【連載小説】小五郎は逃げない 第18話
幾松の行方 1/3
「どうしても行くがかえ。おまさん、必ず殺されるぜよ」
昨晩の立ち合いから一夜が明けようとしていた。辺りはまだ薄暗い。桂は新選組の屯所に行く言って、以蔵が制止しても聞き入れようとしない。
「暗殺剣のことはよくわかった。要するに、蹴られなければいいのだろ」
「蹴るとか蹴らんが問題じゃーないきに。おまさんにもしものことがあれば、高杉はんに申し訳が立たんきに」
「どういう意味だ」
以蔵は桂の返事に口をあんぐりと開けて、ばつの悪そうな顔をした。
「なぜ高杉に申し訳がたたんのだ。どういう意味だと聞いている」
「いやいや、江戸で高杉はんに散々世話してもろて、何かお返しすることはないがかえって聞いたら、京で桂を守ってやってくれって頼まれたがぜよ」
「と言うことは、あなたは偶然に四条大橋で、私を助けてくれたと言う訳ではなかったのだな」
「いやー、まあ、わしが京に戻って来て、おまさんを探し出すのに苦労したぜよ。池田屋の騒ぎから、ずっとおまさんの行動を見ちょったきに」
以蔵が言うには、次のようなことだった。京で暗殺を繰り返しているうちに、幕府側の手の者から怪しまれないように、一旦京を離れて江戸にいた時期があった。坂本龍馬の紹介もあり、剣の腕を買われて勝海舟などの要人のボディガードとして雇われたことがあった。その中に高杉晋作がいた。ボディガードと言っても、そうそう出番がある訳ではなく、以蔵は図々しくも雇い主の高杉の家に居候しているような生活を送っていた。面倒見の良い高杉は、食事から身の周りのことまで気を使ってくれ、時には遊郭へも連れて行ってくれた。以蔵は高杉の好意にどっぷり甘えて過ごしていた。
こんな生活が数ヶ月も続くと、以蔵もさすがに高杉に対して気兼ねしたらしく、武市の命を受けて京に戻ることになった時に、何か礼をさせてほしいと高杉に言った。高杉からはそんなものは必要ないときっぱり断られたのだが、その代わりと言っては何だが、自分の無二の親友であり、京に潜伏している桂を守ってやってほしいと頼まれたのだった。
以蔵は再び京に舞い戻り、武市の指示を受けて暗殺を繰り返す傍ら、桂の行方を追った。知り合いの土佐藩士から情報を得て、やっとのことで探し出し、桂が長州藩士や土佐藩士らと池田屋で集会を行うことを知った。そこで桂に会うべく以蔵も池田屋に向かった。池田屋の周りを乞食の姿でうろうろしていたのだが、疾風の如く新選組が現れ、池田屋は一瞬にして戦場と化した。この時、以蔵は鬼の形相となった近藤や沖田の顔を目に焼き付けた。刀を持っていない上に、桂が池田屋にいるかどうかもわからない状況で、以蔵は戦闘に加わることもできず、野次馬に紛れて動向を見守るしかなかった。
しかし、戦闘が激化する池田屋の二階から、屋根の上にいる一人の男の影を以蔵は見た。その影は隣の長屋に飛び移り、屋根伝いに逃走を始めた。大柄な男。高杉から桂の容姿について聞かされていたので、以蔵はその男がだれなのかすぐにわかった。幸いなことに、突入してきた新選組は少人数だったので、池田屋の周りを包囲する隊員はいなかった。近藤たちも戦闘に気を取られているのか、だれも追って来る気配がない。
以蔵はその男を追跡した。追跡の途中に、土方が率いる増援部隊に遭遇したが、乞食の姿の以蔵に目もくれない。屋根の上の男も身を隠していた。池田屋周辺には、新選組だけではなく、会津藩士たちも続々と集まり出し、池田屋から逃走した浪士たちの捜索を始めた。屋根の上の男・桂小五郎は、路上に降りて追手から身を隠しつつ、南の方向へと向かった。追手の数はどんどん増えて、桂は身動きが取れない様子だったが、意を決したように走り出した。以蔵もそれを追う。
しかし、五条通りを西へ走る桂を、烏丸通りから来た追手が見つけた。追手は会津藩士が三人。桂に目掛けて走り出そうとした時、すでに以蔵がその追手の背後に忍び寄っていた。一人の会津藩士が以蔵の気配に気付いて振り返った瞬間に、以蔵はその藩士のみぞおちに重いパンチを打ち込むや否や、その藩士の刀を取り上げると、咳き込む藩士の頭上から一刀を振り下ろした。右肩を骨ごとざっくり切り裂かれ、戦闘不能に陥った。他の藩士たちも以蔵に襲い掛かかった。もう一人の藩士が以蔵に向かって上段から一刀を振り下ろしてきた。以蔵は後ろに下がって回避する。なおも追撃してくるが、いとも簡単に以蔵は避ける。以蔵の右背後に回り込んできた三人目の藩士の動きも見逃さない。正面の藩士が上段から、右背後の藩士が突きをほぼ同時に繰り出した。同時と言っても、戦闘状態の人間が、寸分の狂いもなく動きを合わせることは極めて難しい。血気にはやった右背後の藩士の突きが、一瞬だけ早かった。以蔵はそのタイムラグを見逃さなかった。突きを繰り出した藩士の視界から、以蔵が消えた。気付いた時には、その藩士の足元で地面にへばり付くように低い姿勢を取り、強烈な足払いを食らわせた。その藩士は前へと倒れこみ、もう一人の藩士の刀の軌道を変え、二人の藩士は折り重なるようにして地面に倒れこんだ。素早く立ち上がろうとしたが、一人は上段から頭に一刀を叩きこまれ、頭蓋骨を砕かれた。続け様に三人目の藩士は、下段から腹部を右斜め方向に斬り上げられて、あえなく絶命した。
