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給水塔からずっと。

いざ調べてみたら、武蔵野はゆかりの深い地名だった。ざっくりとした区切りではあるが、多摩川付近はほぼ仲間に入れてよさそうなので、わたしの生活圏と一致する。町田、川崎、西東京と、これまで暮らしてきた町を顧みても、何ら恥じる必要はなさそうである。わたしは武蔵野の名を冠するに値する風景を我知らずと選び、図形でも描かんばかりに自分なりの外縁を引きながら、数十年の月日を生きていたようだ。
武蔵野、ムサシノ、その地名に大きな含みがあったことを気づかせてくれたのは、斎藤潤一郎氏の漫画「武蔵野」であった。
斎藤潤一郎氏は唯一無二の作風を持つ漫画家だ。デヴィッド・リンチの映画やウィリアム・S・バロウズの小説を彷彿とさせるデヴュー作「死都調布」によって、わたしは愛読者のひとりとなった。コロナ真っ盛りの2020年、書店で2作目「死都調布 南米紀行」を見かけたのが出会いだった。斎藤潤一郎氏の作品は装丁からして、アーティスティックである。見過ごすべきではない、と勘がはたらく。3作目「死都調布 ミステリーアメリカ」を経て、新たにはじまった作品が「武蔵野」である。作者の分身となる漫画家が武蔵野のあちこちを訪ね、そこで奇妙な体験をするといった筋書きの静かな作品だ。シュール&ヴァイオレンスな「死都調布」シリーズとは異なる作風だが、もちろん共通点もある。なお、斎藤潤一郎氏の作品はトーチwebにて公開されている。
斎藤潤一郎氏の作品には常に辺境の匂いが漂っている。斎藤潤一郎氏が住む町、調布を舞台としたデヴュー作でさえ、実在の風景はなく、どこもかしこも殺伐とし、また異国めいている。近所の街並みに映画好きのビジョンが混ざりこんだような按配だ。雑草の密生する川辺や砂時計のようなかたちの給水塔が、しばしば出てくるのを見ると、はじめから武蔵野の地霊を味方につけているようにも感じられる。斎藤潤一郎氏自身の言葉によれば、黒沢清監督の映画をヒントに郊外の風景を描いているとのこと。「武蔵野」では開放感のあるコマが多く、どこかのんびりした空気を感じることができる。そんな雰囲気の中で、クローズアップされる対象のひとつひとつが何とも楽しい。

運河とか倉庫とか。黒沢作品っぽい。

「武蔵野」で異色のエピソードをあげるなら「夏」と題された作品であろう。クーラーの効きすぎた部屋で体調を崩し、近所をぶらいついたのち部屋に戻ってGAME の続きをするだけの話だが、感覚的なモノローグと謎の出来事の連打が見事なインタールードとして機能している。移動する空間が狭い分、斎藤潤一郎氏の作風がグッと凝縮されているようにも感じられる。

辺鄙な土地を舞台にした、旅モノでも怪談でもない奇妙な世界。わたしにとって「武蔵野」は「死都調布」シリーズ以上に、斎藤潤一郎氏の異端ぶりが堪能できる一冊だ。境界線上のアリアは長く影を引きながら、彷徨い続ける。


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