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おやすみ、愛しい我が子たち

 産まれてこない双子の話をしようか。
 私が繰り返し見る、夢の双子の話を。

***
 あのね、私はね、お母さん失格なんです。
世の中にそう溢す母親がどれだけいるだろうか。更にその母親たちの中で本当に母親失格と言われるべき母親はどれだけいる?
 ああ違う、違う! 面倒臭い禅問答がしたいわけではない。
 ただ、おそらくそう自覚して内省している時点で母親失格ではないと私が思うだけだ。ひどい親ほど自分のことを普通の親だと思い込んでいることが多い、彼女らは歪んでいるから……いやまあ、そんなことはどうでもいいか。

 私の子宮の中には、双子の子供が宿るはずでした。本当は私の大嫌いな男と壁を隔てず交わって私の中に男の精子が、精子がはいってきて、毎月ぽいぽいと捨てている卵子と合体するはずでした。その先のことはよく分かりませんが……着床とかいう現象が起こるはずだったのです。
 私はそれが怖かった。
 この世界に、何よりも愛おしいあの子達を産み落とすのが怖かった。
 きっと幸せにはしてあげられないから、きっと傷つけてしまうから。それならいっそ、はじめからこの部屋に来ない方が良いんじゃないかと思った。我が子がこの部屋に来ないように命懸けで痩せ続けること、月経をまともに来させないこと、性交をできるだけしないこと……全てが愛するあの子たちのため。私のためじゃない、あの子たちのため。

 これでも生きている間中ずっと努力しているのに、あの子たちはそれを知ることがない。だって産まれてこないから。結構な頻度でごめんねと呼びかけるけれど返事はない。そもそもまだここにいないから。まだ、? 違う。永遠にここにはいない。きっと中身は私に似て嫌味な性格に育つだろうけど、見目だけは世界一麗しいあの子達。同い年の子供の誰よりも顔が完成するのが早い。
 特に雌の方、絹糸のような髪をサラサラと靡かせて何も面白くないのに意味ありげに微笑んでいる。三日月型の目、笑うと目が三日月になるのが私にそっくり。
 雄の方も遜色なく可愛い。時代が時代ならジャニーズJr.とかになっていたのではないかな。少し硬めの髪質で、撫でるとチクチク刺さる。この子は脳面のように無表情、誰に似たのだろう。ああ、私じゃない方か。
 
 自分の家庭のおかしさに気がつく前、私の将来の夢はお母さんでした。子供を産んだら幸せになれると本気で思っていました。間違いでした。
おかしい家、で、おかしく育てられたこと。わたしがお母さん失格である理由の一つです。
 母は、私を産まない方が幸せだったでしょう。わたしがお母さん失格である理由の一つ……いや、時系列がおかしいか。もしも私があの子達を産んだら、産んでしまったら、そこに不可塑性を覚えて恐ろしい。きっと取り返しがつかないんです。ただでさえ幸せでない私の人生は、これ以上ないくらいの悲劇に仕立て上げられて、そしてその悲劇の原因をあの子たちに背負わせてしまうことになる。私はそれが怖い、この世の何よりも怖い。我が子には私と同じような思いをしてほしくはないし、私と同じような人間になってほしくもないのです。だから初めから産まない。私はそんなにおかしいことを言っていますか? 


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 帰省のとき、母に「私は孫の顔を見せられない」と告げました。大事なことは早く知らせた方が良いはずだから。しかし母は「いいけど、まだ十九なんだから意見が変わるかも」と言いました。彼女は十九歳を舐めています。もっと言えば、十九歳の私を舐めています。  
私はずっと昔から聡明です。文章にするととても馬鹿げていて涙が出ますが。違います、これはインターネットに大量に存在する元神童の戯言の一つではないです。

(寝起きで思考の澱みを解きながら布団を畳んでいます。)

 昔から、自分より明らかに歳上の人と話が合いました。七歳の頃には親戚の集まりの会話へ難なくついていけました。従姉妹たちと話すよりも、叔父さんたちと話す方が遥かに楽しかったのです。自慢ではなく事実でした。
 わがままを言わず、言われたことを守る。大人のような子供でした。今思えば、母が望む私の姿を演じていただけで、それができるだけの素質と頭の良さが私に備わっていただけでした。何にも分からないバカになりたかった、年相応の遊びがしたかった。今更言っても仕方ありません。だって私は小学二年生の時から精神年齢が変わっていないのだから。

