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学生最後の日に、何を思うか。

ついにこの日がやってきてしまった。今日は私が学生と称される最後の日だ。

先週の水曜日、本来であれば私の大学では卒業式が行われるはずだった。先週の月曜日、本来であれば所属していたサークルでは追いコンがあり、正式に(?)追い出されるはずだった。もっと前を遡るなら、その前の週には卒業旅行で海外に行くはずだったし、その前の週には大学の友人複数人とディズニーに行く予定なんかも立てていた。上記の予定たちは全て、取りやめ、中止、自粛する運びとなった。

今は、若者ひとり一人が意識的に、自分の健康はもちろんのこと、それ以上に周りの人々の健康と命を守るために行動をするべきであることは百も承知だ。恥ずかしながら、私は小池都知事が週末に外出自粛要請をするまで恐怖の実感があまり持てていなかった。ところが昨日、志村けんさんが亡くなったという報道を見て、急に心がざわめいた。いつもテレビで見ていた人が、どうして。もしかしたら今隣にいる人が、私のせいで亡くなってしまう可能性があるんだな、と強く強く理解した。

ここ一週間、私はずっとモヤモヤしていた。コロナは怖い。社会人になるのも怖い。母の鬱っ気はマシにはなってきているけど、本調子じゃない。観光業に従事している父は、かつてないほどイライラ(本人もきっと、とても不安なのだと思う)している。家も、社会も不安定だ。よって私の気分も不安定だ。でもなんだ、このモヤモヤは。不安定と一言で片付けたくない!一体このモヤモヤの核は何なのだ。

考えれば考えるほどわからなくなって、鬱っ気が残っている母親相手に、先日大泣きしてしまった。不思議なことに、私がパニックになると、母は冷静にならなきゃと母性本能が働くみたいで、ゆっくりゆっくりと私の話を聞いてくれた。大学に入学する前も不安がっていたねえとか、就職活動のとき大変そうだったねえとか、母と話している内に、私は一つモヤモヤの正体を見つけた。

要は、気持ちの整理がつかないのである。どんどん加速して不安になるこの状況や環境に、私の心が追いつかないのである。

正直に言おう。コロナ、お前のせいで色んなことに未練たらたらだ!若者が出歩くたび無症状でウイルスばらまいているだの、こんな時期に集まるもんでない、社会人になる身として、あまりにも責任感がない、常識がないだの。その意見は正しい。私たち学生、若者だって馬鹿じゃない。私は、大多数で集まる予定をそれでも自粛したつもりだけど、でも集まりたい人の気持ちだって痛いほどわかる。

だってただでさえ不安なんだもの。社会人という新しいステージに立つことは、コロナウイルスが蔓延しているこの状況下でなくとも、人生における一大事であることに間違い無いだろう。その不安や焦りを、友人たちと集まって話して共有して、大学時代こんなことあったね、また頑張れるかなって言い合いたい気持ちになることは至って普通のことじゃないのだろうか。わかる、今が非常事態だってことは。

でも、この区切りがつかない気持ちとどう向き合えばいいのか、どう折り合いをつけたらいいのか、立派で責任感があって常識があるであろう若者批判に熱心な大人の皆様方は教えてくれない。そんなこと学校でも教えてくれなかったし!

これは、だから友人と集まりたい、出歩きたい、という意見なのではない。現に、きちんとした責任意識を持った若者たちは不要不急の外出はしていない。誰かを槍玉にして批判して鬱憤を晴らすような空気そのものに辟易しているのだ。ということで私は、モヤモヤの原因の一つである気持ちの整理のつかなさを解消するために、noteで自身の大学生活を文字起こしすることにした。(前置きが長い!)

私が卒業した大学は、東京の田舎にある。JR中央線から、ローカルな電鉄に乗り換えて、ようやく着くといった具合だ。私の住んでいる地域も東京の郊外であるため都心に一旦出て、また郊外へ向かうという極めて通学時間が長い(片道約2時間)大学生活を送った。長い長い通学時間、最初はフランス語の単語を覚えようだの、本を読もうだの、色々と挑戦はしてみたが、圧倒的眠気に完敗した4年間だった。

大学一年生の時は、言語の必修科目が多く(言語単位は1単位分にしかならなく、卒業するためには36単位取得する必要があったので、他大学よりも必然的に言語単位に追われることとなる)時間割の融通が思いのほか効かなかった。大学選び、もしかしたらミスったんじゃね、とうっすら思いながら、いかに空き時間とバイトの時間を確保できるか、を軸に必死に履修を組んだ記憶がある。

化粧品販売のアルバイトに慣れるのも必死だった。私が配属された当時、ベテランの美容部員の方が多く、緊張感漂う職場だった。たくさん注意もされたし、理不尽にキレられることも多々あった(今思うと、パワハラに近い)が、悔しい思いが募るほど見返してやる!と逆に奮闘心が燃えた。

