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円空〜また巡り会わん、いつかの春に〜

燕が低く飛んだ。
1655年、尾張(愛知)。
高田寺の本堂の階段に座り、23歳の円空は空を眺めていた。長良川の洪水で母を喪い、幼き日にこの寺に預けられてもう何年になるか。
仏の道を学べば、己の胸に開いた漆黒で深い穴を塞げるかと思ったが、叶わぬ。まして、衆生済度など夢のまた夢。
ならば何故自分はここにいるのか。
ここではないなら、どこへ行くべきか。
仏は応えてくれぬ。
それは自分の心が未熟だからか。
最澄上人は「一切衆生悉有仏性」と教えられた。
私の心に仏はあるのか。
あるのは己のみ救われたいという我ではないのか。
円空は燕の飛び去った先の空をしばし見つめると、立ち上がった。

高田寺の住職は円空をじっと見つめたまま話を聞いていた。
円空が話し終わっても、しばらく黙って円空を見ていた。
この視線から、逃げてはいけない。
そう思った。
黒の法衣に偏袒右肩(へんたんうけん)にした灰色の袈裟に少し触れると住職は言った。
「答えの出ぬまま、どこへ行く。闇夜ならば仏の膝下で学ぶしかない」
少し考えて円空は答えた。
「闇夜なればこそ、外へ出れば月の光も差しましょう」
住職はフッと笑った。
「今のお前では月の光も見えまい」
円空は黙るしかなかった。
ここに居ても何も出来はしない。
修行とは何かを成したいと急く心を抑え、勤めること。
それはわかっている。だからそれさえ出来ぬ自分は半端者だ。
それも、わかっている。
けどこの身が叫ぶ想いはなんだ。
未熟ゆえに人々を救い得る。
天より降る仏の声は地に落ちる稲穂一粒拾うに忙しい民衆には届かない。
仏とは稲穂を拾うために腰をかがめる人々と共にある何かではないのか。
その何かが、見えない。
「少し待て」
住職はそう言うと立ち上がり、部屋を出て行った。
ふーっと、肩の力が抜けた。

戻ってきた住職の手には鑿と小刀が握られていた。
「山に籠るなら、材には困らぬだろう」
仏が見えぬなら、自ら作るところから始めよということか。
「宗門改※が発せられ、民衆の間に仏教は広まりつつある。しかし、それは見た目上のまやかしよ。皆、お上が怖くて、籍を入れているだけのこと。衆生済度はむしろ遠い」
※禁教令の一環で民衆の宗派を明らかにする制度
住職にしては珍しく、円空から視線を外し、呟くような言い方だった。
それに自分で気づいたか、住職は初めて柔らかく笑った。
「23か。燕が飛び立つには良い頃よ」

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寺を出た円空は加賀白山や富士山中に籠り、修験者として修行を積んだ。民衆を救うにはまず、救われ難い己の心と向き合うしかない。
怠惰、慢心、嫉妬、色欲、功名心。
表に積もった塵を払えば奥には孤独、死、寂しさが顔を覗かせる。その顔と向き合う我の顔はどんなであるか。どんなであるべきか。
仏とは何か、どこか。
山に篭り、滝に打たれても見えぬ。ただ、覗いたことを後悔するような果てのない闇が見えるだけだ。これが人の心か、いいや、ごまかすな、これが自分の心だ。
何もない。母を喪った時から。必死で学んだ仏道は身につかず、いまだ、心の中の闇を平衡感覚を失ったまま漂っている。
山中で木切れを拾い、慣れない手つきで仏を彫った。
小刀で傷つけた指や甲から血が滲む。
一心に彫って、いびつな小さな仏ができた。
いや、仏と呼べる代物ではない、むしろこれは自画像か。
その小さな仏を山中の洞窟の中で拝み、経を唱え、供物を供え、夜は枕がわりにして眠った。
仏からほど遠いこの身にあって、仏と共にありたい、ただそれだけを願った。人を救うなどおこがましい。ただ、そばにあれないか。自ら作った、この小さな仏のように。
人々のそばに。できるだけ多く。
仏になれぬ自分が作る、仏より人や鳥、獣に似た歪な像。
そんなもの、誰も拝んではくれぬ。
誰も慕ってはくれぬ。
誰も、必要とはしてくれぬ。
でも他に、何ができる。
自問しながら、1人、木仏を彫り、山中を巡り、9年の歳月が経った。
いまだ、月光は見えず。

