。
ヘーゲル 事物は自己以外のものに対して差異化するから、自己に対して差異化する。差異は矛盾に至る。
ヘーゲルの矛盾の弁証法は抽象的な差異の考えに留まっている。(とベルクソンは考えるだろうと、ドゥルーズは考えている)
「二項の対立は、それら二つともを含んだ潜在性の実現に他ならない。このことは、差異は否定よりも、矛盾よりも深いということを意味する。」
→正と反が合に至るのは、発展というよりも分化であるということか。
進歩と進化の違いであるような気がする。実現の過程であるか、創造的な展開であるか?
『二源泉』での歴史であるとか進歩であるとかをもう一度考え直さなくてはならない。
ヘーゲル分からん。
持続と物質、差異と反復が、ただの二項対立ではなく、差異が反復でもあり、反復が差異でもあるというところに、この論文の面白さがあるのだろうが、理解がまだ追いつかない。
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