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勝者と敗者を見続けてきた人 ウィンブルドン#4

今大会を最後に引退するこの人、子供の頃からウィンブルドンと言えばこの人、そりゃもう引退してもおかしくない。あと女子の決勝も振り返ります。

ウィンブルドンが特別な理由

決勝を戦うジョコビッチが大会前のインタビューで「ウィンブルドンはGS(4大大会)の中でも特別だ」と述べ、いくつか理由を挙げていました。その中でこれまで私も気づいていなかったことがありました。ヒントは下の写真です👇

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他の大会会場と比べて何か違いに気づきますか?・・・もったいつけずに言いましょう。

広告がほとんどありません。

他の会場ならスポンサーのロゴがコートと客席を隔てる壁にでかでかと並びますし、記者会見場の選手が座るテーブルの背後にもスポンサーのロゴが並びます。それもここウィンブルドンにはありません。どうやってそのようなことが実現しているのかはわかりませんが、それがウィンブルドンの伝統なのです。その他、よく知られている「特別」はドレスコードですね。服も靴もカバンもヘアバンドもリストバンドも全て白と決まっています。いやカバンやラケバは大丈夫みたいです(笑)。

そもそもウィンブルドンって、何?

さてこの全英オープン、通称ウィンブルドンの基本の「き」をおさらいすると・・・「ウィンブルドン」とはこの大会会場が位置する「地名」です。「ウィンブルドン」という駅もあります(が、会場への最寄駅は一つ隣だそうです)。そしてこの会場の正式名称は All England Lawn Tennis & Croquet Club (略して AELTC)といい、できたのはなんと1868年です。ん?1868→い・や・む・やと言えば明治維新じゃないですか?

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そしてこの伝統あるAELTCのプレジデント(会長?)を50年以上に渡り勤めてきたのが、表彰式でお馴染みのケント公です。この大会の表彰式ではスポンサー企業の役員が出てくるわけではなくこのケント公(冒頭の写真右)が選手にトロフィーを手渡します。そのケント公が今大会を最後にプレジデントの職を引退するとのことでした。ケント公は公式動画で何やら詩のようなものを震える声で朗読しています。

ケント公お別れの詩?

《今こうして美しく飾られたコートで さあ振り返ってみよう 一心に打ち込んだ十数年を 幾千ものミスショットも その全てがこの場に相応しい。世界で最も有名なこのコートで 勝者は進み出て喝采を浴びる ある者は一生に一度の ある者にとってはむしろ毎年のお祝いのように。歴史を作った者がいた 記録を破った者もいた 前評判を敢然と覆す者もいれば 神の領域に達する者もいた その時を辛抱強く待った者もいれば 客席を沸かせ続ける者もいた。あの1977年があった そして77年という月日も。そうだ、あの時のヤナの心の底から溢れた涙を誰が忘れるだろうか。トロフィーには年を経て違う名が刻まれるだろう しかしたとえ百年を越えてもこの表彰式は変わらない。子供時代の夢が実現する場所なのだ 永遠に不滅のチャンピオンという》

ざっとこんな詩でした。その動画をここに上手く貼ることができなくて残念です。しかし詩を訳すのはとんでもなく難しいですね(汗)。その詩の内容に合わせた映像がまた泣けます。歴代の優勝者が時には白黒で登場し、準優勝者としてあのヤナ・ノボトナの映像も。ちなみに「1977年」とはヴァージニア・ウェイドがイギリス人女子選手として初めて優勝した年で、「77年の月日」とはアンディ・マリーが2013年にイギリス人男子選手として77年ぶりに優勝したことを言っています。多分イギリスのテニスファンなら誰もが知っている数字なのでしょう。ケント公、長い間お疲れ様でした。

決して順風でなかった女王

現在女子においては最も安定して実力を発揮しているのがこの選手だと思っていたので正直全く驚きはなかったのです。だって第1シードが優勝したのですから。

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アシュリー・バーティ、25歳のオーストラリア人です。これで生涯タイトルが12個、そのうちGS(4大大会)が2個ということになります。ちなみに大坂さんは生涯タイトル7個で、そのうちGSタイトルが4個です。これは異例のことです。いかに大坂さんがいわゆる「ビッグマッチプレイヤー」かということがわかります。