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1665年、春。
32歳になった円空は越後(新潟)の港にいた。
ちょうどヒガンザクラが満開だった。
その根本に腰を下ろし、一息つくと、想いは蝦夷(北海道)へ飛んだ。
2年前、蝦夷では火山(有珠山)の噴火があり、多くの家屋が火砕流に押し流された。灰の積もった土地で作物は育たない。追い討ちをかけるような日照りとそれに続く飢饉。
満開の桜の下、目を瞑ると喉を掻きむしりうめく人々の姿が浮かんだ。
蝦夷の春はまだ先だ。
円空は桜の枝に手を伸ばし、紅の薄い花弁をそっと撫でた。この紅を、蝦夷の人へも分けてやりたい。
世の中とは不公平だ。同じ時代、国に生まれ、こんなにも穏やかな春があり、一方で灰色の景色の中であえぐ人がいる。
近頃幕府が出した諸宗寺院法度も気にかかる。
寺院整理を促すものだが、これにより小さな寺院は廃寺に追い込まれ、そこに祀られていた仏像は大きな町へ集められているという。
愛でるべき花は遠く、杖にすべき仏を奪われ、灰の飛ぶ乾いた大地で立ち尽くす人達がいる。
行かねばならない。
しかし、行ってなんとなる。
この身1つで何ができる。
無駄なこと。
いいや、祈ることはできる。
祈る?祈ってどうなる?
頭の中、せせら笑う悪魔がいる。
悪魔は自分だ。
円空は、桜の下で汚れた黒の法衣に頭を埋めて呻吟した。
………頭を抱えたところで答えの出るはずもない。

円空は立ち上がると、目の前の港で出港準備をする北前船※の船頭に声をかけた。
※各地で商品の売買をしながら大阪〜北海道を就航していた商業船
「この船に乗せて欲しい」
中腰で舫を掴んでいた船頭は陽に焼けた顔をあげた。
針のように短く立った髪が春の陽を弾いている。
「乞食僧か」
呟くと積荷の木箱を顎でしゃくった。
「運んでみな」
円空は腰を落とし、両手で箱の底を持って満身の力を込めた。うぐぐぐ…歯を食いしばると、何とか持ち上がった。しかし、それが精一杯だった。よろけてまともに歩けない。山中を歩き回り、足腰に自信はあったが、なんせまともに食べていない。フラつく円空から荷を奪うと水主(船員)が軽々、船内へ運び入れていく。
「そういうことだ。余計な人間を乗せる余裕はない」
「余計ではない」
「ほぉ…」
船頭は目を細めて改めて円空を見た。
「ただの物乞いとは違うというわけか。お前に何ができる?」
お前に何ができる。
今まで何度この言葉を自問した?
何度、人に問われた?
そのたび、黙るしかなかった。
何も出来はしない。
未だ、喪った母を仏に求める半端者だ。
己の心1つ満たせぬ自分が人に何を施せよう。
黙した円空を一瞥すると、話はついたとばかりに船頭は背を向けた。
山に籠ったところで結局コレか、変われぬ弱い自分がいる。悔しくて、両手を握ったら、出ない言葉の代わりに身体だけ前へかしいだ。
その拍子に頭陀袋が肩から滑り落ち、中身が地面に転がった。
カランカランカラン!
高く乾いた木のぶつかり合う音に、船頭が振り向いた。
山で拾った木切れで作った無数の小さな仏像だった。
船頭は黙ってその1体を拾うと、じっと眺めた。
「海神は大喰らいだ。月に10人、20人の供物じゃ納得しねぇ」
船頭は船内で働く水主を振り返った。
「あの中の何人が無事弘前に着けるか。半分残ればいい方よ」
そこで言葉を切ると円空を見た。
「それをこのちっぽけな仏が防げるかよ?」
「造作ない、防げる」
円空は言い切った。
自分の中の仏を求めて今まで何回経を唱えてきたろう。
自らに巣食う邪を打ち消さんと何回滝に打たれただろう。
それでも仏は見えず、邪(よこしま)な気持ちは消えない。
そんな自分が彫った仏だ。
だから防げる。
生きる哀しみも悔しさも存分に込められている。
7つの海を統べる神だとて、1人の人間の積年の想いを侮らぬ方が良い。
船頭は探るように円空を見つめていたが、乗んな、と短く言うと、水主の何人かに声をかけた。
「おい、新入りに飯を食わせてやれ」
円空を振り向くとニヤッと笑った。
「死ぬほど働かせてやるぜ。船酔いで吐く暇もないほどにな」
「ありがたい」
頭を下げると円空は足早に船に乗り込んだ。

