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自己受容ってしんどい

自己受容とは、見ないふりをしていたトラウマに向き合うことである。
見えなければ幸せだったから、目をそらしていた。直視すると、辛い記憶に灼かれて私を見失ってしまいそうになるから。でも、見ないふりをしているだけで気づいてはいるのだ。向き合うべき傷に、過去に、私自身に。私が守ろうとしている私は既にボロボロに崩れていて、それを受け容れなければいけない。ちゃんとした土台の上に立っていると誤魔化してきたけれど、私が立っているのは薄氷の上なのだ。少しの傷で割れて、冷たい海に沈んでしまう。光の届かない思考の海で溺れる前に、陸に上がらなければいけない。私は人魚じゃなくて人間だから、海では生きられない。泡となって消えられるお姫様にはなれない。肉体という重りを背負っていては溺れてしまう。思考の海では魂しか生きられなくて、肉体は捨てられないゴミに成り下がる。魂だけじゃ息ができない。思考と言葉は紛れもなく私の命で魂だけど、思考するにも言葉を紡ぐにも肉体が必要だ。肉体を生かすには陸でしっかりとした土台を築くしかない。氷が溶けていくのを自覚しながら暖かな陽だまりに居場所を探す。ぐらつく足元とアイデンティティを支え直して、傷を塞いで、レンガを積んでいく。ボロボロな私を受け容れて、育てなおす。
土足で踏み抜かれたまま固まって跡になったコンクリートみたいなありのままの心、苦い経験が影響して形成された人格、嫌われたくなくて変わってしまった性格。
全部私だけど、受け容れたくない。普通で、まともで、ちゃんとした私でいたかった。
受け容れなければ先に進めないけど、受け容れると目の前が真っ暗になってしまう。
どうしたらいいのか分からない。
ままならない。
苦しい。

傷ついた分だけ優しくなれる
世間でよく言うこの言葉は半分正解で半分不正解だと私は思う。
半分の正解は、傷ついた分こうすれば人は傷つくと分かるから、その分優しくなれるということ。もう半分の不正解は、傷ついたら優しさを信じられなくなるということ。傷ついても優しくあれる人は傷つかなくても元々優しい人だ。この世界は優しい人を消費することで成り立っている。
誰かを平気で蹴落とせる人が成功する。いじめっ子は傷つくことなく生き続ける。現実は小説とは違う。ドラマチックな復讐劇なんてない。傷ついたまま、昇華できない心を抱えて生きていくしかない。ままならないまま生きる。

受け容れるのはまだ難しいから、とりあえずは受け止めよう。思考の海から上がれないなら、暖かい空気をたくさん詰めた救命胴衣を着けて浮かんでいよう。
魂が死なないように言葉に願いを込めて、綴り続ける。
肉体も死なないように陽の当たる道を探して、歩き続ける。

きっといつか受け容れて愛せる日が来る。

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