ファミレスでのバイト経験を得て料理の仕事は天職と確信。地元レストランで修行したのちに親戚のおじさんから言われた一言でイタリア留学が決まります。人生が大きく動くはずでしたが趣味のスノーボードで悲劇が待っていました。この記事に題名をつけるなら『メロンソーダ』です。なぜこの題名なのか?かなり長文になりそうなので前編、後編にわけますね。まずは前編にお付き合い下さい。
①料理との出会い
高1の夏にバレー部の部活をすぐ辞めてアルバイトを
はじめました。遅めの反抗期でもあったので
自分で稼いだバイト代で自由に遊ぶんだと
高校に入学したくらいで考えていました。
実はファミレスでバイトする前に友人に紹介された
コンビニのバイト面接で不採用になっています(笑)
まぁその友人も廃棄食材持って帰りまくり
からあげくん勝手に揚げたり(コンビニ名バレる)
そんな友人の紹介なので店長さんも不採用予定
だったのかと思います。しかも自分も若く
人生初めての面接で右も左もわからないので
履歴書の証明写真を撮りに行くのが面倒くさくて
生徒手帳の写真を剥がして履歴書に貼る(バカ)
まぁこんなやつは不採用ですね。
それからバイト雑誌で色々探しましたが
どうも高校生を雇ってくれそうなバイト先は
ファミレスしかなかったんです。
でも時給700円、家からチャリで20分
あまり気乗りしなかったけど面接の電話を
入れると2.3日後に面接、即採用でした。
性格上、未経験の仕事に真っ向勝負する根性も
なかったので『洗い場でいいのでー』と
店長さんにお伝えしました。しかもそのころ
キムタクがお皿洗ってるドラマのシーンに
憧れていたので洗い場カッコいいと勘違いBOYでした。
ドラマ名忘れました。
そして記念すべきアルバイト初日、もしかしたら
自分の料理人生よーいスタート!!だったかも
洗い場やる気まんまんでしたが待っていたのは
灼熱のハンバーグを焼くポジションでした。
こちらも記念すべき初めて大人にだまされた瞬間
でした(泣)えー洗い場って言ったのにー
しかもトレーナーの社員さんが関西弁の
厳しそーなおじさん。よく膝蹴りされた。
しかもそのファミレスはめちゃくちゃ良い立地
当時は周辺にライバル店も少なく週末ピーク1日で
1200人とか入る店舗でした。最近のロードタイプの
お店でこんなに入るお店はリゾート地とか
くらいかも。
土日シフトはいつも11時〜20時、ずーっと
ハンバーグ焼いてました。きつくなると
でっかい冷蔵庫に食材を取りに行くふりをして
しゃがんで10秒くらい休憩してました。
夏休みもバイト漬け、確か8月の勤務で10万円くらい
稼ぎました。でも不思議と楽しかったんですよね。
他の飲食店を経験していないので1日1200人入って
ることが普通だったし何かゲーム感覚で
先輩とピークタイム料理遅れなかったらジュース
おごる対決とかしてました。
そしてこのファミレスで人生のターニングポイント
になる4歳年上の女子大生と出会います。
それから5年付き合う彼女です。
多分、彼女がいなかったら料理人の道を選んで
なかったしリアルに死んでました。
好きすぎて死んじゃうーとかそうゆうことでもなく
冗談抜きで命の恩人です。
死んじゃうかもしれない話しは後で。
彼女は1人暮らしの大学生だったのでよく家に
遊びに行っていました。ある日何か料理を
作ろうとなってメイン料理は忘れたけど
前菜的な感じで(カツオのタタキ)作りました。
作ったとは大袈裟でスーパーで買ったものを
お皿に盛り付けただけでした。しかし
彼女にめっちゃ盛り付けキレイ、絶対に
料理のセンスあるよと言ってもらえたことに
すごく嬉しかったし何か手に入れたような気分
になりました。
そこから料理雑誌を買ったり色々と勉強するように。
ファミレスもバイトも高校3年間しっかり続き
高校を卒業。元々習い事、塾などもすぐ辞める
ようなタイプだったのでバイトが3年続いたのも
料理が好きなんだなぁと感じていました。
就職も地元にあるレストランに決まり
料理人としての人生が本格的に動きだします。
②地元レストランでの修行
就職した地元のレストランはフレンチベースの料理も
あり天ぷらなどの和食もある店舗でした。
働きはじめは玉ねぎの皮むきをダンボール1ケース
やったり色々と基本的な技術を学んでいきました。
料理長は優しさもあるけど厳しい時は鬼のようでした
料理長の鬼エピソードぉ〜3選!!(グロ注意)
①自分がレタスカット中に人差し指の先端を3センチ
くらいカットして血が止まらなかったときに
『人手不足なときに指切ってんじゃねーよ』
ホールの女の子が賄い食べてる横で応急処置して
たら『飯食ってるよこで何してんだよー!』
②玉ねぎの芯を抜くときに包丁が親指の付け根に
ぶっ刺さり貫通しそうになって病院に駆け込んだ
時も『言われた通りに包丁使わないからだろー』
と激怒!!