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船は一度も荒波に踊らされることなく弘前に着いた。
円空が下船する時、船頭が手で木仏を軽く放りながら言った。
「見てくれはイマイチだが縁起が良いな。助かったぜ」
「それは置いていきます」
「ふん。で、これからどうする?」
「さて」
円空は首を傾げた。
「歩きます」
「歩く?歩いてどうする」
「歩くうち、自ずと決まるでしょう」
一礼すると円空は踵を返した。
港に降り立ち、振り返ると、船頭とその後ろに水主達の姿が見えた。
船頭は木仏のおかげと言ったが、無事着けたのは彼らのおかげに違いない。もう一度頭を下げると円空は歩き出した。

津軽郡蓬田村の海岸沿いを歩いていると呼び止められた。
松前藩の武士のようだった。近くの正法院という寺で航海の無事を祈って加持祈祷が行われるらしい。
「近く、参勤交代があってな、道中の無事を祈るものよ」
頷いた円空に武士は重ねて言った。
「それが頼んであった僧が突然、来れぬと言う。要はコレよ」
指で丸を作ると武士は顔を顰めた。
「南無阿弥陀が聞いて笑うわ。現世利益を1番得ているのは奴等よ」
だいたい、話はわかった。円空は愚痴に変わりそうな武士の言葉を遮ると言った。
「一介の名もなき旅僧だが、私で良ければ祈りましょう。布施は要りませ…いや、芋の一切れでももらえればありがたい」
武士はニッと笑うと軽く円空の肩を叩いた。
「話が早くて助かる」

祈祷が終わり、寺の奥の部屋で横になって休んでいるうち、いつの間にか眠っていた。
「どこの馬の骨と知れん。芋すら贅沢よ」
「聞こえるぞ」
「何、寝ている。さっき確かめた」
人の声で目が覚めた。
「何でも木仏を彫って回っているらしい」
「ほぅ。遊行僧が仏師の真似事か」
「さぁな」
「ついでだ、彫ってもらうとしようや」
「ははっ。奴も芋1つで高くついたな」
「何、理由をつけて芋すらやらんよ。あの手の連中は士農工商を外れて生きておる。士農工商とは何か、世間よ。それを外れて勝手にやっては胡散臭い経をあげて食い物をねだる。もっともらしい芝居を打つ分、犬畜生よりタチが悪い」
忍び笑いが漏れる。
円空はじっと横になったまま動かなかった。
しばらくして、最初の武士が部屋にやって来た。
「お疲れのところ済まないが、木仏も彫ってもらえぬだろうか。村の者の心の拠り所にもなる」
聞こえてないと思っているからだろうが、先程の態度はおくびにも出さない。
「わかりました」
円空も静かに答えた。

結局円空はしばらくこの寺に滞在し、観音菩薩坐像を彫って収めた。

もはや期待もしていなかったが、布施代わりの芋は貰えなかった。
寺を去る時、最初の武士が駆け寄ってきた。
「色々してもらったのに済まない。こちらも台所事情が厳しくてな。芋1つ融通するのも難しいのだ」
「いえ。構いませぬ。旅のご無事を祈っております。それでは」
一礼して円空は歩き出した。
よくあることだ。
彼らが特段、汚いわけではない。
彼らと我、何も変わらぬ。
彫った仏が、村人達に愛されるといい。
それだけ願った。

