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Black Lives Matter抗議デモが映したアメリカ社会の実態 【400年の黒人差別の歴史と、Systemic Racism: 制度的人種差別とは?】

自己紹介

こんにちは、吉田梨乃(@rinyooon1997)です。
昨年、トビタテ!留学JAPANの奨学生として「人種問題」をテーマに米ジョージア州に1年間の留学をしていました。
現地では奴隷制度や公民権運動、人種にまつわる授業を受けながら、NAACP(公民権運動組織) にも参加し、アメリカの人種差別の実態を学んできました。現地でフィールドワークやインタビュー調査、文献調査を行い「アフリカ系アメリカ人のルーツ回帰運動」について卒業論文を執筆しました。帰国後現在は、Japan for Black Livesのプロジェクトに携わっています。
幼稚園時代に、国内のインターナショナルスクールに通っていたこともあり、「人種」というワードは人生の大きなテーマであり、最大の関心事です。

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写真:NAACPのメンバーと(前列右から二番目が私)

はじめに

今回この記事を書く契機となったのは、先月25日に起きたミネソタ州で黒人男性が警官に膝で首を押さえつけられ死亡した事件をきっかけに、全米で広がっている #BlackLivesMatter (黒人の命は大事だ)の抗議デモです。
日本でも、SNSで発信している方を多く見かけ、世界中で関心が高まっています。

事件と抗議デモについてはこちらにニュース記事を記載させて頂きます。

私は、この問題の専門家ではありません。交換留学生として、アメリカ南部に身を置き、この問題に向き合っていただけです。
しかし、今回の件で居てもたってもいられず、現地で感じたことをFacebookに投稿したところ、ありがたいことに多くの方からコメントやリアクションを頂くことができました。私の拙い文章に、このように多くの反応を頂くことができ、本当に感謝しています。

今回の事件をきっかけに、日本でもこの問題に関心を持つ人が増えていくのであれば「私がアメリカで感じてきたことを共有し、より多くの人とこの問題について考えていきたい」という思いから発信させて頂きました。関心のある方はよければこちらからお読みください。

【人種問題を学びに米国留学した私が、ミネソタ州の事件に思うこと】—「アメリカの奴隷制は刑務所という形で現在まで引き継がれている。」

私が主として伝えたかったことは、アメリカの黒人差別の問題は今に始まったことではなく、また全米に広がる抗議デモは「ミネソタ州の事件に対する」ものだけではないということです。
今回は自身の留学経験を踏まえて「抗議デモが映したアメリカ社会のリアル」について私なりにより、Facebookの投稿よりも詳しく、歴史的背景から明記させて頂きたいと思います。

奴隷制度はまだ終わっていない 【憲法修正第13条の"抜け穴"】

まず、この問題を考える上で欠くことのできないのが奴隷制度です。

15世紀末に始まったスペイン・ポルトガルのアメリカ新大陸植民地経営では、当初インディオの奴隷労働が行われたが、急激に人口が減少したため、16世紀からアフリカ大陸の黒人奴隷を供給する大西洋奴隷貿易が始まった。その後大量の黒人がラテンアメリカ地域に送られ、現地に定着した。この地域の諸国独立後もプランテーションにおける黒人奴隷労働が続いたが、19世紀に奴隷制批判が始まり、アメリカ合衆国での南北戦争の過程で黒人奴隷は解放された。しかしその後、黒人に対する人種差別はなくならず、その後も差別反対の運動が続いた。(世界史の窓「黒人奴隷 / 黒人奴隷制度」より抜粋)

奴隷制時代の歴史を学ぶには、映画『それでも夜は明ける』(英語名:12 years a slave)をぜひ観て欲しいです。有名なのでご存知の方も多いと思いますが、南部の綿花農園で12年間も奴隷生活を強いられた黒人男性の実話を映画化した作品です。

*ちなみに、今年6月に公開予定の映画『ハリエット』は、奴隷解放運動家として知られ、アフリカ系アメリカ人で初めて20ドル紙幣の肖像に採用されたハリエット・タブマンさんの実話を元にした作品です。過酷な奴隷生活をしていた彼女が、奴隷解放のために闘う物語です。(観に行きたい!)

