メッシが遺したもの。
「今日もメッシは出る」
それが恵まれていたことを全身で体感している。
ラポルタの公式会見を経てなお、紺と臙脂の色ではもう観られない事実を「今すぐ受け入れろ」というのは無理な話だった。
お別れを言う準備すらできないまま、情報と事実だけが無情にも揃っていく。
奇跡を観ている時間が長すぎた。
ジョアン・ガンペール杯でユベントスを蹂躙し、クラシコでハットトリックを決め、ヘタフェに5人抜きをかましてなお19歳。未完の大器。
長期離脱するまでのメッシは、単独突破において無双状態だった。
「ドリブルが尋常でなく上手い選手」から、「空気を変える10番」になったのは、本当の意味でいつだったろうか。
はっきりと定かな記憶は、山のようにある常人離れしたプレーの記憶に埋もれている。
千切り、逆を突き、転倒させる。ドリブラーとして憧れるプレーはすべてやってのけ、一瞬の隙を致命傷に変える。
シュートコースは無限。ボールを持てば守備の目線を釘付けにして仲間が走る。安易に阻止すれば高精度のフリーキックが突き刺さる。
エンジンであり決戦兵器であり最後の希望。
人種も年齢も性別も超え、徒手空拳で世界を魅了してきた。
こんな選手は今後二度と、絶対に現れない。そう思ったのがいつだったのか。存在が当たり前になったのはいつからだったのか。
リアルタイムで追えていることが、毎試合本当に幸福だと思えたのは一体いつだったのか。
遅すぎる感謝を後悔する。
まだまだ、もっと、ずっと。
永遠にバルセロナのメッシを観ていたいワガママが止まらない。
死力を尽くし、仲間を信頼しあっていれば不可能はないのだと、自らのプレーで逆境を跳ね返すたびに教えてもらった。
あなたが吼え、叫び、笑うたびに心が躍った。
もういないのだ。その事実と正面から向き合わなければならない。
「メッシがいれば」と幻影のように思い出すことになるだろう。ベンチや客席を探しても姿は無い。交代で出てくることもない。
メッシ2世を待ち望む気持ちも逸るだろうが、その10番を誰が着けていたか、知らない選手は絶対いない。これ以上のプレッシャーは無い。
穴は埋まらない。存在自体が奇跡の、唯一絶対にして最強、最高の選手。
それでも。何もかもが受け入れられなくても、気持ちの整理だけはつけなければならない。
コロナ禍でシャビやイニエスタのように盛大な送り出し方ができないのであれば、せめて渾身のありがとうをここに集約する。
本当に、今まで本当にありがとう。
17年間、そのほとんどを中核として過ごした近年のバルセロナそのもの。あらゆる形で追い詰められ、その度に結果を残してきた。
ネイマールが去った後、本当の意味でうまくいっているのかと心配な時期が続いた。どこで辞めてもおかしくなかった。
去年の事件がピークだったろう。あなたには権利があった。自分の意思で、言葉でそれを行使して、バルセロナを去ることができた。
本調子で戦える精神状態ではなかったはずなのに、ピッチに立てばおくびにも出さず、憎んでも許されるクラブにすべてを捧げてきた。
計り知れない功績の果てに意思を尊重されるはずだった場所で、最後の最後に生き方を決められなかった男が、ピッチで誰よりも脅威になっている。
誰が非難できようか。発露する怒りが、喜びが、悲しみが、クレの感情を体現しているというのに。
この時代に生まれ、彼のプレーを間近で観ることすらも叶った。こんなにも長い間、奇跡が目の前で生まれる瞬間を生きる活力にできた。
本当に最高だった。
引き留めたい、残ってほしい、まだ観たい、色んなワガママを言って、それが効くなら喚き散らしたい。
やるべきことはそうではない。もう充分尽くしてくれた。メッシを信じることがバルセロナを信じることだったとすれば、去し後もメッシを信じることが務めではないか。
「いつかバルセロナでプレーするんだ。
あそこは世界一のクラブでしょ。」
あの日13歳のメッシが口にした言葉を、彼が信じた未来と本質を嘘にしてはならない。
外から血を入れながらも、ラ・マシアより脈々と受け継がれてきた伝統の果てにメッシは生まれた。
繋いだ火種が炎へ変わる瞬間を信じることが、今できる何よりの恩返しだと思う。
メッシに憧れ、バルセロナに来た次世代。彼が見せてきた姿が何を紡いできたのか、これから先知ることになる。
世界最高の選手が残した恐るべき子供たちが、バルセロナを再び頂点へ押し上げる。
その未来を信じ続ける。
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