海沿いから少し内陸へ入り、田舎館村あたりを歩いていると、小さな赤い屋根の弁天堂が見えた。
人が集まっている。
聞くと週に一度ここに集まり、講和をするらしい。
「講和ゆうて、先生などおらん。菩薩さんさ拝んで、茶飲み話するだけよ」
顔に幾筋も細かな皺の刻まれた老婆が笑って言う。
「そんでもその菩薩さんさおらんのじゃあ、最近は集まるんもなんかなー、こう肩の力が抜けるゆうか」
もう1人の老婆が言って、それをまた別の1人が混ぜっ返す。
「ゆーて、アンタ、肩の力の入ってたことのなかろうもん。猫の方がまだシャンシャン歩きよる」
「なんも、アンタも同じね」
ここでどっと笑いが起きて、円空も釣られて笑ってしまう。
村の絆である菩薩を失い、それでもこれほど明るく笑える。彼女らがそのまま菩薩に違いない。気づいたら、円空は彼女らに向かって手を合わせていた。キョトンとする彼女らに円空は言った。
「貴方達の菩薩様を、私に彫らせてくれませんか?」
途端、さっきのやかましさは何処へやら、老婆達は雀のように小さく固まって何やら相談し始めた。
「アンタ、名は何という?」
「円空と申します」
「円空やら…聞いたことないが…仏師かね?」
「いえ、ただの旅の僧侶です。各地でその場所にある木を使い、仏を彫って歩いています」
「はぁ…立派だべ。や、じゃっぱ汁でも飲むかね?」
話が微妙に逸れた気がする。
「それはありがたいですが、菩薩を彫ってもよろしいでしょうか?」
「やー、どうかね。オラ達もアレさ、そういうむつかしいことは、はー、わからんから」
金を気にしてるのだろうか。
そう思って円空は言った。
「彫ったからと言って、何か貰おうとは思っていません。ただ、制作期間中、どちらかの家に置かせていただければ」
しばらく、沈黙があった。
「結局、乞食だべ」
低い声だった。
皺にめり込んだ細い目がじっとこちらを見ていた。
これが、さっき笑っていたのと同じ老婆だろうか。
「オメエがなんで、オラ達の仏さんさ彫れるね。あんましバカにすんじゃねえよ」
「まぁいいべ。やりたい言うなら勝手にやらせるこった。良く出来てりゃ置いてやるし、そうじゃなかったらぶち割って、薪にすりゃええ」
円空は黙っていた。
「何とか言ったらどうだべ、やらせてやるゆうて、チンボのついとるんかね」
アッハー!と誰かが笑い、また堂内が静まり返った。

望まれて彫るなどおこがましい。
自分の仏像が人々の心を慰めるなど幻想だ。
請われもせぬのに、押しかけ女房のように割り込んでは、勝手に彫らせてもらうしかない。
そんな仏に意味があるのか。
苦悩しながらも縦に大きく裂けた木を剥がし、人の丈を超える高さの十一面観音菩薩立像を作った。弁天堂へは、村人と2人で斜めにして運び入れた。