一年生の終わりには「あなた逞しいわね、どこ行っても大丈夫よ」と言われ、意味もなく注意されることが無くなった。どこがどう評価されたのかわからないが、一応認めてもらったらしい。社会人になっても、ある程度やっていけるだろうという謎の自信感がついたのは、お姉様方のおかげです、ほんと。

二年生になると、だんだんと言語の勉強に慣れてきて、自分にとっての「楽しめる生活リズム」というものが掴めるようになってきた。これをすると、疲れる。あれをする時間が好きだ。など、自分が楽しく生活するために、やらなくてもいいことを減らして、やりたいことを増やして。アルバイトにも慣れて、お金もたまって、人生で初めてヨーロッパに行くなど、どんどん自由に楽しむ時間が増えていった。

三年生になると、言語単位からはほとんど解放されて、本格的に学んでみたかった社会学とジェンダー論の勉学に没頭していった。大学でバッと拡げた交友関係を、深めたり、精査したのもこの時期。合う人とは合うし、合わない人とは合わない。そこにしがみ付く必要はないな、と思い始めた時期だった。自分の中で、ストレスが圧倒的に減った。勉強も楽しいし、友人付き合いも楽しい。極め付けにサークル活動が集大成を迎えた。大学生最高だな、と思った年だった。

四年生になると、途端に就職活動に追われた。大学生最高だなと、思いだした矢先にすぐ就活をすることとなり、最初は気落ちしたが、やってみるとこれはこれで楽しかった。学生として、社会人の先輩に無条件に会ってもらえる+様々な話を聞くことができる機会はやはり貴重だと思う。それまでの3年間はひたすら前を見て走ってきたので、自分を振り返る良い機会にもなった。

就職活動が終わると、これまた途端にワタワタ卒論を執筆する準備に取り掛かり、実質「学生最後の〇〇」を意識する時期に入った。例えば、学生最後の学園祭、とか。じわじわと近付く学生生活の終わりに、切ないと思うようになった。四年生の後半で母親が体調を崩してからは、苦しい時間も多かった。けれども、最高だと思える私の大学生活を支えてくれた第一人者が両親であったことは十分承知していた。いきなり慣れない家事全般をするのは大変だったが、社会人になる前にある程度慣れておいて良かったと今では思う。

振り返ると大学生活は、季節は巡れど常に春の匂いがした。高校生までと違って、ガッツリと決まったカリキュラムのようなものがなく、毎年のように新しい経験をすることができていたからかもしれない。勉学がその中心だったが、それ以外にもサークル活動やアルバイトなど、様々なコミュニティで、新たなポジションについたり、別の役割が与えられたり。常に、楽なことばかりではなかったけれど、総じて充実した、本当にかけがえのない時間だった。

長閑な自然が広がり、多種多様な人が集まる、のびのびとした大学のキャンパスが大好きだった。気の合う友人と食べる学食、授業やゼミで新しい発見があったあの瞬間、サークルで仕事が終わらず夜遅くまで大学に残ったあの時間。何気ないと思っていた全ての時間に幸せが詰まっていた。大学と実家が遠すぎて、同じ東京のはずなのに、天気や気温が違うといったこともザラで、不便だったけれど、それすら何だか楽しかった。

こうした時間の共有を、もっと多くの友人と直接会ってしたかった。最後の思い出づくりだって、欲を言えば、もう少ししたかった。でもできない。だからこそ、モヤモヤしていたのだと思う。自分の記憶は、誰かに話すか、こうやって文章に起こすかでもしない限り、ボヤッとしてしまうものだから。noteを使ってて良かった。noteありがとう。

とりあえず、私は大学生活が、高校三年生の時に自身が想像していたもの以上に、楽しく充実してしまったため、どうやら未練が多いらしい。先月、私よりも一足先に社会人になった友人に会った際「大学が楽しすぎて社会人になることにビビっている自分がいる。過去ばかり振り返りそうでなんだか嫌だ、カッコ悪い。」と相談した。その時、友人が返してくれた言葉が忘れられない。「振り返りたい記憶がある人と、ない人どちらが幸せだと思う?振り返って何が悪いの?楽しかった経験や、熱くなった思い出があるから頑張れるんじゃない。」リアルに泣いた。がんばる。

さて、いよいよ明日からは社会人だ。正直、何が変わるのか、自分ではまだよくわからない。とりあえず、体調不良が自己責任と言われる歳になったということだけはわかる。ひたすら新しい物事に慣れ、吸収し、経験の食わず嫌いをしないこと。これをモットーに、ひとまず頑張ってみるか。がんばれ、自分。がんばれ、世界中の人。

本日はここまで。




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