見出し画像

「教育移住」に感じる違和感(自戒を込めて)

こんにちは、Rioです!
最近、子どものより良い教育環境を求めて国内外に家族で移住する事例がニュースやSNSで話題になることが増えてきたように感じられます。俗に「教育移住」という言葉で表現されることが多いこの動き。私が家族で海外移住をしたいと思った理由の一つが子供のより良い教育環境を求めてのことなので、ある意味これも教育移住と言えるのかもしれません。

今回は、私が家族での海外移住を目指すうえで「教育」又は「学び」についてどう考えるか?を、あくまで個人的な見解になりますが記事にしたいと思います。


「教育移住」とは

いつものごとく、chat GPTに「教育移住」の定義について聞いてみました:

「教育移住とは、一般的には個人や家族が、教育の質や機会の向上を目的として、別の地域や国へ移動することを指します。これは、教育機会や制度、文化的背景、言語、経済的条件などが、移住先において移動前よりも好ましいと見なされる場合に行われることがあります。教育移住は、子供の教育環境や将来のキャリアに対する期待やニーズに基づいて行われることがあります。」

日本において「教育移住」が語られる場では、ほとんどの場合、子どもの教育環境への投資という側面が大きい気がします。すなわち、教育移住を主導する側である親自身の生き方については二の次になっているのが現状ではないでしょうか。

「子どものため」の移住で本当に子どもが幸せになるか?

受験戦争が過熱しているように見える昨今の日本の教育事情。そこでは、子どもに対する親側の過剰な期待があるように見えます。「子どものより良い将来のために」という大義名分のもと、受験対策を目的とした塾や予備校に多額のお金と時間を投資する親。当然ながら、「子どものため」だから親に悪気は無い。

でも、それって子ども自身が本当に望んでいることなんだろうか?親や周囲の期待に応えてより良い大学を目指すことが学びの目的になっていないだろうか?もし仮に子どもが志望校に合格したとして、その先に続く変化の激しい不確実な未来の中で大人になってからも幸せに生きていくことができるのだろうか…。そんな疑問を持ちながら、今日も電車の中で予備校の広告をぼんやりと見ています。

海外への教育移住を考えている親の多くは、グローバル化する世界から乖離していくように見える日本の旧態依然とした教育や社会への不安を抱えているものと思われます。特に、円安が進行して相対的に日本の価値が下がっているように感じられる昨今、現地校の英語環境下でグローバル教育を受けて海外の大学を卒業し、日本の枠に囚われずにグローバルに活躍する子どもの未来像を持つ親は増えていると感じています。

しかし、海外移住に付き合わされる子どもの側からすると、住む場所が変わっただけで自分にのしかかる親の過剰な期待自体は変わらないのでは。「日本の有名大学合格」という教育目標が「海外有名大進学」「グローバル人材」にすり替えられただけで、親から課せられるプレッシャーは日本の時と変わらないか、むしろ親が海外移住に多額を投資した後の方がさらに大きな負担になるのでは。子どもが親の期待に応える結果を出せればよいかもしれませんが、もしそうならなかった場合、子どもも親もどちらも幸せにならない未来が待っているような気がしてなりません。

親自身が海外移住を「自分のため」と思うこと

私は、「なぜ自分は家族で海外移住をしたいと思うのか」と自問する時、子どもと自分自身を切り離したうえで、私自身が移住先でどう生きていきたいのかを必ず考えるようにしています。「子どものためではなく、『私』が行きたいから行く。」独りよがりな考えかも知れませんが、私自身の海外移住の目的と移住先での私の生き方を明確にして自己選択・実行することが、それに伴う結果を自然に引き受けることになり、私自身のwell-beingな人生に繋がると思っています。

さらに言うと、私が自身のwell-beingを尊重することは私が守るべき家族のwell-beingを尊重することにも繋がると信じています。自分自身の生き方を尊重し、自分を満たすことができて初めて、他者を満たすことができると考えているからです。

自分の将来を主体的にデザインして行動し続けられる自由を、大切な人たちと相互承認しながら自分自身の人生を生きること。私が今、家族での海外移住を通じて実現したい未来像はこのような姿です。子どもに過剰な期待をかけることなく、私自身が人生を本気で楽しむことで、そんな親を見た子どもも結果的に自分の人生を楽しめるようになったら良いな、と思っています。

#教育移住
#海外移住
#ウェルビーイング

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?