鼻が少し削れている

やがて、観音像を見ようと村人が集まってきた。
中には例の老婆達もいた。他に人がいるからか、何も言わずに眺めていた。
「こりゃまた素朴な観音様だで」
「撫でたくなるわなぁ」
「前の観音様は拝みたくなったが、こっちは一緒に酒でも飲めそうよ」
「でもありがたみがねーわな」
誰かがそう言って、場の空気が変わった。
黙って眺めていた何人かが溜め込んでいたものを吐き出すように話し出す。
「第一、こげなもん、誰が言って作らせたよ」
「こんなもんはまやかしよ。この村の菩薩様さ、一体しかねぇはずだ。何をそれを、こんな、ここは村ば菩薩様の場所やろがい!」
興奮した男が立ち上がり、村人を押し除け観音像へ向かっていく。止めようとする村人を振り払い、観音像の顔に手がかかった。
「気に入らないならのけます、落ち着いてください!」
円空が制止に入った瞬間、男の腕が振り抜かれた。次の瞬間、薄い檜の板に彫られた像は地面に打ちつけられると、木片が弾け飛んだ。
立たせてみると、鼻が欠けていた。
円空は黙って、弁天堂から像を運び出し、外壁に立て掛けた。
「不要なら、燃やしてくれて結構です。どうも余計なことをしたようです」
勝手に彫ったわけではない。
老婆達と話したあと、村長にも許可を取った。
それでも信仰心とは所詮個々の心の問題だ。
受け入れてもらえぬこともある。
いや、その方が多いと知っておくべきだ。
こんなことを続けて何か意味があるのか。
迷いながら、それでも円空は歩き続け、弘前の各地で木仏を彫り続けた。

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そして1666年3月、円空は蝦夷へ渡った。
松前半島の海岸を北上した上ノ国の観音堂にも田舎館村と同様、観音立像を奉納した。

堂は村人達で管理されており、円空の観音像を見た村人達の反応は様々だった。けれど、概ね、好意的に受け入れられた。
「やわらけぇお姿の仏さんさ作ってもらって…」
首長の言葉に円空は頭を下げた。
この像が、本当の意味で観音像になれるかどうかは、これからどれだけの時間を人々と共に歩めるかにかかっている。仏を彫るとは、大樹の種を蒔くことだ。彫ったその時にはまだ芽も見えぬ。それでいい。いずれ、何かが芽吹くことを願って、地中に小さな種を埋め込んでいこう。たとえ芽吹くのが、この命が尽きた先の世でも構わない。1000年を生きる檜の立像だ。

円空は上ノ国から木古内、木古内から有珠山麓の善光寺へ向かった。噴火の爪痕を目にし、鎮魂と今を生きる人達の少しでも支えになればと、観音菩薩坐像を彫った。

鑿は最小限に、怒りも悲しみも丸く包むようなふっくらした身体の像に仕上げた。顔はやや、俯いている。
この世には正視に絶えぬこともある。そんな時は俯いてやり過ごすのがいい。生き延びさえすればいずれ、顔のあげられる日もこよう。
「見ていると心の鎮まるようです」
住職の言葉がありがたかった。
「この間の噴火による飢饉ではだいぶ人も死にました」
「……」
「親兄弟を亡くした者も多い」
円空の母も洪水の川に呑まれた。自然の猛威は如何ともし難い。大切な人を喪ったあと、どう生きるか、それを円空自身、今も探している。
「この仏様は秘することなく、多くの人に見てもらいましょう。いや、多くの人を見守ってもらいましょう」
円空は頷いた。
仏像は人々と共にあって初めてその力を発揮する。
日々撫でられ、話しかけられ、そして時々、拝まれる。自分の仏像はそのくらいがちょうどいい。そのくらい、人々の生活の中へ溶け込んで在りたい。
「これからどこへ参りますか」
「太田山へ籠るつもりです」
住職はそっと観音像を持ち上げると、差し出した。
「円空殿も、撫でて行かれたらどうです?」
円空は両手でその輪郭をなぞるように像を撫でた。
彫り跡の1つ1つに指先や手のひらが触れるたび、彫っていた時の感情が蘇る。ひゅーひゅーと、心の臓に空いた穴を風が吹き抜けるような寂しさだった。
有珠で見た、潰されたまま放置された家々、人気の絶えた道。座り込んだまま動かない人々。
皆に仏の加護があるように。そう唱えながら彫った。
「円空殿に仏の加護があらんことを」
住職の言葉に深く頭を下げた。ありがたくて、しばらくそのまま動けなかった。

善光寺を辞すと再び松前へ戻り、今度は松前半島を回り込んで北上し、太田山へ向かった。
太田山は昔からの山岳霊場だった。
蝦夷行脚の総仕上げとして、山中の洞窟で100日間の護摩行を行うつもりだった。

