コンプレックスの塊を背負って生きている
このnoteを書こうと思ったキッカケは、アカツキの塩田さんの著書『ハートドリブン』。
私の心奥に刺さるものがあり、終始涙が止まらなかった。
(一昨日、相模湖のアスレチックに遊びに行って、ドジを発揮し、綱との摩擦で火傷して両手が負傷。現在両手とも2本ずつしか指が使えない状態で、劇遅タイピングしかできず効率が最悪ですが、どうしても今思考の整理がしたくて、筆を執りました。)
・・・・・・・
私は、幼い頃から自分が生まれ持ったものが本当に嫌だった。
『顔』と『地頭』と『家庭環境』。
なぜ、人によって、生まれてきた環境も、生まれながらに与えられた能力もこんなに違うのか。
なぜ、生まれた時点で、与えられる試練が異なる"不平等"な世の中なのか。
こんなことばかり考えていた。
3歳の頃から11歳までの8年間クラシックバレエをしていた。
どんなに時間を費やしてレッスンに行っても、どんなに練習をしても上手にならなかった。コンクールなんて到底出ることができなかった。
厳しいと有名だったバレエ教室の先生からは、アドバイスさえしてくれず、見て見ぬ振りをされ、無視され続けるようになった。
その頃から人の視線の動き、冷たい態度、表情の変化に敏感になった。
お陰で、合コンなんかは苦手だし嫌いだ。
他の人が見ると、相手の男性がその場にいる女性全員に対等に接してるように見えても、私は微々たる違いや好意の差に気付いてしまう。
合コンに限らず、この人は私のこと好いていないだろうなぁ、っていうのがなんとなく勘付いてしまう。評価過敏。
小学校。
普通の公立学校に通い、中学受験をして、なんとか第一志望の吉祥女子という学校に合格できた。
そして、3年後、妹も受験をして同じ学校に合格した。
『りおはあんなに勉強してたのに、妹はそんなに勉強してないのに受かったね〜』
その時に母親に言われた一言が今でも忘れられない。
私から見ても妹と私の勉強量が違うのは明らかだった。
おまけに、私は3日目の受験でやっと合格できたのに、妹は1日目で合格した。(中学受験は大学受験と違って、2月1日、2日、4日など、何回か同じ学校の試験に挑戦できる)
妹の方が暗記力がよく、地頭が良いのはわかっていた。
でもなぜ、同じ姉妹なのに、こんなにも差があるのか?
努力せずにサラッと成功してしまう人になんか絶対に負けたくない。
負けず嫌いになった。
中学校。高校。
地頭が良くて、家が裕福で仲良くて、可愛い女の子が沢山いた。
妹のように、一度目を通しただけで暗記できて良い点数が取れちゃう人にももちろん出会った。
私はやっぱり人一倍努力しないと、人並みになれないんだなと、これからの人生も努力し続けるしか道はないんだなと、この時に悟った。
私は、その頃から自分の顔が嫌いで仕方なかった。
可愛い人の方がいろんな場面で優遇されることもこの時から気付いていた。
中高ではもちろん化粧は禁止だけど、学校にも化粧をしていくようになった。
自分の顔が嫌いで嫌いで自信がなくて、鎧をつけないと前を向いて歩けなかった。
そんな私を学校の先生が放っておくわけもなく、徹底的に目をつけられた。
怒られて、トイレで泣きながら化粧を落とした。
惨めで堪らなかった。
化粧以外のことにも文句をつけてきて、常に監視されてる感覚。
学校では苦しくて、家に帰っても両親の喧嘩が絶えなくて、活き活きと過ごせる居場所がなかった。
自分の能力を認めてくれる人もいなかった。
そこで私は学校の外に居場所を求めた。
他校の友達を沢山作って、有名JKと言われるようになった。
顔とか、家庭環境とか、地頭とか、自分の力ではどう足掻いても変えることのできないものではなくて、自分の力で、努力で変われることに力を入れて、人から羨ましがられたかった。
その結果、学校内では悪目立ちし、コソコソと陰口を叩かれることもあった。
全部全部悔しくて、見返したくて、勉強を死ぬ気で頑張って、ほとんどE判定しか出たことがなかった第一志望の早稲田大学文化構想学部に合格できた。
私はここぞという時の運がある。
努力は、絶対に報われるし裏切らない。
今、私が努力量だけは自信があるのは、こういう成功体験の積み重ねからだろうと思う。
大学生活。
まだまだ人から羨ましがられたい欲が満たされていなかった私は、美男美女サークルと言われているサークルに入り、充実した大学ライフを送っている風を醸し出した。
