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潜水1:孤独

私は私の孤独感の正体を知るために、心の中に潜って、深く考えてみる。
私がなぜ孤独を感じるかと言われれば、答えは簡単。
人と話すことがないからである。
私は実家暮らしであるから、正確には
身内以外の人間と会話をすることがないということである。

「では人と話せばよいではないか」
その言葉は当然予想されるものであるが。
それができれば苦労はしない。それができないから、孤独感に苛まれているのである。

「ではなぜ話さないのか」
怖いからだ。
「なにが」
人が。
「どのように」
私の行為を勝手に解釈されることが。

「……もっと簡単に、詳しく」

私がAに話しかけた時に、Aが私のその行為の目的を考えられ、私の意識上では少なくとも表層していないものを勘繰られることが怖いのだ
「なるほど。君は人が怖いのではなく、人に君の行為の目的を勘繰られることが怖いと。」
いや、実態はもう少しピンポイントだ。つまるところ、私は私が人に話しかけたきっかけが、自分の寂しさを埋めるためとか、性欲を発散したいがためではないかと勘繰られることが怖くて嫌なのだ。そんなつもりで話しかけていないのに。でも本当に怖いのは――。
「怖いのは?」
私はそれを強く否定できないことが怖いのだ。つまり、私は自分の寂しさや性欲を発散させるために、人に話しかけてるのではないかと、もし誰かに突き付けられたとすれば、私は酷く狼藉して、自分の中に醜悪なものがいる可能性を認識し、私は反証も反抗も出来ずに、コミュニティから排斥されるだろう。
わかっている。私は心に醜悪なものを飼っている。これは世俗に生きる人には殆ど誰しも持ち得る人のカルマ。そのことは既に私は受け入れている。私が恐れているのは、コミュニティからの排斥。たとえ「人にはそれぞれのカルマがあること」が実は真理であったとしても、その真理がコミュニティに共有されているものとは限らない。むしろ、共有されている方が珍しいだろう。そしてそのような時、正義とは真理ではなく、コミュニティ間の秩序である。そして私は、話しかけた目的が寂しさ由来、性欲由来のものではないと、証拠を持って反論することは出来ないだろう。意識上ではそうではなかったとしても、無意識の中ではそれらの要因が私を支配しているかもしれず、実際そのように感じているが故に、わたしにできることは声を大きくして「それは違う」と言うしかない。実際には「それは違う」ことが違うのではないかという疑念疑惑が急速に私を支配する。
よって私は結局しどろもどろになるか、逆ギレするか、閉口するしかない。
それを人が見たらどうだろう。図星だ、と思われるに違いない。そしてコミュニティから追放される。それを私は酷く恐れているのである。
「いや長いわ。結局どういうこと? 一文で」
自分の醜さを認識しているが故に、コミュニティで生きていく上でもし醜さを指摘されれば追放待ったなしだからそれが怖い。
「コミュニティからの追放って、そんなに怖いのか」
当然だろう。仲間外れというものは誰でも怖い。
「確かに。昔はより物理的に・直接的に助け合わないと生きていけず、即ち死であるから、仲間外れにされることの恐怖が遺伝子に刻まれてても不思議じゃないかも」
チェンソーマンの根源的恐怖を冠する悪魔に、排斥、もしくは追放の悪魔がいないとおかしいと確信を持って言えるぐらいには、人間の根源的恐怖であると感じる。

「まあまあ、確かに追放されるのは怖いし」
うむ
「今でも人は助け合って生きていかないといけないけど」
うむ
「己の中にある醜さを棚に上げて君を追放しようとする者がいるコミュニティに、属していたいと思うのか?」
……。
「確かにコミュニティの中にいることの安心感はとてつもないけど、ただコミュニティにいられるならどこでもいいの? それによって、もし自分を曲げることになっても、君はコミュニティの安心を選ぶのかい?」
……それはーー
「思うに君の本当のカルマとは、自分の信条を曲げられないことだよ。だからコミュニティに執着しつつも、曲げられない信条の為にコミュニティに同化することもできず、自分の醜さを涼しい顔をして否定することも出来ない。」
……。
じゃあ、私はどうすればいいのだろう。確かに私の信条はそう簡単に変えられない。私は自我が強いから、アイデンティティをいじくることは心身ともに少なからず影響がでる。私はわたしだと思う見えない何かが心の中にないと、実存的な恐怖に襲われる。ならば私はそもそもコミュニティに入るべきではないのか? その執着がまわりまわって私を蝕むなら、もはやコミュニティを拒絶して一人で生きていく方が、最終的には幸せなのでは……?
「明確な答えは私には出せないけど……一人で生きることはやっぱり辛いよ。孤独は弧毒なんだ。実際、科学的に、孤独でいることの悪影響は証明されてるし。」
やっぱり、信条を無理やり変えるしか……
「いやいや、無理なこと言わない。それに君の信条は『誠実であること』だから、余計に無理でしょ。もっと気楽に考えて。」
気楽に……?
「そう。結局のところ、君の孤独感の正体とは、人付き合い適正の低さなわけ。その原因は信条にあって、それを変えることは出来ないんだから、まずもって人付き合い適正を高めることは諦めた方が良い。」
そんなあ。
「でも、それでいいんじゃない?」
……え?
「最初の方にも言ったけど、自分の醜さを棚に上げて指をさすような人と関わっても、しんどいだけなんだよ。だからそういう人とは関わらない方がいい。」
それは、そうだけど……
「というか、指をさされるのが怖くて交流してないから、実際に人に指をさされたことはほぼないんじゃない?」
グサッ。
「だから気軽にまず、自分から進んで交流してみたら? それで話しかけたときに、相手にその目的を邪推されたり、何も言われず遠ざけられたら、君も何も言わず離れればいい。それは合わなかったってだけだから。邪推した人に後ろ指を差されたって、無視したらいいのさ。」
いやでも話しかけたい人がもし、自分が既に所属している、抜けにくいコミュニティの中にいる人のとき、変な邪推をされてそれを噂でもされたら、それこそ自分の居場所がなくなってコミュニティから追い出されるんじゃない? そういう時はーー
「それは結構難しい問題だけどね~。怖ければ、むしろその抜けにくいコミュニティの中にいる人と仲良くなるのは諦めて、別の人にリソースを割くのもいいかもね。なにせ今コミュニティの中には入ってるんだから。コミュニティの中にいるという安心感は得つつ、孤独感は同コミュの別の人と、もしくはそのコミュニティにはいない別の人で解消したらいい。」
なるほど、それは確かにそうかもしれない。
ありがとう。とりあえず、まずは交流してみる。そこからだよね。
「その通り。あとは頑張れ!」

なんとなく答えがでたので、私は浮き上がる。心の世界から現実世界に戻る一歩手前で、まるで捨て台詞のように、それは呟く。

「君の信条は誠実って言ったけど」
「君のその“誠実”って、気持ち悪いぐらいに脆くて怪しいものだけどね。それはまた、別の機会に。」


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