バーティーは15歳でウィンブルドンのジュニアチャンピオンとなりその十年後の今年また優勝したのです。順調な競技人生かと思いきや違って、実は2014年から2016年の約2年間テニスを離れています。いくつかの事情から精神的にテニスを続けられない状態になったそうで、その間誘われてオーストラリアのクリケットリーグでプレイしていたそうです。びっくりです。

また彼女は全仏のタイトルを持っていますので、これで全く正反対のサーフェスのタイトルを一つづつ獲った珍しい選手にもなりました。(サーフェスについては前回の「ウィンブルドン#3」に書きました)。また今年は、アボリジニの血を引くイヴォンヌ・グーラゴンがオーストラリア人として初めてウィンブルドンを制して以来50年の節目にもあたります。そのことをバーティは特に喜んでいるようです。

私は泣いた事がない♬

この人は「長年トップクラスにいながらまだGSのタイトルがない選手」の筆頭と言えるでしょう。一昨年だったか東レパンパシフィックで大坂さんを破って優勝したので覚えている人もいるかもしれません。

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チェコの29歳、カロリーナ・プリシュコヴァ186cmです。ちなみにバーティは166cmです。彼女の印象は「冷徹な人」です。あまり表情を変えない人ですが怒るとえらいおっかないんです。ある時などは審判の判定に不服で、試合終了後にラケットで審判台を「バキッ!」とどついた事がありました(恐)。なんか破片飛んでましたよ・・・

そんな彼女ですが、表彰式のインタビューで不覚にも涙を見せます。「こういう場面で今まで絶対に泣かなかったのに・・・」ですって。泣けばいいじゃん!なんならケント公夫人の肩を借りて(笑)。(←今大会はもう出席されていません)プリシュコヴァにとっては初めてのウィンブルドン決勝。この活躍の裏には昨年後半に契約したコーチのサッシャ・バインの手腕が大きいのかもしれません。覚えている人もいるでしょう。バインといえば大坂さんを二度のGS優勝に導いた「優勝請負人」です。しかし今回は届きませんでした。バイン曰く、彼女は冷たいイメージがあるかもしれないが、コートの外では冗談をよく言う気さくな女性だよ。だそうです。

誰と組んでも勝てるマジシャン

女子ダブルスは嬉しいことにこの二人が優勝しました。

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台湾のシェイ・スーウェイとベルギーのエリーゼ・メルテンスです。私はスーウェイが好きなんですがそのことは以前にも書きました。

彼女はシングルスでも「マジシャン」と言われる実力者なのですが今回はいきなり1回戦でイガ・シュヴィオンテクと当たってしまい敗退しました。しかしダブルスではなんと違う三人のパートナーと3回目の優勝ということになりました。そんな彼女も35歳。いつまでその変幻自在のテニスが見られるのでしょうか。

生まれも育ちもアメリカの日本人

優勝したスーウェイペアに準決勝で敗れたのが、青山修子・柴原瑛菜です。

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ちょうど10歳差のペアで、左のアオシューこと青山さんはおなじみのベテランです。一方のエナシブこと柴原さんは生まれも育ちもカリフォルニアで、UCLA(カリフォルニア大学ロサンジェルス校)で活躍したカレッジプレーヤーでした。UCLAのスポーツチームはみなBRUINS(ブルーインズ)というようですが、そのブルーインズのテニスチームを率いている監督がビリー・マーチンという人です。

Billy Martin。覚えている人はいるでしょうか?「ウィンブルドン#0」で「もったいない人」を何人か紹介しましたが、その一人です。プロとしては1970年代後半に活動した人ですが、「ジュニアプレイヤー・オブ・ザ・センチュリー」に選ばれ(イヤーじゃなくセンチュリーです!)、またUCLA時代には史上最高のカレッジプレイヤーと言われたものの、プロではそれに見合う活躍はできなかった人です。しかしコーチとしてブルーインズをNCAA(日本のインカレみたいなものです)のチャンピオンに導きました。つまり、選手とコーチ、両方でNCAAチャンピオンに輝いた唯一の人なのだそうです。これを知った時はなんだかとても嬉しくなりました。マーチンは「もったいない人」で終わっていなかったのです。

ここまで読んでいただきありがとうございました。以下参考です👇





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