刀を投げ捨てた以蔵は、すぐさま桂を追った。暗闇に紛れた桂に追いつくには、そう時間はかからなかった。以蔵は持久力こそないが、短い距離であれば恐ろしく速く走ることができる。そして、裏口から置屋に忍び込む桂の姿を見つけ、滝のような雨の中で、置屋の外からどの部屋に明かりが灯るのかじっと待ち続けた。置屋が営業をしている時間帯であったので、客がいる部屋に桂が忍び込むはずがない。しかも女を頼ってきているなら、客のいない部屋に桂を匿うはずである。必ず灯りをつける。以蔵はそう考えて待ち続けたが、なかなか変化がない。しかし、二階にある一つの部屋がほのかに明るくなった。それを確認すると、夜明けも近くなってきていたので、以蔵は四条大橋の寝ぐらへと戻っていった。
追手の追跡が緩むまで、桂は身動きが取れないはずである。潜伏先を変えるとしても、夜以外に動くことはない。そう考えた以蔵は、手配書が回っていないとは言え、自分も追われている身なので、昼の間は橋の下で寝て過ごし、夜になると桂が潜伏する置屋を裏口から見張った。一晩、二晩と何も動きはなかった。部屋の明かりも消えたままである。雨は相変わらず降り続いていた。こんなじめじめした日々の間、桂はどうしているのか、桂以上にそんな危ない人間を匿っている女の方がたいへんだと思った。夜というのに、追手は引っ切り無しに以蔵の前を行き過ぎる。
三日目の夜だった。動きがあった。しかも良からぬ方向に。
桂が潜伏していると思われる部屋の中が騒々しい。怒鳴り声が聞こえた。桂が潜伏してることがばれたと直感的にわかった。以蔵は丸腰だったが、突入する意を固めた。しかし、急に騒ぎが治まった。表口に回って様子を伺ったところ、一人の舞妓だけが新選組に連れられて置屋から出て行った。池田屋で見た顔の隊士がいた。どうやって桂は身を隠し通せることができたのか、以蔵は舞妓には目もくれず再び裏口へと戻った。女がいなくなれば、桂はその置屋に長居することができなくなる。必ず動く。しばらく待っていると、夜というのに編傘を被った大男が裏口から出てきた。桂に間違いない。以蔵は後をつけた。
周囲を気にしながらどんどん西へ向かって歩く桂を見て、以蔵は嫌な予感がした。まさか新選組の屯所に行くつもりではなのか。
「この放っちょったら、桂小五郎が犬死してしまうきに」
以蔵は桂を引き留めようと、歩みを早めた時、目の前で桂は斎藤たちと遭遇してしまった。以蔵はとっさに身を隠した。桂は斎藤らと戦闘に入ったが、すぐに逃走を始めた。以蔵も追跡したが、桂の異常なまでの持久力についていくことができず、立ち止まった以蔵の目前で、永倉隊が合流を始めた。そのまま追い続けていたら、危うく永倉隊に怪しまれて捕まるところだった。以蔵はとにかく永倉隊の後を追ったが、桂の逃走ルートがわからない。永倉隊が続々と長屋の路地へとなだれ込んでいったので、以蔵は先回りしようと河原町通りに出たところで、桂が新選組隊士を一人倒したが、束になって躍り掛かって来る隊士たちに、捕えられそうになり三条大橋から大雨で増水した鴨川へ飛び込むところを目撃した。
橋の上で呆然とする新選組隊士をよそに、桂を濁流で目視することはできないが、鴨川沿いに南へ全力で走り始めた。短距離走であれば、日本人離れしたスピードを持つ以蔵は、自慢の脚力で約五百メートルをあっという間に駆け抜け、寝ぐらにしていた四条大橋の下に戻り、縄を手にした。土佐勤王党の使いの者がにぎり飯橋の上から吊り下げる際に、縄ごと落としていく時が度々あり、以蔵は何かの時に役に立つだろうと、それらをつないで一本の長い縄にして置いておいた。それを鷲づかみにすると、近くに落ちていた木切れに縄の先端をしばり付け、橋の上にかけ上がった。濁流で桂の姿が見えない。ひょっとしてすでに途中で岸へ這い上がったのか、それとも濁流に飲みこまれてしまったのか、以蔵はその不安を払拭するように目を凝らした。
「見えた、まだ生きちゅう!」
以蔵は川の中で浮き沈みする桂の位置を念入りに確かめ、桂が流れてくる方向と反対側の橋の欄干越しに木切れを川の中へ投げ込んだ。
<続く……>
<前回のお話はこちら>
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