今年2月には、ルイジアナ州・ニューオーリンズにあるホイットニープランテーション(Whitney Plantation)にも足を運びました。奴隷の生活に特別焦点を当てたプランテーションで、当時の生活や記録が残されており、教科書や映画の中での世界であった奴隷制度が本当に行われていたのか、と改めて痛感させられた経験でした。

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写真:奴隷小屋と奴隷主の家

このようにアフリカから奴隷とされた人々はアメリカ南部の綿花プランテーションでの労働力として使役された上、抵抗すれば暴力を受け、女性に関しては性暴力の被害を受けるなど、その苦難は想像を絶するものでした。

1776年、アメリカ合衆国の独立宣言は、その冒頭に「すべての人は平等に造られ」ており、譲ることのできない「生命、自由、そして幸福の追求」を権利として与えられていると述べた。しかし、この「すべての人」の中には黒人奴隷(そしてインディアン)は含まれていなかった。それどころか、独立戦争の指導者ワシントンやジェファソンら自身が自分の農園では黒人奴隷を使役していた。1787年に制定されたアメリカ合衆国憲法にも、黒人奴隷の解放は規定されておらず、権利は認められなかった。(世界史の窓「黒人奴隷 / 黒人奴隷制度」より抜粋)

アメリカの独立宣言で言われるこの「平等」とは一体誰の手によって、誰を対象に作られたものだったでしょうか?
以降、次第に奴隷制度への批判がなされていく中、1861年に南北戦争が勃発し、1863年の奴隷解放宣言、そして1865年には憲法修正第13条が発効され、奴隷は事実上解放されました。

しかし、この憲法修正第13条にはある"抜け穴"があったのです。

修正第13条[奴隷制の禁止[1865 年成立]
第1項 奴隷制および本人の意に反する苦役は、適正な手続を経て有罪とされた当事者に対する刑罰の場合を除き、合衆国内またはその管轄に服するいかなる地においても、存在してはならない。
第2項 連邦議会は、適切な立法により、この修正条項を実施する権限を有する。(America Center Japanより抜粋)

つまり、犯罪者として捕まれば人権が無視され得るということなのです。
「奴隷制度は形を変えて続いているだけ」で終わっていなかったのです。

特に、奴隷という労働力や財産を失った保守的な南部諸州では黒人に対する不当な逮捕が相次ぎ、囚人として黒人を労働に従事させる形で奴隷制が継続していきました。

実際、「アメリカの人口は世界全体の5%にすぎないにも関わらず、米国人受刑者は世界全体の受刑者数の25%」つまり世界の4人に1人を占めており、その囚人の30〜40%が黒人なのです。
ちなみにアメリカ全体の黒人の人口はわずか12%にすぎません。
これについて詳しく知るためには、Netflixのドキュメンタリー『13th 憲法修正第13条』をぜひ観て欲しいです。

「とは言っても、実際に犯罪を犯しているから投獄率が高いだけでは?」
と思うかもしれません。
実際に経済的困窮から犯罪を犯す人が多いのも事実です。アメリカの経済的格差の底辺に位置付けられ続けたのは、黒人をはじめとする有色人種でした。実際に、黒人の失業率は白人の2倍とされています。
また、アメリカのコロナウイルス死者の人種別構成を見ても、その格差は残念ながらとても歴然としています。

各州の死者数に占める黒人の比率が、各州の人口比率を大きく上回っている。具体的にはイリノイ州では人口に占める黒人比率が30%なのに対し、新型コロナによる死者の黒人比率は72%。ルイジアナ州では同様に32%に対し70%、ミシガン州では14%に対し40%である。この事実はアメリカにおける黒人の社会的福利水準の低さを物語っている。1960年代以降、黒人に対する各種の平等化施策が50年以上実施されてきたにもかかわらず、人種格差の実態は依然として生死を左右するほど激しいものであることが分かる。(SankeiBiz 新型コロナが焙り出す真実 人種差別意識と奥に潜む敵意 より抜粋)

人種差別的思想の構造レベルでの定着、そして黒人の経済的な困窮による「黒人=犯罪者、危険」というステレオタイプがメディア等により扇動、また形成されて行きました。
このように形成されたステレオタイプに従って特定の人種を取り締まる レイシャル・プロファイリング(racial profiling)がアメリカ社会では長年行われてきたのです。
その中には、無実であるにも関わらず罪を着せられ、不当な扱いを受けた者も多くいます。

