見出し画像

「無理しないでね」
「休んでね」
「あたたかくしてね」

相手にならいくらでも言えるその言葉を自分の胸にあてたとき、それは急速に冷えていく。
もらった時は確かにあたたかかったはずなのに、時間が経ってから取り出してみたら温度どころか輪郭すら失われていた。あれ、もらった時は確かに嬉しかったはずの「あれ」ってなんだったんだっけ、あの人に渡した時の感情は確かに覚えているのに。
目の前のサボテンは何も答えてくれない。


無理ってなんだ。休息とは、逃避とは、防御とは、いったいなんなんだ。

この世界は誰かの「無理」で回っている。歯車が噛み合わないとき、机のがたつき、すきま風。誰かの気遣いや努力で埋まったそれに目を向ける人はあまりいない。最初から全て完全だったかのように錯覚する。誰かの血が滴っているのも知らずに。

誰かの骨を、血肉を、感情を、知らないうちに踏みにじっていることに誰も気がつかない。
あなたも、わたしも。
自分にとって都合の良い世界を構成するパーツを踏み台にして、誰しもが生きている。

みんなが望むなら、都合が良いなら、もう神経の麻痺したこの身体などいくらでも使ってもらって構わない。誰かの痛みを見るくらいなら文字通り私のいのちを切り取ったほうがマシだから。何も言われなくても無視されても構わない。それが普通だから、だから当たり前だ。睡眠時間を削るのも、ご飯を食べる時間を無くしてゼリーパウチを握るのも、睡眠を恐れて無駄と見なして布団に行かなくなるのも当たり前。大多数の幸福のために使われるならむしろ幸せなのかもしれない。その瞬間、私は少なくとも邪険にはされないから。

無理しているわけではなく、他者主義に見せかけたただの利己主義。免罪符を勝手に得た気になって、生きることの許可を必死に握りしめている。だから、優しくされる価値もあたたかさに触れていい理由もなにひとつない。マイナス空間にいくら薪を放り込んでも、ただただひび割れて枯れていくのを見つめるしかできない。壊れることができないロボットは、無理をしない範囲に設計された、エラーがきちんと表示されるあの子の代わりになるしか、ない。

優しくなんて、されないほうがきっと幸せだ。知らないままの方が強く生きていけた。悴む手はそのまま壊死したほうが、夢も希望も描けないほうが幸せだったのかもしれない。

しもやけだらけの手をあたためてほしいと思う私は、いつまで夢を見ているんだろう。錆だらけのパーツなんて傍から見えはしないのに。生きることを許してもらえる幸せ以上に何を、何なら望んでいいと、ああもう、疲れたなあ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?