言葉が伝わるってこと
「自分の言葉が相手に伝わった」ってわかった時、とても嬉しくなる。
そんな気持ちになったことって、あなたはありますか?
今回はそんな気持ちについて考えを整理してみようと思います。
「言葉が伝わる」ということ
私はいわゆる「ファン」という立場でいることが人生の時間の中で多く、「好きな相手」に言葉を伝えようとすると、必然的に手紙で伝えることが多かったのです。
相手はたくさんの手紙を読んでいるだろうし、「読んだよ」って直接返事が返ってくるわけでもなかったので、完全に思い込みの範疇なのですが。
それでも何となく、今まで言葉を贈ったひとには、きちんと言葉が伝わったような気がしていました。
同じ言葉を使ってくれた気がしたり
ほんのすこし、自分という存在がいることを分かってくれた気がしたり
そんな”勘違い”を繰り返しては、勝手に自分の「言葉のお届け力」に自信を持ったりしていたのです。笑
でもそれって、本当に「伝わった」ってこと?
でもある時、それって本当に「言葉が伝わった」ってことなのかな?って思う時があって。
昔から文章を書くことが好きで、小説のような言い回しや表現を使うことも大好きで。
だからそういう、すこし癖のある?文章が目を引いただけで、ただ単に「なんとなくいい感じの言葉遣い」だから、マネしようって思われてるのかな、とか
特段心に残ったとかでなくて、ただ使ったらなんとなく文章書ける人風になるかもって思われたりしただけのかなって
そんな風に考えてしまって、その時私は自分のことを、"国語の先生"になってしまった、と言い表していました。
モヤモヤの理由。
それはきっと、自分の想いを乗せた言葉がきちんと伝わったわけではないのかもという寂しさの可能性を拭いきれなかったからだと思います。
そんな「自分の言葉が勝手に伝わったと勘違いしている状況」がとてつもなく悲しくて怖くて嫌だ。
そう、思い続けていたのです。
阿部広太郎さんの言葉
そんな時に出会ったのが、コピーライターの阿部広太郎さんの言葉。
そっか。そうなんだ。
伝わったということは、思い出してもらえるということ。
すなわち、一度伝えた言葉を、再度頭の中に思い浮かべてもらえるということ。
思えば、それほど心にも留まらなかった言葉なんてすぐに忘れるものなのです。自分もそうだなって思う。
そう考えると、自分の言葉を思い出してもらえることって、なんて幸せなことなんだろうって、とっても嬉しくなって。
また私はさらに、言葉をたくさん贈りたくなったりしたのです。
勝手に辛さを抱えていた。
そんな時に、阿部さんの言葉が真っ直ぐに心に届いて、今でも何度でも思い出す。
あの瞬間私にも、阿部さんの言葉が"伝わった"のだなあと実感しました。
結論:言葉が伝わるとは
言葉が伝わること。
それは、自分の言葉を思い出してもらえるということ。
そんなちょっぴり特別な感覚がこそばゆくて、だけれど心から嬉しくてぽかぽかしてしまう。
こんな気持ちを知っているなんて、私ってとっても幸せ。
そんな風に思えるのも、"好きな人"がしっかりと私の言葉を受け取ってくれる器を持っているからこそなのだということは、絶対に忘れたくないことのひとつ。
また何度でも、贈った言葉を使ってもらえるような人間でありたいです。
これからも、伝えたい相手に思い出してもらえる言葉を。心を込めて。
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