円空が修行したとされる太田山の洞窟

山で採れる山菜のみで命を保たせ、炎の前でひたすら経を唱えた。熱で顔の皮膚を焼かれ、水膨れがいくつもできては、弾け、その上にまた水膨れができた。痛みはやがて消え、自分の唱える経の声がどこか天空より降ってくるように感じた。疲れと寝不足から視界は濁り、時間の感覚も麻痺した。今、自分は目を開けているのか、閉じているのか。眼下にマグマが渦巻いているのが見えた。そこに勾玉の形をした、小さな胎児の自分がいる。勾玉の先端を鰭のよう動かしながら、胎児はマグマに潜っていこうとしている。丸い頭をぐりぐりマグマの表面に押しつけ、鰭をヒュンヒュン左右に振っている。やがて、ヌポッとマグマに吸い込まれた。その穴に、勾玉の胎児を見ていた私も吸い込まれた。
穴の先は深緑色の世界だった。洞窟のような場所で、下に行くほど緑が薄まり、翡翠に近い。その宙空で裸のまま私は浮いていた。ゆっくり回転している。心地良くて、眠ってしまいそうだった。何気なく顔に手を触れると、水膨れが重なったかさぶたが、ボロボロ剥がれた。面白くてアハアハ笑いながら触り続けると、顔自体が砂で出来た彫刻のように崩れだし、続けて身体や腕も崩れていく。ほどなくして私は翡翠の表面に積もる塵に変わった。アハアハという笑い声だけが洞内に響いていた。

自分の嗚咽する声で目を覚ました。護摩行の途中で意識を失ったらしい。反射的に顔に手をやると、分厚いかさぶたに触れた。どうやら顔は崩れてないようだ。口に入った灰を吐き出すと、円空は座り直した。何が悲しくて嗚咽していたか。この世へ生み落とされたことの不幸をか。私は笑っていたのではなかったか。いや、どちらも同じか。
泣き声でも笑い声でも声を上げれば気づく。自分が1人だということに。
洞窟の外は満月だった。まだ100日は経っていないだろう。それでも円空は火を消すと立ち上がった。

1度、美濃(岐阜:生まれ故郷)へ帰ることにした。
蝦夷から弘前に戻り、再び田舎館村を通った。
円空が立てかけたところに観音像はなかった。
弁天堂の中を覗こうかと思ったが、やめた。
あの後、燃やされたならそれで良し。堂に戻され、人々に愛でられているならありがたい。
しばらく歩くと、堂へ向かう村人2人とすれ違った。
護摩行の煤で黒ずみ、こけた頰のせいか、2人は円空と気づかぬようだった。
「見慣れりゃええもんだわ」
「いんや、オラはきれぇだ。あんの像、のっぺり立って薄気味の悪いもん」
すれ違いざま、聞こえた会話に円空はわずか、微笑んだ。

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美濃へ戻った後も円空は伊吹山や白山で山岳修行を続けた。
そして1674年春、43歳の時、志摩(三重県)にある片田の三蔵寺と立神の医王堂を訪れた。それぞれの寺で「大般若経」600巻を修復し、経の教えを絵で表した。定められた期間で大量に描かなくてはならない中、円空は表現の省略を覚えていった。細部まで描けば表層は顕(あらわ)になるが、それは飾りであって、本質はもっとシンプルだ。仏を10体描こうが、1体だろうが変わらない。

初期の絵(描き込みが多い)
省略の進んだ後半の絵

そもそも、目に見えるところに本質などない。それはおのおのが自らの足で辿り着くものだ。なら何故描くか。辿り着くべき場所までの道しるべ代わりだ。
余計を描かず、本質のみえぐり取る。
そうか、仏もそう彫れば良かったか。
描きながら円空は気づいた。
そして立神の少林寺に護法神像と観音菩薩立像を収めた。