話し盛ってるでしょーと思ってる方!20年近く
経過しましたが傷跡残ってます(泣)
③前置き!レストランってフライパンが20個近く
あるんです。洗ったりするから新人でもよく
持つことがあるけど何故かひとつだけ
ボコボコのフライパンがありまして。
この時点で話しのオチが読める人は
鬼料理長の素質あります(笑)
ある日、それなりに成長したので日替わりランチ
を任せてもらってました。料理長が出勤前に
仕込みして入り口に見本として置く商品を
作って出勤した際にOKをもらいます。
その日は機嫌が悪かったのもあり自分が提案した
日替わりランチの見本は無言でゴミ箱に捨てられ
ました。ショックーと言ってる時間もなく
手慣れた手つきで料理長は代わりの日替わりランチ
を作ります。その時に手元になかった食材を
自分に持ってきてと言われましたがなかなか
冷蔵庫から見つけられずにあたふたしていたその時!
イライラしていた料理長は『早くしろ』とある
ものをぶん投げてきました。
お分かりでしょうか?そう!あのボコボコの
フライパンです!なんと怒った時の投げる専用
だったのです!
はい!鬼料理長エピソードでした。
今ならやばいけどその頃はそれが当たり前
だったし夢中なので平気でした。でも今でも
料理長に感謝しているし修行中に社長とケンカした
料理長辞めちゃったけど直談判して料理長に戻ってきて
もらうように土下座するくらい信頼してました。
そんなレストランでの修行時代に
ブーム到来中のイタリア料理に興味を持ち
次の働く店舗はイタリアンだとお店を探し
はじめます。そんな時ある親戚の
おじさんに出会います。
③セレブな親戚のおじさんとの出会い
秋田に親戚がいます。何故、自分の住んでる街に
来たのかははっきり覚えていないのですが
セレブな親戚のおじさんと色々と話す時間があり
ました。簡単に言うと若くして日本は衰退する
からと中国で貿易関係の会社をやっていると。
会社はどんどん大きくなり世界4.5カ国に
展開し豪邸が色んな国にあるとのこと。
そんなおじさんと食事をする機会があり自分の
状況を話しました。
『イタリアンのお店で次働こうと探してる』
おじさんは当たり前のように
『なぜ日本で真似事のイタリア料理を学ぼうと
するんだ?』
『オレの家がヴェネチアにあるからそこに住んで
本場のイタリア料理を学びなさい』
おじさんはさらっと話したけど衝撃でした。
世界中で仕事していると価値観が違う。
その頃は順調に料理修行をしていたので親も
二つ返事でOKしてくれました。
それから色々手続きを進めるのですが
ある問題が発生します。それはビザです。
イタリアだけにピザじゃないです。ビザです。
(スベってますね)
就労ビザが中々取れないのでイタリアの
料理専門学校で学びながら修行するような
留学だとOKでした。
そんなこんなで自宅から申し込みのFAXを
関連部署に送ったのを覚えています。
地元のレストランにも退職を告げまさかの
急展開でイタリア行きが決まったのがある冬の
出来事でした。
④スノーボードでの悲劇
その頃、自分の料理センスを見出してくれた
あの彼女と同棲していました。レストラン退職前に
休日にお互いの趣味だったスノーボードしに行こうと
どこのスキー場にしようかと話していました。
あえてスキー場は実名で話します。
いつもはウイングヒルズ白鳥に行っていました。
ここは市街地から遠くかなり山奥のスキー場だけど
ゴンドラがあったりお気に入りでした。
しかしその日は何故か高山市から近い
スノーリゾートアルコピアに行くことになりました。
確か行く日が水曜日でその日はリフト券が安いから
とかの理由でした。
当日は晴れていたけど前日が寒く雪質は
アイスバーン(雪がカチカチで凍ってる)
