【連載小説】小五郎は逃げない 第17話
暗殺剣 3/3
桂は以蔵の話に聞き入っていた。話の内容が聞きたかったのではない。以蔵が何か寂し気な顔で話していたからだった。下級武士とは言え、以蔵も武士として育ち、剣の鍛錬を積んできたはずである。武士として武士らしく生きたかったに違いない。しかし、武士道には程遠い、泥臭い殺し合いに身を投じ続けて来なければならなかった自分の運命を憂いている、桂はそう受け止めた。
「しかし、私が気絶するまで、力いっぱい蹴ることはなかったのではないか」
桂は不満そうに言った。
「そやき、謝っちゅうがや。そないに強く蹴るつもりはなかったがぜよ。ただおまさんの隙を作らせようとしたんがやけど、なかなかおまさんがそうならんやき、やっとのことで隙を見せたと思ったら、わしの体が勝手に蹴りを繰り出したがや」
以蔵は申し訳なさそうに言った。
「隙を作る、隙を作る、と何度も言っているが、どういう作戦だったのだ」
桂の怒りは収まらない。
「いや、特にどんな技を仕掛けるとか、何も考えておらんかったきに。その瞬間の直感じゃき。おまさんみたいな剣豪に、まともに向かっていって勝てるなんて、最初から思っとらんかったぜよ。隙を作らなければ、こっちの技が決まるはずもないきに。おまさんの攻撃をかわしながら隙を作らせるのは、えらい苦労したぜよ。ちっくと立ち合いの時間が長かったら、わしが負けちょったがや」
以蔵は人並外れた瞬発力を持っているが、極めて持久力が乏しい。しかし、一太刀交わしただけで、桂が底なしの体力を持っていることを悟った。そこで桂の体力を消耗させるために、木刀を振り続けるように誘った。さらに桂に打ち込んだ後に、簡単に弾き返されたのもフェイクだった。桂に以蔵の体が軽いと錯覚させて、いざ勝負の時にはより以蔵の体重が重いと感じさせるように仕向けた。桂の剛力を考えると、弾き返される時に力を抜き過ぎれば、後方にすっ飛ばされてしまう。フェイクを使うにも、力の調整加減は紙一重だった。隙を見せない相手でも、自分に有利になる隙を作らせる。以蔵はそんな駆け引きが、巧みに、しかも無意識にできてしまうのだった。
「ところであなたはまるで打ち込んでくるかのような覇気を漂わせながら、一向に打ち込んでこなかった。私はそれにつられるように打ち込んでしまって、体力を奪われたように思える。あの覇気は、どうやれば発することができるのだ」
以蔵の覇気に、百戦錬磨の桂が翻弄されてしまった。桂はそのことが気になって仕方がなかった。
「そりゃ、わしにもわからんぜよ。わしが思うには、狼が群れをなして、例えば鹿とか自分より体がでかい獲物を狙うとき、一斉に飛びかかったりはしやーせんきに。攻撃する振りをしてちくちく威嚇し、相手の恐怖心を煽りよるきに。鹿が逆に角で攻撃してくれば、上手いこと回避しちゅう。この駆け引きを長いこと続けちゅうと、鹿の方が滅入ってきて隙ができゆう。そしたら待っちょったとばかりに、背後から忍び寄ってきた別の狼が飛びかかりゆうきに。後は寄ってたかって、食いちぎられてむごたらしい最後ぜよ。たぶん、狼も人間も獲物を殺すことにかけちゃ、駆け引きっちゅうもんは、同じっちゅうことなんじゃろうな」
以蔵が熱弁を振るった。
「そんな話を笑顔でするな」
得意げに話す以蔵に桂が愛想なく答えた。
新選組の屯所では鴨川で見つかった死体について、近藤への報告が行われていた。死体発見現場にやってきた会津藩士が、藩邸内で確認を取ったところ、背格好から見て行方不明の藩士であることは間違いないとの報告が、すでに土方の元に知らされていた。桂の逃走中に、捜索に当たっていた会津藩士が殺されたのである。偶然にしては、あまりにタイミングが良過ぎる。
