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正直、いつ死んでもいいと思っていた。

正直な話、僕は自分がいつ死んでもいいと思っていた。というか、ふとすると今もそう思ってしまうことがある。これは、別に病んでいるわけでもないし、自殺願望があるわけでもないのだが、もし事故や通り魔殺人に遭遇してもある意味でほっと安堵してしまうと思うのだ。

というのも、もし高校2年生の僕が今日死んだら、きっと「明るい未来があったはずなのに残念……」と惜しんでもらえるだろうから。これから60年、70年、80年……と生きた後も「あれだけのことを成し遂げたのに残念……」と惜しんでもらえるかどうか不安になってしまう。下手すると、今が人生のピークなのかもしれないと思えてしまう。

逆に言えば、この2021年がそれほどに激動の1年だったということでもある。

全国高校生マイプロジェクトアワード2020への参加から始まった2021年。様々な活動に没頭する多くの高校生と出会い、初めて体験する種類の知的興奮を感じ、新鮮でエネルギッシュな新しい世界に足を踏み入れた。

春には仲間を集めてNPO団体 Dor til Dor(ドア・チル・ドア)を設立し、「次の1冊に手をのばす喜びをすべての子どもに」をミッションに掲げて子どもの読書文化を盛り上げるために活動を広げてた。印刷会社に協賛を依頼して安定的に大量発行できる体制を作りつつ、執筆メンバーを増やして客観性を高めながら、読者の声に寄り添った信頼できる情報発信を模索してきた他、イベント開催なども交えて多角的な取り組みを始めた。

春から夏にかけては、毎日高校にノートパソコンを持って行き、職員室に入るたびに何人もの先生から質問や連絡をされ、クラスの友達から「寝てる?」と心配され、挙句の果てには体育の授業中に先生から相談を受けるほど、力を尽くした文化祭実行委員としての仕事も書き漏らすことはできない。もはや勉強よりもこのために高校に通っていたと言っても過言ではなく、学校一の激務とも言われるポストで校内展示の統括に感染対策の取りまとめなど、生徒1人1人の自己実現を支え、コロナ禍で文化祭を成功に導くために奔走した。TO-DOリストは、どれだけスクロールしても終わりが来る気配が無いほど長くなっていたのを覚えている。

9月に入ってすぐ、ASHOKAによりユースベンチャーに認定されたことも大きな変化だった。改めてDor til Dorの活動を振り返り、これまでとこれからを見つめ直す機会になったのだ。SDGsや地域活性化などというありきたりな課題ではなく、小中学生の間は本を読んでいるのに高校生になると本から離れてしまう「高校生クライシス」というニッチな課題が本質にあることに気づき、朝読書や読書感想文などの学校での取り組みでは、子どもたちが読書の本当の楽しさを実感するには不十分であり、自分たちがより良い読書体験を届けることで「自立した読者」に育てるのだと決意した。それからは自分にしかできない本質的な構造改革を考えるようになる。

感染拡大と緊急事態宣言による開催延期を乗り越えて、文化祭もなんとか開催でき、東大寺学園史上初のオンライン文化祭にもこぎつけた。至らない部分もあったし、反省すべきこともあったものの、十分成功と言えるものになったはずだ。個の力が大きい東大寺学園生だからこそ、集団になるとさらに大きなことを成し遂げられるのだと思い知り、一匹狼的に動いてきた自分の中で、リーダーシップ観がガラリと変わった瞬間だった。「お前が校舎統括パート長で良かった、他の人だったらどうなっていたか……」そんな言葉を先生から掛けてもらったときの嬉しさと、打ち上げで一緒に頑張ってきた仲間が流した涙につられて泣いてしまった感激は一生忘れないだろう。