その頃スノーボードも休みは毎週行くくらいで
ちょっとジャンプしたりもしていました。
彼女とは別行動で上級者コース滑っていた時に
大きめのジャンプ台が目の前に現れたけど
飛べると思いチャレンジしました。結果は
飛べたけどバランスを崩して顔からアイスバーンの
雪に突っ込みました。衝撃が強く顔から突っ込んで
からの反動で後頭部を強く打ちつけました。
でもスノーボードされる方はわかると思いますが
よく転んだりするスポーツなのでそんなに
大事とは捉えず痛かったけどまぁ大丈夫と立ち上がり
ました。頭の上に星がでるくらいはよくある。
結論から言うと頭蓋骨骨折してました(笑)
その時はそんなこともわからないのでまさかの
頂上からもう一本コースを滑っていました(バカ)
しかし何かすごい眠くなってきたんです。
気分も悪くなり彼女に少し車で寝るわぁと告げ
ました。カッコつけたいから派手に転んだとは
確か言わなかったはず(バカ×2)
そこで車に戻り眠って、、、、、
ここからの記憶は病院のベットで目が覚めるまで
ありません。なんとなく救急車のサイレンの音は
聴こえていたような。
後でわかったことですが
車で寝た自分をなぜか気になった彼女が
戻って来てくれたらしく、なんと
寝てるはずの自分が発作を起こして暴れていた
そうです。すぐに救急車を呼び
運良く近くにあった赤十字病院に搬送されました。
ちなみに後5分遅れていたら障害が残った
後10分遅れていたら死んでいたかもと先生に
言われました。
いつも行く白鳥ウイングヒルズは病院まで
片道45分でした。。
みなさん!鳥肌ポイントですよ!
そうです、たまたま初めて行ったスキー場は
病院まで片道10分でした。。。
その時彼女が戻ってきてなかったら。。。
名前はだせないけど感謝しかないです。
助けてくれてありがとう。
そして病院ですぐに手術でした。
意識朦朧している自分に先生は明日から入院だよ
と話したそうです。そこで自分は
『明日から仕事だから入院は困ります!』
バカ真面目ですよね。んーただのバカかなー。
手術は後頭部をパカっと開いて25針縫いました。
頭にメスを入れるので髪の毛をバリカンで刈った
みたいでその時も先生が髪の毛刈るからねーと
言ったら意識朦朧のなかで
『美容院行ったばっかなんです』と言ったそうです
頭イカれてますよねー(笑)
そして気づいたらベットの上、家から2時間かかるの
に親が横にいて。彼女も心配そうに見つめてました。
頭パカっと開いたことはこの後テストに出るから覚えと
いて下さいねー(笑)
後頭部を25針縫ったけど見えないのであまり大怪我の
実感がなかったけど鏡で見たらまじで
ゾンビみたいでやばかったです。
病院のご飯が口に合わず病院の前にあったコンビニに
たこ焼き買いに行ったのがバレて看護師さんの朝礼で
あいつには気をつけろと言っていたのを母親がたまたま
聞いてしまったと怒っていました。
バカ息子でごめんなさい。
自分はタバコを吸わなかったのでまさかの
1週間くらいで退院しました。
あの時、彼女が車に戻ってきてくれなかったら
自分はこの世に存在していません。
でも自分にとっての悲劇はこれからでした。
④自宅療養で。
その後退院して自宅療養していましたがご飯の味が
何か変でした。その時は料理の仕事をしてたので
余計に味がわからないとか程遠く信じられません
でした。日が経つとともに怪我は順調に治って行く
けど味の異変は変わらずまずは近くの病院に。
原因は分からず耳鼻科に行ってと言われました。
しかし耳鼻科でも原因がわからずでした。
その頃は携帯で調べたらなんでもわかるような
時代でもなかったし毎日不安でした。
だんだん現実が見えてくる恐怖。
料理の仕事できないんじゃない?