1989年にNYで起きた殺人事件で容疑者として逮捕されたのは、わずか14~16歳の黒人/ヒスパニック系の少年5人でした。たまたま公園に居合わせただけで物的証拠はなしに、1990年に有罪判決を受けることになったのです。
この時、当時実業家であった現大統領・トランプ氏が死刑を求める新聞広告を出したとも言われています。
それについて描いたNetflixシリーズ『ボクらを見る目』(英語名:When They See Us)が配信されているので、こちらもぜひ観てみてください。

また、今年2月末に公開された映画『黒い司法:0%からの奇跡』も1980年代のアラバマ州で起きた事件をノンフィクションで描いています。

18歳の白人女性を殺害した罪で死刑判決を受けた囚人と、ハーバード大を卒業し弁護士になったスティーブンソンの物語。
弁護費用を払えなくなり、冤罪を主張することさえ諦めた囚人の「黒人は生まれながらに有罪なのだ」という言葉に、苦しみという言葉で表せないほどの苦しみを感じます。
私自身、この映画を観た時に涙が止まらず、実話ということが信じられませんでした。「どうかフィクションであってほしい」と何度も思いました。
そして、1980年代に起きた不当なことが2020年の現在までも繰り返されていることに、絶望さえ覚えます。

映画の主人公の人権弁護士・ブライアン・スティーブンソン氏のTEDスピーチは必見です。


このように、17世紀から始まったアメリカの奴隷制度は形を変えて「憲法修正第13条」の "抜け穴"によって、社会の構造部分に根付き続け、現在までに受け継がれてきたのです。

今回、ミネソタ州で犠牲になった「ジョージ・フロイドさん」はその多くの犠牲者のうちの1人です。
今年2月23日には、ジョージア州でジョギング中の黒人男性「アマード・アーベリーさん」が白人親子に射殺されていました。

また、3月にはケンタッキー州で黒人女性の「ブレオナ・テイラーさん」が捜査する住所を間違えた警察によって射殺されました。彼女はもちろん無実でした。

現在、全米中に拡大するデモは「もういい加減にしてくれ」という国民の怒りのメッセージです。
今回の抗議デモに関しては、略奪行為や暴力ばかりがメディアで多く取り上げられていますが、私の留学していたジョージア州・アトランタでは平和的な「サイレント・デモ」が行われていました。

オレゴン州・ポートランドでは、実際にジョージ・フロイドさんが警察官により "I can't breathe."「息ができない」とうつ伏せにされた格好を再現し、9分間静かに抗議しました。

歌手のアリアナ・グランデさんもロサンゼルスでデモに参加し、平和的なデモも報道するようメディアに呼びかけています。

また今月3日には、ジョージ・フロイドさんの出身地・テキサス州ヒューストンで、フロイドさんの名前を呼び、"No Justice, No Peace"「正義なくして平和なし」のスローガンを叫びながら行進しました。

実際に犠牲になったジョージ・フロイドさんの弟は暴力ではなく、平和的な手段によるデモをするよう、訴えています。

これらはTwitterやInstagramで拡散されているので、大手メディアの報じる暴力的なデモだけではなく、平和的に行われている抗議活動から「国民の声」に耳を傾けてほしいと思います。

アメリカ社会でBlackとして生きるということ 【人種主義とは何か】

「Racism: 人種差別・人種主義」と聞くと、何を連想しますか?
ほとんどの人が、ある特定の人種に対する暴力や悪口を考えると思います。

私自身も前はそのイメージが強く連想されたのですが、先述したように、アメリカは歴史的にSystemic Racism: 制度的人種差別が行われてきました。
国民の「特定の人種に対する暴力や悪口」は存在します。
でもそれを扇動しているのは誰なのでしょうか?