文化祭が終わって、無性に一人旅に行きたくなった。思い返せば、このときが一番「今死んでもいい」と思っていた時期だったかもしれない。文化祭という大仕事を終え、これまで味わったことのない大きな感動と達成感に包まれていた僕は、満足感に身を任せて尾道という見知らぬ土地に一人で出かけた。旅先で事故にあっても未練なく死ねる、海に突き飛ばされて人生を終えることになっても別にいい、そんな謎の自信をみなぎらせていた気がする。何なら、魔が差したらそのまま自殺していたのかもしれない。もちろん結局何も起こらず、カメラ片手に猫と坂の街を1泊2日で満喫して帰ってきた(トップ画像はこのときに撮影)のだが、浮世離れしたような不思議な気分だった。それくらい、文化祭のおかげで最高潮に達していたのだ。

秋から冬は、講演やメディアの取材などを挟みつつ、Dor til Dorの活動に注力していた。「月あかり文庫」を「子どもに本を楽しんでほしいけど、どうすれば……」と悩む保護者のために改善し、あらすじ紹介にとどまらず子どもに手渡す際のアドバイスなども盛り込むなど、工夫を重ねてきた。実際に読者への調査では、紹介した本を気に入った子どもも多く、家庭での読書教育に役立っていることが確認できた。設置施設への調査では、この活動が図書委員の生徒や書店でアルバイトする高校生に刺激を与えていることが分かったり、講演を機に地元の書店減少を防ぐアクションを高校生が始めたりと、青少年の読書を通した自己実現と活字文化の活性化に繋がっている。7号を数えた現在では、「月あかり文庫」の設置施設は北海道から九州まで全国60ヶ所を超え、累計発行部数は1万部に登っている。

ともに文化祭を中枢で創り上げた仲間と楽しんだ修学旅行。何よりも、ホテルで深夜に自分たちの将来や世界の未来について語らい合った時間が印象的だった。もちろん修学旅行にもノートパソコンを持ち込んでいたのだが、先生の見回りをやり過ごして、深夜まで駄弁りながら仕事をしていたときの一幕だ。

こうして2021年は、Dor til Dorの活動が評価されて、様々なメディアで取り上げられたり、全国的な賞を受賞したりと、飛躍の年になった。これまで遠くから指を加えて憧れていることしかできなかった多くのことに手が届き、たくさんの方のおかげで想像もしなかった体験をさせていただいた。生まれてこの方、2021年ほど濃密な1年は無かったと断言できる。

だからこそ、これからが不安なのだ。僕という人間は、果たしてこうした貴重な体験をし続けるのに値するのか。いつまでもやりたいことを自分らしくやり続けるように未来を切り拓く力が自分にあるのか。そしてこれから待ち受けている困難に僕は打ち克っていけるのか。

もちろん、これからさらに活躍できるかもしれない。けれども、相変わらずSNSで繋がっている方々は雲の上の存在に思えるし、これまで以上に活躍できる可能性は統計的には大きくないはずだ。なんの取り柄もない大人になってしまう可能性するある。そんなことを考えていると、もはやある程度成果を収めることができた今死んでしまった方が良いのではないか、と思えてしまうのだ。

けれども、タイトルを「正直、いつ死んでもいいと思っていた。」と過去形にしたのには、大きな意味がある。

これから生きていると、きっと「死んでもいいや」と思えてしまうことも多いだろう。それは何も大きな困難にぶち当たったときだけでなく、やる気を失ったり、勉強に意味を見いだせなくなったりしたときにも思えてしまうかもしれない。僕は別に万能でもないし天才でもないし、周りが思っているよりもダメな人間だから。ふとした瞬間に、将来への不安とプレッシャーに押しつぶされそうになる。

そんな中で、あえて「死んでもいい」と思うのを過去のものにしようという決意をタイトルに込めた。

明日のために生きる」これが2022年の目標だ。

2022年、僕は高3になる。受験生だ。Dor til Dorの活動をきっかけに芽生えた読書教育を突き詰めたいという夢に向けて、海外大学進学を目指す1年になる。2021年以上に頑張らなければいけない、しかも、英語などの勉強に長い時間を費やさなければならないので、いまから憂鬱だが、それでも将来を見据えてこの試練を乗り越える、そんな決意を表明したい。

今は死ねない。子どもと本の世界で、やるべきこととやりたいことをやりきるまでは、何があっても生きてやる。頑張れ自分。2022年を、明日のために生き抜いてやろうじゃないか。

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