イタリア無理なんじゃない?
最終的にたらい回しにされて行き着いたのは
大学病院。今までやったことない検査を
色々しました。そこでわかったことは
何か食べた時に舌は味に反応を示している。
舌は味を感じる部分が4か所あるけど全て
正常です。ではなぜ味がわからないか
原因は鼻でした。小さい頃苦手なもの食べる時に
鼻をつまんで食べるととかよく言いましたよね。
口に入れた物の匂いを感じれないので結果
味がわからないと。そして鼻の細かい
神経が切れていて正常に匂いがしなくなっていると。
何故こうなったか?手術した際に頭をパカっと
開いたの時に細かい鼻の神経に圧力がかかって
潰れてしまったらしいです。
原因はわかったことに少しだけほっとしたけど
それ以上に絶望感が降りてきました。
亜鉛を飲み続けると治るかもしれない、治らない。
イタリアもキャンセル、地元のレストランも
早めの退職。周囲からは諦めて他の
仕事探さないととプレッシャー。
さらに命の恩人の彼女を何か異性としての感情を
通り越してしまい恋愛感情が消えてしまって
いました。もちろん感謝の気持ちは忘れてないけど
お互い気持ちは離れて別々の道を歩むことに。
色々とモヤモヤの気持ちの中、料理の次に
興味があった広告代理店に転職できました。
しかし長くは続かず2ヶ月で退職。
勢いで買ったREGALの革靴はピカピカのままでした。
やっぱり料理の仕事がしたいんです。
スラムダンクの名セリフですよ。
それからアルバイトでお世話になったファミレスで
時給が高い深夜に雇ってもらい、そのまま
早朝から同級生の魚屋で働きました。
ファミレスはパックの食材を調理することがほとんど
だし忙しさのリハビリになるし魚屋は
捌き方、魚の種類勉強できるとなんとか
料理の仕事に復帰しようと努力します。
魚屋でもらえた食材を家に帰ってパスタ作ったり
しました。でも味しなかったなぁ。
そんな時に忘れられないのは魚屋の近くに
あったイタリア料理のお店でランチした時に
自分がお気に入りの料理雑誌があり読んでいたら
お店のシェフが話しかけてくれました。
そこで自分の事情を話した時に味覚障害でも
君が料理好きならうちで働かないかと言ってくれた
ことです。嬉しかったけどその時は何か
一歩踏み出せなかった。
何ヶ月かその生活が続いた時に一本踏みだせる
勇気を持てる職場に出会います。
⑤復帰への第一歩はなんと?!
