金曜日のショートショート04

金曜日のショートショート(第4回目)
テーマ:はじめての

『またのご利用をお待ちしております』


『はじめての方にぴったりのセットです』
 そう説明されて購入を決めた。
 人生ではじめてのパソコンを触る。スマートフォンさえ持っていない自分が、まさかパソコンを使う日が来るなんて思いもしなかった。忙しない日々の中でパソコンなど不要だと思っていたが、この先のことを考えるとあったほうが安心だという結論に至った。それゆえ、一番不安な初期設定も電話で説明を受けながら進められると聞き、即決だった。
 電話を繋ぎ、お客様番号など事務的なやりとりを一通り終え、早速設定に入る。オペレーターの口調は優しく、ここまでの対応もとても丁寧だった。

『ではまず、名前をつけてください』
「えっ、あ、はい。えっと……、じゃあパソ子で。カタカナの『パソ』に子どもの『子』でパソ子」
 こんなことで驚いている場合ではない。最近は呼びかけるだけで動く家電もあると聞くし、おそらく名付けは必要なプロセスなのだろう。
『パソ子、ですね。かしこまりました。では、右上のほうにある電源ボタンを押してください。ようこそと表示されますか?』
「出ています」
『はい、では次はキーボードの右のほうにあるエンターと書かれたキーを一度押してください」
「ええと……」
『他のキーより少し縦長のキーです』
「あ、ありました、はい、押しました。不慣れですみません」
『いえいえ、皆さん最初は慣れてませんから、まったく問題ありません。ゆっくりで構いませんよ。次の画面で、パソ子と入力します』
「ええと?」
 突然入力と言われて焦る。カタカナや漢字はどうすればいいのか。もっと簡単な名前にしておけばよかったと後悔した。
『大丈夫ですよ、まずpのキーの場所は……』
 優しい言葉にホッと安心する。やはり【はじめてセット】を購入しておいて良かった。オペレーターはまるでここにいるかのように適切な指示をくれる。
 その後も言われるがまま数々の設定を進めていった。

『では、これで初期設定は終わりです。お疲れ様でした』
「ありがとうございます、きっと一人じゃできなかったから助かりました」
『そんなことありません。とてもスムーズでしたよ。
復唱になりますが、これでパソ子にあなたの記憶を転送できますので、その後はいつでもご自身の記憶をリセットできます。先ほど作成したアイコンをクリックするだけで、新しい自分として再スタートが可能です。また、いざというときも瞳・指紋・声紋認証で復元が可能ですのでご安心ください。記憶は弊社が保管しておりますので』
「はい……」
 なんとも気の抜けた返事になってしまった。
『どうかされましたか?』
「あ、いや。なんだろう、保険のつもりで買ったんですが、いざ設定してみると気持ちが大きくなるものですね。気分が良くて力が抜けてしまって」
『ありがとうございます。皆様にそう仰っていただいております。そして保険と仰られた方も実際に利用されるケースが圧倒的に多いんですよ』
「やっぱりそうなんですね。復元できるし、安心ですもんね」
『そうかもしれませんね。ただ、ここだけの話ですが、この【はじめてセット】は、弊社の中でも最もリピーターが多い商品なんです』

 はじめてセットをリピート?
「あっ……」
 そう思ったときに気づいてしまった。電話をかけたとき、『いつもご利用ありがとうございます』と言われたのは、決まり文句ではなかったのだ。

『それでは、またのご利用をお待ちしております。人生リセットはぜひリセット堂におまかせください。失礼いたします』

 当然のことだ。捨てたことさえ記憶にない人生を復元するはずがなかった。
 通話を終え、自分の今の人生は一体何度目なのだろうと、首を傾げた。

【企画概要】
友人3人で企画して始まった『金曜日のショートショート』は、報告不要で誰でもご自由に参加いただける企画となっております(もしよければタグをご活用ください)また、金曜日に間に合わなくてもOKなゆるゆるの企画です。過去分の参加もご自由に!
*次回(6/19公開予定)の第5回のテーマは『キャンセル』です。

【テーマ一覧】
01 金曜日(5/1公開)
02 レモン(5/8公開)
03 蟹(5/22公開)
04 はじめての(6/5公開)
05  キャンセル(6/19公開予定)

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