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【連載小説】小五郎は逃げない 第3話

【15秒でストーリー解説】

明治維新を成し遂げた幕末の英雄・桂小五郎は、剣豪でもあった。「逃げの小五郎」と称された彼は、本当に逃げ続けた人生を送った人物だったのか。

後世に知れ渡る新選組の池田屋襲撃。そこに居合わせた桂は、命からがら脱出に成功したが、彼を匿った芸者・幾松を拉致され桂にも絶体絶命の危機に迫る。そこに意外な人物が現れ彼を助けた。桂はその人物ととともに、京の街を舞台に新選組50人と幾松奪還の戦いに挑む。
 
果たして彼を助け、共に戦った仲間とは誰なのか。そして剣豪・桂小五郎は最狂最悪の殺人集団・新選組から幾松を奪還することができるのか。

愛する女性のために・・・、桂小五郎は決して逃げない。

逃げの小五郎 3/6

 近藤隊が山崎に先導されて幾松のいる置屋に到着した時には、夜の十時を回っていた。まだ格子窓からは明かりが漏れていた。
「近藤さん、この通りの三件ほど奥にある店で間違いございません」
 用意周到な山崎は、店の中から自分たちの姿が見えない場所で近藤らの足を止めて報告した。
「総司、店の者に確認してこい」
 近藤は念には念を入れて、幾松という芸者が実際にこの店に在籍しているのかどうか、沖田に確認するように指示を出した。沖田は数名の部下を連れて、店の中から使用人を呼び出して問い質した。使用人は新選組に恐れをなし、幾松がこの店に在籍してこと、夏風邪をこじらせて二階の部屋で寝込んでいることをべらべらとしゃべった。
「夏風邪で自分の部屋にこもりっきりだと。怪しいな。桂のやつこんな所に隠れてたとはのお。京のど真ん中にいて、わしらの追跡が下火になったところで京を脱出するつもりじゃったのか。頭の良いやつじゃ」
 近藤は何やら感心しているようなものの言いようだった。
「近藤さん、踏み込みましょう」
 沖田が言った。
 
「わしと総司はその女に直接話をしに行く。桂がそこに匿われているなら、その場で斬り合いになるやもしれん。しかし、同志を見捨てて逃げ出すようなやつじゃ。どこかに潜んでいて逃走を図るかもしれん。一番隊は手分けして店の表と裏に待機しろ。いきなり走り出してきた者は躊躇なく引っ捕らえよ。よいか、殺さずに生け捕りするんじゃ。わかったなぁ」
 近藤はドスの効いた声で隊士たちに指示し、十数名の隊士たちはそれぞれの場所に散って行った。近藤と沖田はそれを見届けると、ゆっくりと歩き出した。
「総司よ、おまえ、胸の病の具合はどうなんじゃ」
「大した事はありませんよ」
「お前も知っての通り、桂の剣の腕は相当なもんじゃ。試衛館の対外試合で対戦相手方の助っ人として、江戸からやつがやって来た。身のこなし、打ち込みの力と速さ、それに気迫、全てにおいてわしらと次元が違っておった。わし一人が、まともに斬り合って勝てる保証はない。他の隊士を連れて行っても無駄に怪我人を増やすだけじゃ。もし桂に出っくわしたら、おまえは手を出すな。またいつ池田屋の時のように、咳き込んで動けなくなるやも知れん。わしがおまえを守る。死ぬ気で守るものがなければ、やつには勝てん。だから、おまえと二人で行くのじゃ」
「近藤さん、それじゃ、私が一緒に行く意味がありませんよ。二人がかりで戦えば勝てますよ」
「いや、それでは新選組の名が廃る。わしが一人で勝ってこそ、新選組の名が世間に響き渡る。歳もそれを望んでおることよ」
 近藤の気迫に押され、沖田はそれ以上何も言えなかった。沖田は無言のまま置屋の暖簾をくぐった。
 
「新選組だ、幾松という芸者に用がある。中を改めさせてもらう」
 沖田が言い終わらないうちに、二人は土足のままどかどかと店の中に入って行った。沖田の聞き込みにより、幾松のいる部屋は二階にあることがわかっていた。沖田が先導して階段を上って行き、近藤がその後に続く。沖田がけたたましくその部屋の障子を開けると、一人の芸者が背中を向けて立っていた。
「おまえが幾松か」
「急になんどす、いまから座敷に上るところなんどすけど」
 突然に乗り込んできた近藤に臆することなく、幾松が振り向きざまに答えた。
「ほー、夏風邪がすっかり良くなったようじゃな。まあ、元から風邪など引いてなかったならば話は別じゃがな。桂小五郎という長州藩士を知っておるな」
 近藤が幾松に言った。
「桂小五郎はん、そんなお方は知りまへんなぁ」
 幾松は平然と答えた。
「わしらが引っ捕らえた長州藩士を拷問して、桂が入れあげている芸者の名前を吐いた。おまえじゃ。知らぬとは言わせん」
「拷問どすか。さぞかし痛い思いをされはったんでしょうなぁ。うちらは芸者どす。いろんなお客さんのお相手させていただいております。その中にそんな人がおられたんとちゃいますか。そのお侍さん、あまりの痛さに耐えかねて、ついついうちの名前を出しはったんとちゃいますか」
「桂は幕府に盾突く大罪人じゃ、やつを匿うのであれば、おまえも同罪。今ここで切り捨てる。それが嫌なら今すぐ答えろ」
 