そんな料理の仕事に戻りたいけど一本踏み出せない自分
にある声がかかります。繁華街の有名なキャバクラが
厨房で働く人を募集していると。多分偏見で
失礼な話しなんだけどキャバクラなら味覚障害でも
行けるんじゃないって思いました。しかも確か
給料が手取り30万くらいだったはず。
すぐに面接に行き即採用。そのままロン毛のチャラい
店長と調理器具を買いに行きました。しかも
2畳くらいある小さな厨房を好きに使って
メニューも決めていいよと言われました。
すごい嬉しくて嬉しくて意気揚々と仕事に行くよう
になりました。店長から自分に与えられた
ミッションは月に10万円も満たない
フードメニューの売上を
なんとか上げてほしいでした。
キャバクラでどんなメニューがいいのかも
よくわからなかったけど夢中でメニューを考え
試行錯誤しました。
ちなみにキャバクラって一般的な飲食店と
ちょっと仕組みが違いまして、お客さんに
女の子が『これ食べたぁーい』的な感じで
お願いして注文するケースがほとんどです。
そしてそのフードの売上が女の子に少し
バックされる的な。なので
マズイ料理とかだすとまじで激おこになります。
自分は味覚障害なのでその時のメニューは
上手くレトルトを使ってごまかしていたんですが
何か前から人気メニューのチャーハンは
残っていてたまに作ってたんです。
そんなある日、月に100万稼ぐマイちゃんが
(お店での名前)チャーハンをお客さんに
お願いして注文しました。なんとなくの感覚で
作ったけどそんなにブレはないだろうと思って
ました。そしたら厨房にマイちゃんが
怒鳴り込んできました。
『このチャーハンくそマズイんだけど』
多分マイちゃんと初めての会話がこれでした。
必死で稼いでる子は本気なのでまじで怒ってました。
そこで気づいたんです。あー中途半端に
仕事してるなぁと。よっぽどキャバクラの女の子
の方が真剣だわぁと。
それからお店の子達が美味しいと言ってくれる
料理が作れるように何度も食べたり感想聞いたり
してお店のメニューでマズイ料理はなくなり
ました。お客さんもお酒飲むから余計に味濃いめで
作るのに慣れるのが大変だった。
それから一年位働いたくらいにはあのキャバクラ
料理が美味しいと評判になり料理目当てのお客さん
もいたりしました。確か他のお店のボーイさんとか
が来てくれたなぁ。お昼にどっかの事務所に
出前したりもしたはず。
そんな年末に当初10万円だった売上はまさかの
100万円近くに!!12月30日くらいが月の締めで
店長が今日の営業で100万円超えたらお祝いなって
言ってくれて売上達成した瞬間に店長がシャンパン
シャワーしてくれたんですよー。
何か救われたし身を削って色々学べた。
この時に料理の世界戻れるかもと強く思えるように
なりました。
でもですねー、売上で結果だしてると
あいつ店長できるんじゃねーってなって
きちゃいましてここから苦労するんです。
厨房は別の人に任せてホール作業させられたりし
始めて気付きました。厨房とは全く
違う世界でちょー汚い部分も見えちゃいました。
マイちゃんみたいに真剣に稼ごうと
頑張っている女の子もいたけど中には
暗そうな男の子を引き込んで稼いでる子もいました。
『あいつ後5万はキャッシングできるから後2回は
お店呼べるよ』とか日常会話でした。
こうなると自分は全くキャバクラで働く意味はないので
と思いすぐに退職しました。まぁ水商売は
すぐに辞めれないので色々揉めました。
この時点でキャバクラのメニューはいつも作って
いるので鼻も匂いも慣れているからなのか
商品として作れていました。でも日常の中では
まだまだ味覚がわからないこともあり不安な
気持ちもありました。
⑥メロンソーダ
キャバクラを辞めて次のステップをどう進むのか
考えながらある出来事が起きます。
新しく付き合った彼女とホテルに行きました。
(もう20年近く前の話しです。)
寝る前にメロンソーダを飲んでました。
その彼女ももちろん味覚障害って知っているので
冗談半分で『メロンソーダ味しないわぁ』と
話してました。そのまま寝たのですが
今でも鮮明に覚えているけど
夢の中でメロンソーダの味がはっきりわかって
味覚障害が治ったーと喜んでいました。
やっと料理の仕事ちゃんと戻れるって。
やがて目が覚めて彼女に寝ぼけてなのか
おれ味覚障害治ったかもと話しました。
そして置いてあったメロンソーダを飲んだときに
変わらず全く味がしませんでした。
何か本気で死にたかった。ホテルの窓から
飛び降りたかった。
絶対治らないやん。どうにもならんって。
大きく取り乱したりしたわけじゃないけど
心に大きな穴が空いたようにショックだったのを
今でも覚えてます。絶対無理やんって。
⑦前編はここまでです。キャバクラでの経験が料理人復活の道に近づくも現実はそんなに甘くなくて絶望していました。そこから
全てを変えたくて鹿児島に行くことを決意します。文章をこんなに沢山書くのは人生初めてで読みにくいはずです。すみません!学生時代に読書感想文は本の内容を丸写ししてたツケが回ってきています。お付き合い頂きありがとうございます。後編もお楽しみに!!
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