「歳、鴨川で見つかった会津藩士は、殺されたことに間違いないのだな」
「間違いない。あれは事故なんかじゃない。首をかき斬られた跡があった。殺したやつは相当殺しに手慣れたやつだ」
近藤の問いに土方が答えた。
「しかし、だれがやったんでしょうねぇ。桂が生きていたとしても、刀がなければ殺しようがないですし。それと以前から気になってたんですが、池田屋襲撃の後、殺され三人の会津藩士は桂の逃走中に出っくわして斬られたと思われていますが、普通そんな状況で三人相手に斬り合いをしますかね。私だったら一目散に逃げますよ。どうも桂がやったようには思えないんですよねえ」
沖田が持論を述べた。
「確かにそうですね。追手がうようよしているのに、町のど真ん中で斬り合いなんかやっていたら、敵が増える一方だ。普通は逃げることを優先しますよね。しかし、殺された三人と鴨川で見つかった死体は皆桂を追っていた会津藩士です。つながりがあります。仮に桂が生きているとしたら、まるで桂を護衛する剣の手練れがいるようですね。桂の生死と殺しの手練れ、どうも関係がないとは思えませんがね」
今度は沖田の問いに斎藤が答えた。
「桂の死体が川から上がらないとなれば、桂が生きていると考えねばならんだろうな。斎藤らが桂と出っくわした時、普段は人の膝か腰くらいまでの深さしかない鴨川が、人を押し流すほど増水したってのは、桂にとってはついてたんだろうな。そのお陰で桂がおれたちから逃れられたんだからな。それで、桂のやつが運よく濁流の中から脱出できたとしても、瀕死に近い状態だっただろう。殺された会津藩士に見つかって戦闘になったとしても、相手の刀を奪って斬り捨てるほどの体力は、残っていなかったはずだ。そう考えれば、殺したのは桂じゃない。しかし、桂と別の下手人がつながっているのかいないのか、それがどうもわからん」
土方が推論を述べた。
「その会津藩士がどこでどう殺されたのか考えてみろ。あの夜、わしらだけではなく、会津藩や見廻組も合わせて、かなりの人数で桂の捜索をやっておった。死体が見つかったのは五条大橋と七条大橋の間。どこで川に放り込まれたかはわからんが、鴨川の流れる方向から考えて、殺害現場は少なくとも五条大橋より北になる。桂が川に飛び込んだのは、三条大橋でその辺りはわしら追手がうようよと走り回っていたはずじゃ。そんなところで斬り合いをしていたら、だれかに見られたとしても不思議ではない。その会津藩士はどこか別の場所で殺されて川に放り込まれたのか、それとも川沿いの人目の付かないところじゃ。しかし、別の場所で殺して鴨川まで運んでいたら、それはそれでわしら追手に見られていたはず。おまえら鴨川沿いで人目に付き難い場所をどっか見落としてはおらんか」
土方の話の途中から、近藤が口を挟んできた。
「もう一度、鴨川沿いでそんな場所がないか探してみます。しかし、近藤さんの話を聞いていると、その下手人はまるで桂を追手からかばったように聞こえますね」
沖田が近藤に言った。
「わからんのぉ。今、京を騒がしてる人斬りが桂に加担したんかのぉ」
「まさか、そんなことはないでしょう。桂ってやつは、殺しをやらないってことで知れ渡ってます。そんなやつと残虐非道な人斬りがつながっているなんて、考え難いですね。それじゃ、明日の朝から鴨川沿いを見てきます」
近藤の冗談話しに真面目に答えた沖田は、斎藤と一緒に屯所の奥へと消えていった。
「ちっ、近藤さんのやつ、人が話しているのに横から口を挟んで、美味しいところを持っていきやがった。まぁいい。桂が生きているとなれば、あの女の出番だな」
土方は独り言ちた。
<続く……>
<前回のお話はこちら>
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