 近藤はあえて周囲に響き渡るような大声で言った。桂が近くにいるなら燻り出すつもりだった。沖田はすでに刀の柄に右手をかけているが、近藤は悠々と腕組みをしていた。
 幾松のいる部屋は、ふすまで二部屋に仕切られたいた。近藤たち立っている二階の廊下からは、ふすま向こうが見えない。ふすまの前には幾松が立ち塞がっている。
「奥の部屋を改めさせてもらう」
 沖田が言った。
 
 ふすまの向こうに桂はいた。静かに息を殺していた。幾松と話している武士の一人は、声を聞いただけで新選組組長の近藤とわかった。桂は江戸で剣術を学んでいたころに、近藤や土方と対外試合を行ったことがあり、風貌も声もよく覚えていた。桂はふすま越しに、近藤から発せられる凄まじい殺気をひしひしと感じていた。さらに、近藤とは別にもう一人、桂の知らない武士がいる。その武士からは近藤に引けを取らない殺気が漂っていた。殺気と言うのか、妖気と言うのか、その男が何人もの人を殺めてきたことが気配だけで感じ取れた。この二人を相手にまともに斬り合っては勝算が薄い。
 
「ここで、こんな場所を死ぬわけにはいかん。私にはまだやることがあるのだ」
 桂は心の中で、生きることへの執着を言葉に変換して発し続けた。しかし、命がけで自分を守ろうとしてくれている女が、今まさに斬られようとしている。一人の武士として、いや一人の男として、この女を見捨てて自分一人だけ逃げることなどできるはずがない。
「もう逃げるのはうんざりだ」
 桂は心の中でそうつぶやいた。一か八か奇襲攻撃をかけて相手の隙を作り、幾松を連れて逃げよう。いや、運よく外に飛び出せたとしても、外には間違いなく新選組隊士に包囲されている。足の遅い幾松を連れて逃げることなど絶望的に不可能である。この状況を打破するためには、目の前の凄腕の二人と、建物を取り囲んでいる全ての隊士を倒さねばならない。
「不可能だ。だがやるしかない」
 桂は心の中を席捲しようとする絶望感を無理やり抑え込み、気配を消していつでも飛び出せるよう戦闘態勢に入った、そして、鯉口を切ったその時だった。
 
「お侍はん、もし奥の部屋にだれもいはれへんかったら、どう責任を取りはるおつもりどす。うちらの座敷に土足で上がり込んできて、うちの控え部屋まで、泥だらけにするおつもりどすか。そこから土足でずけずけと入り込んできて、だれもおりまへんとわかっても、そのまま帰らはるつもりどすか。仮にうちがお侍さんのお家に土足で入ってきたなら、斬り捨てはりますわなあ。ちょっと理不尽やおまへんか。もしだれもおらへんとわかったら、お侍さん、その腹、今ここでお斬りになるくらいの覚悟はおありどすか」
 幾松が、死をも恐れぬ荒々しい言葉を、近藤と沖田に浴び掛けた。
 
「きさまぁ、だれに向かって言っているっ」
 幾松の言葉に、沖田が目の色を変えて憤怒し、そして抜刀して切先を幾松に向けた。
「ここは、うちらにとってはお侍さんの戦場みたいなもんどす。それを土足で汚さはるなら、それなりの覚悟でやってくれなはれと申しとるだけどす」
 幾松は自分に向けられている真剣を見て、悲鳴を上げて畳にへたり込みそうになる恐怖心を押し殺し、激怒する沖田に向かって平然と答えた。
「幾松と言ったか、おまえの言い分はよくわかった。ここは一旦引き上げるとしよう。しかし、桂小五郎は日本を転覆させようとする極悪人じゃ。わしらは何としてもやつを引っ捕らえねばならん。おまえが桂と故意にしていることはすでに明白のこと。いろいろと聞きたいことがある。おまえが何と言おうと、わしらの屯所まで同行してもらう」
「嫌と言ったら、どうなるんどす」
「その奥の部屋に土足で踏み込んで、改めさせてもらうだけのことよ」
「まるで脅されてるようどすなぁ」
 幾松は、自ら近藤たちの後を追うように置屋を後にした。
 
幾松の決死の行動により、桂は戦闘を回避し、命拾いをするこができた。しかし、幾松は拉致されてしまった。
「なぜ、私は黙って見過ごしたのだ」
成す術もなかった桂は、幾松が去った後も、抜刀したまま立ち尽くしていた。
「幾松、必ず救け出す。それまで暫し待っていてくれ」
 桂は力なく独り言ちた。

<続く……>

<前回のお話はこちら>


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