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日本人にとってのアニメは宗教であった件

日本では宗教という響きは身近ではない。しかしこれは世界レベルで見ると、非常に稀なことであって宗教を持っている人が大多数なのである。

ここで日本人にとってのアニメのあり方と宗教の関係性を解く前に、宗教とは何かを定義しておく。

辞書的な説明によると、 

神仏などを信じて安らぎを得ようとする心のはたらき。また、神仏の教え。

とある。これを踏まえてなぜ僕がタイトルの様に日本人にとってのアニメが宗教なのかを語る。

宗教の本質

宗教の意味とは、得体のしれない何かを信じることによって現実世界・今を生きる際の糧とすること、または同じ信仰を持つ人たちを一つのコミュニティする機能・そのコミュニティの紐付けを強める機能であると考える。

これは歴史的に宗教がどの様な役割を果たしていたかを考えることでわかる。

死後の世界が存在すると信じることで、現世界の行いが死後の世界の質に影響すると分かれば今の行動を良いものにしたいと考える様になったり。今我慢しなければいけないことも、信仰に影響するのであれば我慢できる様になったりする。

コミュニティ機能も信仰することが同じであれば、争いが起きないのでコミュニティが起きるということだ。そもそも争いの原因は信じるものの違いだったりすることが多いからだ。

日本人にとってのアニメ

信仰としてのアニメ

まず個人単位での話からすると、僕はONE PIECEが好きでルフィの生き方に非常に影響を受けている。ルフィの冒険心などを参考にして現世界を生きている。多くの影響を受けていることは間違いない。

そして周りの人を見ていると同じ様なことはそれぞれあると思う。主人公の生き方を参考にして人生の決定をしたりだとか、漫画の名言などを心のノートにメモっている人もたくさんいるのではないだろうか。

「存在しない世界の話を信じて、現実世界の生き方に応用させる」

この様に抽象化すると、宗教と同じ性質を持っていることがわかるのではないだろうか。

コミュニティ機能

同じアニメを好きになるということでそもそも共通の趣味趣向があるということはあるかも知れないが、結果としてアニメにコミュニティ機能があることは間違い無いであろう。

共通のアニメを好きということは、それだけでなぜか仲間意識が生まれることがある。この仲間意識というのがコミュニティ機能の根幹となるのだと思う。

実際、海外ではアニメ好きというだけで広いコミュニティが形成されている事例も多くある。

まとめ

この様に、日本人にとってのアニメというのはいわゆる宗教に近い性質を持ち始めているのでは無いかと感じた。

人は何か信じるものがないといけないが、日本人にとってはそれがアニメになっていくのではないか。よりそうなっていくと面白いと個人的には思う。

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