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おじいちゃんは、月のきれいな夜に死んだ

祖父が死んだ日、空には大きな月が出ていた。

母さんから電話を受けた私は、上司に「祖父が亡くなったので、三日ほど休みをもらいたい」と伝えた。「仕事のことは気にしなくていい」と上司は言った。「無理はしないで、今日はもう帰りなさい」

帰りの電車の中で、翌日の朝の飛行機を調べ、予約する。呆然と冷静が似ていることを、そのとき初めて知った。

祖父が死ぬということは、もう随分前からわかっていた。癌が見つかったのは7年も前で、直前の半年は意識もほとんどない寝たきりの状態だった。持って数ヶ月だろう、と医者は言った。

帰省して見舞いに行ったひと月ほど前、呼びかけに応えない身体に触れて、「これが最後だろう」と思った。背中は少しだけ暖かかった。

だから、覚悟する時間なら十分にあったのだ。

祖父は、たくましい男だった。身長は180センチ近くあって、猪を追って山を駆けまわっていたために、筋肉のついた身体は引き締まっていた。かつて、映画俳優に憧れて日活に写真を送ったところ、「東京へ来ないか」と連絡をもらったこともあったのだという。

だけど祖父が東京へ出ることはなく、彼はその人生のほとんどを、四国の山奥の村で過ごした。

口数の多い人ではなかった。酒はほとんど飲まず、甘いものが好きだった。私が土産に浅草で芋きんつばを買って帰ると、一本をぺろりと平らげた。

運転が得意で、昔は荷を積んで、しばしば大阪まで運んでいたという。トラックで丸二日かかる距離だけど、そんなことはわけないと笑った。それが自慢だった。

旅行は嫌いだったけれど、「富士山には、いつかもう一度行ってもいい」とよく話してくれた。

辛抱強く、闘病中も一度も弱音を吐かなかった。あんなに好きだった甘いものを食べられなくなっても。

電車に揺られながら、いろいろなことが頭をめぐる。とりとめもない、思い出ばかりだった。

最寄駅について電車を降りると、同じように駅を出た人たちがそれぞれの家に帰っていく。いつもと何も変わらない風景。冬の冷たい風が頬を撫でる。

だけど、祖父はもう、この地球のどこにもいないのだ。

胸が塞いで、苦しかった。気付けばぽろぽろと涙が出た。過ぎていく人たちに知られないように上を向くと、大きな月が出ていた。

こんなにきれいな月が出る夜にも、人は死ぬんだ。そう思うと、なんだか虚しさと敬虔な気持ちが入り混じって、また泣けた。

一周忌に帰省した夜、私は母と一緒に車で祖父母の家へと向かっていた。すでに姉と父は向こうに着いていて、親戚達の宴会が始まっているという。

「大きい月」

車の窓から夜空を見上げて、私は独り言のようにつぶやいた。ちょうど赤信号で、運転していた母が車をとめる。窓をのぞくと、彼女の目にもその満月がうつったらしい。

「そういえば、おじいちゃんが死んだ夜、月がすごくきれいやった」
思い出したように母は言った。
「あんな大きな月を見たの、よう忘れんわ」

私はそれには応えずに、黙って夜空を見上げていた。口を開いたら、涙が溢れてしまいそうだったから。

ああ、同じようにあの月を見ていたんだ。

そう考えて、この気持ちをずっと忘れないようにしよう、と思った。

憶えている。この世のどこにいなくなってしまっても、大好きな祖父の思い出と一緒に。それは、とても悲しくて愛おしくて、幸福なことだと思った。

信号が青に変わって、車が走り出す。一つ向こうの角を曲がれば、もうすぐ祖父母の家が見える。
街灯の少ない田舎で、月はいっそう明るくかがやいていた。

ただいま、おじいちゃん。

車の後ろに積んだ荷物には、祖父が好きだった、芋きんつばが入っている。


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