そして、地下アイドルも始めた。
もちろん、歌とダンスが好きとか、新しいことに挑戦したかったとかいう理由もあるが、きっと”地下アイドル”っていうブランドを纏いたかった自分もいただろう。
当然、叩いてくる人はいる。馬鹿にしてくる人も嘲笑う人もいた。
匿名の質問箱なんか設置したら、「死ね」とか「ブス」とか「消えろ」が届く。
それでも最後までやりきった。本当にやってよかった。お陰でSNSでの陰口耐性がついた。一生の財産の一つだ。
もともと好奇心旺盛で飛び込んでいく性格だったというのもあり、その後もいろんなことにチャレンジした。
すると、私が真面目なことをしだすにつれて、一緒に馬鹿なことして仲良くしていたサークルの友達からも『意識高い系』などと、揶揄されるようになった。
リア友に何でそんな風に言われなきゃいけないのか分からなかった。
ただただ悔しかった。
親からも周りからもよく「変わっている」「独特」「不思議な子」「普通じゃない」などの言葉を浴びせられた。
そんな自分を受け入れられなかった。
でも、振り切って挑戦を続け、SNSも積極的に発信しているうちに
「莉緒見てると、刺激受けて頑張れる」
「莉緒のおかげで、一歩踏み出せた」
「本当に尊敬してる」「こんな努力できる人いないよ」
「莉緒にしか持ってない素敵な個性だよ」
って、本当におこがましいけど、こんな風に言ってくれる人が、知り合いの範疇を超えて沢山現れるようになった。
今まで頑張ってきた私の努力も、
ありのままの私も認められてる心地がした。
こんな自分でもそんな風に言ってくれる人がいる。
誰かのために役に立ててる自分がいる。
そう思うだけで嬉しかった。生きてる意味を感じられた。
自分を肯定してくれる人のおかげで
少しずつ、自分の生き方や個性を受け入れられるようになった。
自分に自信はないし、自分のことはトータルで見ると全然好きになれない。
でも、「自分の◯◯なところはすき」
こういう風に、部分的に自分を好きになれてきた。
自分はこれでいいんだって思えるようになった。
就活。
行きたい会社に内定をもらえた。
けれど、直前に辞退してしまった。
親にも内定先の企業にも色んな人に迷惑をかけた。
それに対して、批判の目を向けてくる人もいた。
アイドル時代の私の一番のファンに、「親にどれほど迷惑かけてるかわかってますか?見損ないました。さようなら。」と言われた。そして、私の元を離れていった。
ずっと応援してくれていたからこそ、相当ショックを受けた。
考えて、考えて、ようやく出した私の決断だったから、途方に暮れるほど悲しかった。
こんな人生を歩んできたからこそ、今一番私が大事にしていることがある。
『人の価値観とか、個性とか、決断とか、頑張ってることとかを、否定しないこと。』
「そういう考え方もあるんだね〜!」「そういう生き方も素敵だね〜!」って、いつでも笑顔で肯定したい。
そして、私が辛い時には、いつでも人の存在があった。
『今度は、自分が、少しでも前向きになったり、自分を認められたり、生きやすくなったり、一歩踏み出せたり、笑顔の回数が増えたり、そういうプラスな影響を与えられるようになりたい。』
そう思うようになった。
どん底を味わってきた人は、人の痛みが分かるし、人に寄り添える。
温かくて、本当に強い。
そして、どんなに辛い状況でも逃げずに、何かに向かって一生懸命努力できる。
私はそんな人間が、だいすきだ。
そんな友達を大切にしたいし、そんな人ともっと出会いたい。一緒に働きたい。
どんな社会を作りたいの?将来最終的に何をしたいの?
今、就活をしていて必ず聞かれる。
どんな人でも、生きやすくなるような、温かい社会を作りたい。
一人一人が輝ける居場所を作りたい。人の笑顔を増やしたい。
周りの人、困ってる人にそっと手を差し伸べて、”心”を救いたい。
早稲田大学は、ブッ飛んでる人が多が、個性を否定することなく、むしろお互いに応援し合って、一人一人が羽ばたける、本当に本当に素敵な場所。
そんな環境で働いて、そんなサービスに携わりたい。
(こんなnoteを一つ出すのも、物凄く勇気がいるし怖いです)
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