この動画の中で、Racism(人種差別・人種主義)の社会学的定義について、Prejudice: 偏見 と Institutional Power: 制度的権力 が組み合わさることであると説明しています。
レイシズムとは、差別行為そのものだけでなく「人種"主義"」つまり、社会が継続的に持ち続けている思想上の立場なのです。

「特定の人種を差別をする」ということ以上に、「制度的権力」と「人種的偏見」が結びついていることが、一番の問題なのです。

下に紹介する動画では、黒人の親が子供に How to Deal with the Police「警察と遭遇した時にどう振る舞えばいいのか」について説明しています。
権力を持つ「警察官」が「人種的偏見」を持っているため、マイノリティである黒人は "I have nothing on my hand."「私は武器を持っていない」ということを人一倍強く主張しないといけないのです。
小さな子供が、自分を人種により判断する警察官から自分を守るためにこのように教えられているのです。

このようなシーンは映画『ヘイト・ユー・ギブ』の冒頭にも出てきました。
アメリカでBlackとして生きることはどういうことなのか、考えさせられます。

ちなみにこの映画は武器を持っていなかった幼馴染が警察により射殺され、
無実の友人のために立ち上げる女子高生の物語をフィクションで描いたものです。
フィクションだけれど、残念ながら現実社会で起きていることです。
Prejudice: 偏見 と Institutional Power: 制度的権力 が組み合わされることによる怖さをリアルに突きつけられ、色んなシーンで涙が止まりませんでした。
どうしてもニュースで「黒人男性が死亡」という文字ではそれを読めてしまいますが、映像としてそのシーンを「自分の目で見る」ということは全く違うはずです。
ぜひ、今だからこそ多くの方に観てほしい映画です。

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こうして、黒人だけではなく、ヒスパニック、ネイティブアメリカン、アジア系なども、今もアメリカ社会に根付くSystemic Racism: 制度的人種差別のもと、特権階級が負うことのない傷を負ってきました。

制度的人種差別により命を脅かされるだけではなく、人としての尊厳、誇りさえも否定され得るのです。
そうでなければ、1960年代に展開されたブラック・パワー運動の中で Black is Beautiful(黒い肌は美しい)というスローガンは生まれなかったはずです。

先日、4歳の黒人の女の子が " I'm ugly."(私は醜い)という言葉を口にしたというこの動画も話題になりました。
この欧米中心主義的な世界で、美の基準さえも「白い肌と青い目」が良しとされる価値観が形成されていきました。
アジア人特有の一重ではなく「二重の方が良い」という価値観が存在する日本もその例外ではありません。

そもそも「人種」というのは科学的に存在せず、歴史の中で人為的に創られたものであり、世の中で「普通」とされる価値基準も、力を持った人がつくってきたに過ぎません。


このように「Prejudice: 偏見」と「Institutional Power: 制度的権力」が結びつくことで特権を持つ者だけに有利な社会が作られた結果、多くのマイノリティの命と尊厳が奪われていったのです。
これは、アメリカ社会に限ったことではなく、日本にも当てはまり、また人種だけの話ではないと思います。

ジェンダーやLGBTQの問題でも、まず構造的に誰が「特権」を持っているのかを考えることから始めるべきとの社会的な動きもなされています。
その上で「平等な社会の実現」とは何かを考えると、特権を持つマジョリティが自らの特権に気づき、立ち上がることで初めて実現するということではないでしょうか。

今回の件でいえば、白人特権社会とされるアメリカで、白人が自ら特権を行使して抗議デモ中に黒人を警官から守る、ということも実際に起きています。

This is the right way to use white privilege.
これが正しい白人特権の使い方だ。

とこのツイートの文章にも書いてあります。

差別問題を考えるときにどうしても「差別される側」に焦点が行きがちですが、実は「特権を持つマジョリティは誰か」と考えることが解決には必要不可欠なのです。

この考え方は大学時代に受講した心理学の授業で得ることのできた気づきで、私自身も日本社会において、日本人の両親を持つこと、そして異性愛者であるという自分の「マジョリティとしての特権性」について考えさせられました。

世界中から愛されるブラックカルチャー


話が若干飛躍してしまった気もしますが、
最後に、私がこの問題に特別関心を持ち続ける理由を書きたいと思います。

今まで黒人差別の歴史について列挙してきたので、もしかしたら黒人の方々が「差別されてかわいそう」な対象として映ってしまったかもしれません。
私がアメリカの人種問題に関心を持ち続ける理由には、もちろん正義感もあります。
だけれども、私はそれ以上に黒人の方々のスピリットに惹かれているのです。

