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「それタバコじゃあ、ありませんよ」 「えっ」 思わずかけられた言葉に過剰に反応してしまった。指先に挟まれたそれはタバコではなく鉛筆だった。 ぼうっとしていたせいなのか、それとももっと別の理由のせいなのか。ライターであぶりかけていた鉛筆を机の上に置いて、今度は正真正銘のタバコに火をつける。懐かしい紫煙。これで何本目だろう。灰皿に転がる山を数えることも面倒だった。 「もう、幻覚症状がでてるのね。薬の飲み過ぎです」 「どうしてそんなことがわかるんだ。僕が何粒飲んだのか
「すごい雨だ」 そう声に出せば本当に、すごい雨なんだと再確認する。窓に叩きつけられる雨粒はどれも大粒の真珠よりも大きくて、大きな音を立てて弾けて消える。安アパートがこんな大雨、耐えきれるのだろか。外壁の大きなひび割れを思い出して深くため息をつく。 思えばここ最近、こんな天気ばっかりだった。そろそろ寝ようかと思って布団に入ろうとすると途端にザァと雨が降る。屋根も壁も何もかもが薄っぺらいこの部屋で、一夜を過ごせるのだろうか。 毎晩の悩み事はそれくらいで。あとは将来に対
「丁度良い季節だと思わないか」 「全く思わないっす」 腰まで伸びた雑草をかき分けて俺ははあ、とため息。心の底から湧き上がってくる疲労と、徒労と、あとはシンプルな嫌悪感。先輩はニコニコと笑いながら紫煙を吐き出している最中だった。ほろ苦い独特の煙をブハアと吐きかけられて思わず舌打ち。これだから喫煙者は嫌いだ。 時刻は丑三つ時。草木も眠り、ついでに俺も眠りにつきたいこの時間に、何の因果か同性の先輩と墓地をとぼとぼと歩いているのである。 鈴虫やら松虫やらよくわからない虫
ぎっこんばったん。これは、シーソーの音。誰が始めに言い始めたんだろう。僕の耳にはぎっこんばったんなんて聞こえたことはないのに。 ぎい、ぎい、ぎい。それが僕に聞こえるシーソーの音。ぎっこんもばったんもどこにもいないのだ。僕の向かいでシーソーに座るのはマリコちゃん。黄色いカチューシャがよく似合う女の子だ。 二十分のお昼休みは無限大。どんな遊びもできちゃう魔法の時間だ。鬼ごっこ、かくれんぼ、だるまさんが転んだ、ヒーローごっこ、ジャングルジム……。教室でお絵かきしている女子
田舎のセミはしつこく鳴く。いや、都会もそうだけど。でも、感覚的に田舎に行けば行くほど一匹の鳴いている長さがどんどん長くなっているような気がしてならない。 みーーーーんみんみんみんみん。 ほら、長い。それにしつこい。それに比べて都会のセミはあっさりしている。シュワシュワシュワ。ジュワジュワジュワ。たくさんのセミが一気に鳴くから気分がうっとうしくなるだけで。田舎は、たった一匹のセミが精一杯頑張っているような気がする。都会がオーケストラなら田舎はストリートミュージックだ。
「あ~~生き返るゥ!」 ダンッと空になったジョッキを机に叩きつける。オレンジ色の照明がてらてら赤ら顔を照らす。二杯目。まだまだこれから。けれど頭はふらふら。ストレスで凝り固まった全身を伸び上がらせて重い疫病神を吹き飛ばす! しかも今日はなんといっても華の金曜日である。飲まなきゃ損損、さあもう一杯! 大将にダミ声で生もう一つと宣言すると遠くの方であいよぉと間延びした声が返ってくる。私の他にも客は三人。カウンターしかないこぢんまりとした居酒屋は私の行きつけだった。 「お姉さ
「自分に優しさがあるかどうか、それを判断するのは他人だな。ほかの事柄でもそうだ。強さ、弱さ、合理的、論理的、倫理観、モラル、偏見――何かにつけて自分の性質というものは自分だけでは判断できないものということになる。となると自分に持っているものというのは人の定規でしか測れないのだろう。それって寂しくはないだろうか。寂しいものだよなぁ」 白い壁、白い天井、白い床。机も椅子も真っ白で、窓なんてしゃれたものはない。ドアももちろんない。密室空間で一人、俺は言葉を紡ぐ。ひとりぼっちの空
ぶるると身震いしてくしゃみをひとつ。夏とはいえ、夜の山奥は冷えるものだ。望遠レンズをのぞき込んで、それからのんびりと小さなコンパクトチェアで伸びをする。ぎしりと嫌な音がするけれど、気にしない。これが唯一の楽しみだから。長年愛用している安物だけど、親しみの方が勝る。ジジジと赤道儀が鳴った。先輩から譲り受けたものだ。そろそろ買い換えなきゃと思ったものの、コンパクトチェア同様愛着が湧いているからなかなか捨てられないのだ。 毎年賑わっているこのキャンプ場でも、どうしてか今日はあ
「ねえ、お願い! これ! 絶対似合うから!」 「いやだよ、絶対に似合わないから!」 二人の男の子、女の子が草原の真ん中で座っていた。小学校低学年だろうか、青とピンク色のランドセルは放られて、通学帽子もぺろりと無造作に置かれている。真ん中は丁度小さな丘になっていて、その頂上はふわふわの芝生で覆われていた。ぐるりと丘だけ避けてシロツメクサやらタンポポやらが咲き乱れていた。ミヅキの頭に無理矢理シロツメクサのはなかんむりを乗せようとするシノ。それを拒否するミヅキ。 「ミヅキは
「等速直線運動だよ」 「え? どういうこと?」 私はユウコに聞き返したけれど、ユウコはそれ以上話してくれなかった。ただぼうっと海岸線を眺めているだけだ。テトラポットの一番てっぺん。前にバランスを崩したら海。通りかかった人に大声で怒られそうな程危うい体勢で私達は海を眺めていた。ここがいつものお気に入りスポットだった。授業終わりのユウコと私だけのホットスポットだ。 ざざん、ざざあん。足下で波が暴れてサンダルにかかる。私の足にぴったりとはまったそれは落とすことはないけれど
「あっ」 ころんころんと消しゴムが机から落ちて転がった。テスト中。カリカリと鉛筆のこすれる音が聞こえる中で私の小さな声が混ざり合った。一瞬ピタリと音が止まった。気がした。間違えたところに気がついて慌てて消しゴムに手を伸ばしたら、指先で弾いてしまったのだった。直方体と言うには丸すぎる私の消しゴムはころころとまっすぐ遠くへ転がっていった。 数学が苦手だった。何回勉強してもベクトルの問題がわからなかった。問題文の文字列から作図をするのが一番嫌いだった。 やり方は何度も友