異形の護法神
護法神、観音像ともに抽象化が進んでいる

護法神像は桜の枯れ木を使い、樹皮もそのまま残した。枯れ木がそのまま仏に見えた。あとはそこに、目鼻をつけてやれば良い。人々に分かりよくするためだ。それ以上の余計な手を加えれば、それは仏そのものではなく、人が作った像になってしまう。
最澄上人の「一切衆生悉有仏性」、その意味がようやくわかりかけていた。そのままそこ、ここに、仏はある。作るでなく、元よりあるのだ。それを彫り出すだけだ。本当は、そんなことすらしなくてよいのだろう。けれど、より多くの人にその姿を知らせるのも私の役目だ。
ありがたく、鑿を振るわせていただこう、おこがましいと知って。
どうかお力をお貸しください。私を含め、弱き人の子らのために。円空は、彫る前にいつも木に向かって手を合わせ、深く頭(こうべ)を垂れた。もし不甲斐ないこの私の中にも仏があるのなら、それはこうして木に手を合わせている瞬間だろう。

志摩での経の修復を終えると、円空は旅の始まり、尾張へ移った。
請われて荒子観音寺では不動明王立像や愛染明王像を収めた。それらを彫って出た木っ端にも仏が1つ1つ宿って見えた。円空は木っ端1つ1つに見える仏の形を彫り出していった。その数、1250体。どれも手のひらに収まる大きさだ。数寸のものもある。

小さな木っ端仏たち

いつだったか、北前船に乗った時、私は自分の彫った仏には生きることの哀しみが込められていると感じていた。
たしかに生きることはままならず、ため息をつきたくなることばかりだ。けれど世界は灰色ではない、見渡せばどうしようもない私をお救いくださる仏に満ちている。どんな時も1人でしっかり歩かなくてはと思えば辛い。よろよろゆけばよい。傍らにはいつも仏様がいてくださる。
それを誰もに感じて欲しかった。この木っ端仏を握って貰えばわかる。涙こらえて立ちすくむしかない時も、掌(たなごころ)の中に仏はいる。

尾張の旅は続く。
西尾の浄名寺では木っ端仏から一転、立ち木からそのまま観音菩薩立像を彫り出した。直径3尺(90センチ)を超える菩薩像だったが、円空はその表情を限りなく優しく彫った。どうかこの像を見上げる人がその束の間だけでも、苦しさや寂しさから解き放たれますように。彫ることは、円空自身の人々への祈りだった。祈りの形が仏か。

その後も江南の音楽寺で十二神将像などを収め、美濃の羽島へ移った。生まれ故郷のすぐ近くだ。村々を歩けば秋の空気が心地良かった。風の中にも仏か。生かされている、歩かせていただいている。ありがたい。歩きながら、自然と涙が溢れた。
中観音堂では失った御本尊を彫って欲しいと頼まれた。
「拝むべきものがあれば、村の人達の心も休まります。どうか人々を優しく見守る仏様を」
円空は住職の言葉を俯いて聞いていた。初めて、弘前の地に降り立った時、私の仏像は望まれてもなく、押し売りのように彫っては、疎まれるしかなかった。人々の役に立ちたいと願いながら、蔑まれる日々だった。だから今、住職の言葉がありがたい。大いに彫ろう。万感の祈りを込めて。
そうして円空は7尺(2m超)の十一面観音菩薩を彫り上げた。後年、この像の背面の埋木の中には、鏡が収められていることがわかった。それは円空の母の形見と言われている。

羽島で十一面観音菩薩を彫りあげると、関へ移った。
村を歩いていると、神社の狛犬の台座に猫が伸びていた。村人に聞くと、この高賀神社には狛犬がないらしい。
「昔はあったと思うのですが…奪われたか、壊されたか。社(やしろ)の護りとして置きたいのですが、なにぶん、お金もありません」
そう言って寂しそうに笑う、住職に円空は言った。
「もし良ければ、その狛犬、私に彫らせて頂けませんか?」
住職は快く承諾してくれた。狛犬を彫るのは初めてだったが、楽しかった。既に円空は、人の形に依らずとも仏を現せるようになっていた。楽しく鑿を振るい、ニヤリと笑うようなかつてない狛犬を彫りあげた。