アフリカ系アメリカ人は、奴隷制度をはじめとする苦難の歴史を持ちながらも、ジャズやゴスペル、R&B、ヒップホップなど世界中から愛されるブラック・カルチャーを築き上げてきました。
私は中高時代にアルトサックスを部活で吹いていたので、特別ジャズが大好きで、『天使にラブ・ソングを』の大ファンである私の母はゴスペルが大好きです。
皆さんの中でも、ブラック・カルチャーの恩恵を受けている人も多いはずです。

私が今年2月に訪れたニューオーリンズのコンゴスクエアと呼ばれる場所で石碑にこんなことが書いてありました。

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"Slaves gathered at Congo Square on Sundays and sang, danced, and drummed in authentic West African style. This rich legacy of African style is the foundation of New Orlean's musical traditions."
「奴隷たちが日曜日にコンゴスクエアに集まって、歌い踊り、ドラムを叩く西アフリカのスタイルで築き上げた豊かな遺産は、ニューオーリンズの伝統音楽の基盤となった」

当時奴隷とされた人々の過酷な生活を支えたのが、音楽であり、それが「ゴスペル」の起源であると言われているのです。実はそのゴスペルの独特な特徴に、彼らのルーツであるアフリカの音楽の影響が色濃く残っているのです。

そしてジャズもまた、ニューオーリンズなどのアメリカ南部の都市を舞台に、アフリカの人々やその子孫が、アメリカに根付いたヨーロッパの文化を取り入れながら形成していった音楽だと言われています。

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写真:ジャズの発祥地・ニューオーリンズのLoius Amstrong Parkにて

ジャズやゴスペルを聞いていると、その歌詞の中や曲調にとんでもなく強いパワーが込められていて、辛い時にいつも元気をもらえます。
彼らが400年もの苦難の歴史に闘い続けたその「スピリット」が、作り出されたカルチャーの節々に生きているからこそ、とてつもなく大きなエネルギーをもらえるのだと思います。

最後に私が大好きな映画『ヘア・スプレー』の歌 I Know Where I've beenの歌詞でこの記事を締めたいと思います。

There’s a light in the darkness
Though the night is black as my skin
There’s the light burning bright
Showing me the way
But I know where I’ve been

暗闇に一筋の光がある
夜は私の肌と同じように黒いけれど
道を示す輝く光がある
だけど私は自分がたどってきた道を分かっている

There’s a cry in the distance
It’s a voice that comes from deep within
There’s a cry asking why
I pray the answer’s up ahead, yeah
‘Cause I know where I’ve been

遠くから叫びが聞こえる
心の奥深くからの声が
何故かと苦しむ叫びが
私はまだ見ぬ答えが明日にあると祈っている
なぜなら私は自分がたどってきた道を分かっているから

中略

There’s a dream in the future
There’s a struggle that we have yet to win
Use the pride in our hearts
To lift up tomorrow
‘Cause just to sit still would be a sin

未来に夢がある
まだ勝ち取っていない闘いがある
私たちの心の中にある誇りを用いよう
より良い明日に向かうために
ただ座っていることはまた罪となるから

この映画『ヘア・スプレー』の舞台は、1960年代の人種隔離政策下のアメリカです。
60年後の2020年の今、国民はまた同じ苦しみを味わい続けており、#BlackLivesMatterと叫び、立ち上がらなければいけない状況に置かれています。

この問題を他国の問題だと割り切るのか、それか「無関係ではない」とこの問題から学び「自分たちの社会でも日々苦しんでいる人がいるのかもしれない」と考えるのか。

それは私たち一人一人の意識と行動に託されているのかもしれません。

より良い社会にしていくための、誰かの行動のきっかけに本記事が少しでもなれたのなら、それ以上に嬉しいことはないです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

Enough is enough. I stand up against injustice. 

Rino Yoshida 

*2020/08/02追記

卒業論文で「アフリカ系アメリカ人のルーツ回帰運動」について執筆しました。アメリカの人種差別の歴史の中で、彼らがどう自らのアイデンティティやルーツと向かい合ってきたのか、当事者の声をもとに書いたので、興味があればこちらからアクセスして見てください。

これについて後日詳しくまたnoteに記事を書こうと思います :)

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