 しかしこう長々と語ってしまうと、彼女が十九歳の私を舐めるのも仕方のないことかもしれません。彼女からすれば、私は何にも変わっちゃいないのです。見た目こそ大人らしくなりましたが、中身は小学生の頃のまま停滞しています。趣味も好きな音楽も好きなアーティストも何にも変わっていません。孫の顔を見せられない、と言われて今一度ピンとこないのも当然のような気がします。
 良い人や運命の相手が見つかろうと、私が子供を産みたくないという気持ちは変わりようがありません。愛すればこそ傷つけたくない、そういうものです。私はあの子達を幸せにしたいのではなく、不幸にしたくないだけなのです。この世に産まれてくれば必ず不幸が降りかかる。それを私がどうにかできないことは自明です。もちろんどうにかしてあげたいけれど、一度も憂き目に遭わないよう一生を終わらせてあげることなんて、私が女神でもない限り不可能です。だからあの子たちは産まないと、産めないと言っているのになぜ誰も理解してくれないのですか?

 反出生思想が他責思考の煮凝りだと言う人がいます。私はそうは思いません。もちろん他責が行きすぎるあまり反出生に走る人もいるでしょうが、私のように自分の子供に辛い思いをさせたくない繊細な毒親育ちも一定数いると思うのです。繊細という言葉を選んだのは優しいの領域をとっくに通り越しているから。


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 人生で妊娠をしたことが何度かあります。
いわゆる想像妊娠というやつです。あの人と性行為に及ぶと、かなりの確率で翌月の生理が来なくなります。そして子宮に二人分の鼓動を感じます。私はもうとっくに、健常者でないのかもしれませんね。想像妊娠を終わらせるには生理に来てもらうしかないのですが、三十六キロの身体に生理はなかなか来ません。こういう時だけは自分が痩せていることを後悔します。それ以外は概ね気に入っていますが。
 しかし私が想像妊娠した大半の原因はあの人にあります。私にピルを飲ませる代わりに避妊具を使用してくれなかったのです。避妊具を装着していないナマの男性器から無遠慮に注がれる腐った精子、を一心に受けて想像妊娠するのは詮無いことではないのかな。もちろんピルは毎日飲んでいましたが、それだけでは安心できない何かが私には感じ取れました。きっと度を越して過敏だから、感受性が豊かだから想像妊娠なんかするのでしょうね。

 最近はあまり妊娠をしません。あの人が避妊具をつけてくれるようになったからです。何度も何度も妊娠する私を見てうんざりしたのか、それとも気の毒になったのかは分かりません。ただ避妊具をつけてくれるようになった上に性交の回数が減ったことは、私の精神状態を清潔に保つことに役立ちました。
 その代わりに、性交の最中に涙が出るようになりました。季節ごと一回ずつの交わりで、私は一回ずつ涙を流しました。産んであげられないことより、あの子たちの父親じゃない人と行為に及んでいることが申し訳なくなったのです。そう、あの人は、今の彼氏はあの子たちの父親ではありません。別にそれは大した問題ではないのですが、あの子たちは少し複雑な心持ちかもしれません。

 あの子たちはとっても優しいんです。泣いている私の側に来て、背中を叩いてくれる。
「ママ、だいじょうぶ?」と顔を覗き込んでくれる。繋いだ手はとても温かく、二度と離したくないほど柔らかい。
「今日何が食べたい?」と聞くと「ママがすきなやつ!」と答えます。
 ああなんて良い子たち……いいや、これらは全て過去の私です。
 ベランダで泣いている私を慰めたあの子は、「ママ、だいじょうぶ?」と尋ねたのは、食べたいものを聞かれて、気を遣って「ママの好きなやつ」と答えたのは、過去の私です。
 
 やっぱり私はこの子たちを産まない方が幸せなのかもしれない。
夢の中だけで会い続けるくらいが丁度いいのかもしれない。実際「わたしたちを産んで」と言われたことがないのだから、産まなくても大丈夫かもしれない。というより、産まれてきたくないのかもしれない。この子たちが私の鏡だとしたら、きっとそう思うはず。
 一生産んであげられないけど、堕ろすことすら叶わないけど、そもそも子宮(こどもべや)に来させないけど、愛する我が子たちが健やかであるように。それが叶うように今日も私は、元気に卵子を捨て続け、早く羊水が腐って欲しいと願うのです。永遠に、

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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