【通勤電車の詩@出張版】古びたホームはその時を待つ
この駅には使われていないホームがある。
1番隅っこにあって、幅も1mほどで狭い。
過去に使われていたことがあるのだろうか。
古びれたままひっそりとしている。
それなのになぜか妙な存在感がある。
このホームには屋根がなくて雨ざらし。
歩廊はコンクリートでてきていて、所々ひび割れている。
角っこの方は、中の鉄筋が剥き出しになって錆びている。
駅員さんは、もう危なくて使えないって思っているのだろう。
40年以上前のこと、ぼくが小学6年生の時、この駅から青空号と言う名の特急電車に乗って修学旅行に行ったことがある。
記憶が曖昧なのだが、あの時ぼくらが電車に乗り込んだのは、その古いホームからだったような気がする。
もしそうだったら、このホームも現役で頑張ってた時があったと言うことだ。
何年もの間、散々いろんな人に踏んづけられながら、乗客を支えてきたんだなぁ。
今は後輩の新しいホームにその役目を譲って、今は隠居の身ってことか。
もういらないから、無くしてしまえって言う人もいるだろう。
それでいいのかってそのホームに聞いたら、
"いや、いつか自分の出番が来る"
"どんなシチュエーションかはわからないけど、きっと出番が来る"
"おれはその時を今も待っている"
って言いそうな気がした。
存在感がそう思わせるのかもしれない。
老兵は死なずってやつだ。
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