円空の彫った狛犬は、大人よりむしろ村の子供達に人気だった。日向ぼっこの場所を奪われた猫はやや不満そうではあったが、狛犬の足元にくるんと丸まった。
狛犬の一件で村の人達に迎え入れられた円空はしばし、この村に留まることにした。
ある日、住職が円空を寺の裏山に案内した。
数年前の台風で根元から折れ、放置された檜があった。
これで、観音様でも彫ってもらえないか。
円空は二つ返事で引き受けた。
寺から斧を借り、8尺(240センチ)ほどの丸木を縦に真っ二つ割った。その一方をさらに半分に縦に割る。都合、3枚の細長い板ができた。そこに円空は「十一面観音菩薩立像」と「善女龍王立像」と「善財童子立像」を彫り上げた。当然、3対は向かい合わせるとぴったり重なり、元の檜の丸木に戻った。一木の中に眠る仏を材を無駄にすることなく見事に彫り出した、円空の傑作の1つと言われている。

1695年、気づけば、尾張の高田寺の境内に座り込み、燕の行く末を見送ったあの日から、40年の月日が流れていた。
はや、64歳。まだ身体は動くが、旅を続けるには心許ない。そろそろ頃合いか、そう思った。
関の弥勒寺を再建すると、円空は定住を決めた。母がいる、長良川の近くだった。
春、川沿いの桜を眺めながら歩いた。美しく咲き誇る桜の中に、途中で折れ、朽ちたまま立つ老木を見つけた。その幹にそっと手をやり、自分の手の甲を改めて見つめた。
長年、鑿を握り締めたためか、深く細かい皺が走っている。いつかの老婆の顔が浮かんだ。彼女はまだ健在だろうか、もう亡くなったろうか。
どちらにせよ、遅いか早いかの違いで人は逝く。
寂しいが、それが人の世の習いで、だからこそ、この世は美しい。私たちは、有限の中の煌めきを生きる。仏様は悠久の時を生き、それを見守ってくださる。安心して逝けばよい。また巡り会わん。いつかの春に。
桜が散る頃、円空は入定(断食し、死に向かうこと)することを決めた。長良川のほとり、藤の花の下に自ら穴を掘り、その中へ座った。
別れを惜しみ、なかなか土を被せようとしない村人に円空は笑って言った。
「じき、藤が咲く。その花の散るまでは、生きていると思って欲しい。だからどうか笑ってくれないか。最期に見るのは、できればあなた方の笑顔がいい」
すすり泣く声が聞こえた。
無理もない、普通の人には理解し難いだろう。
けれど悲しいことじゃないのだ、本当に。
旅を繰り返してきた。別れと出会いを繰り返してきた。
旅の終わりはいつだって別れだ。けれどいつかまた…
1人の老婆が穴のそばにしゃがみ込み、何かを差し出した。
手のひらに収まるものだ。
受け取って、眺めて、こらえようとして、耐え切れず、嗚咽が漏れた。
「ワシらが彫った仏じゃ。円空さんみたくは彫れねぇが。ワシらの代わりに一緒に連れてってくだされ」
今までどれだけ仏を彫ってきたろう。苦しみに呻き、哀しみに俯き、怒りに震える人達へ。その自分が最後にこんな贈り物をされるとは。ずっと探していた仏が今、掌(てのひら)にあった。
円空は小さな木仏を掲げるようにおし頂くと、しっかと胸に抱えた。感謝の想いは溢れど、何も言葉は出なかった。
生きることは辛い。けれどこんなにも美しい。
歩き続け、彫り続け、それを最後に知れた。
ありがたい。

円空入定跡地。今も藤棚が残る


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円空は生涯で10万体以上の仏を彫ったと伝えられる。
そのうち現存するのは5000体ほど。
どの像も立派な博物館などではなく、小さな村のお堂などで、村人に愛でられ、大切にされ、今に伝えられている。
仏像の概念を打ち破る円空の像はしかし、それゆえに仏とは何か、慈悲とは何かを無言のうちに語りかけてくる。
とはいうものの、掌を開いても仏は見えない。
それでいい、見えなくていい、見えない何かを信じようとする時、人は初めて少し強くなれる。そんな声が、どこからか聞こえた気がして振り向いた(終)

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