言葉の言い換え考え中
「言葉」は人を励ましたり、傷つけたり
いろんなところで言われてきたような言葉ですけど、ほんとうにそうだなぁと思います
言葉に敏感になったのはいつからだろう、中学生のころからかな
Kis-My-Ft2の「タナゴコロ」という歌に出会いました
歌詞が大好きで、自分の指針のようなものになった曲です
誰かを傷つけたり 笑顔を奪うために
僕らはこの手を授かっているんじゃない、
いつか描いた未来を・・・
私は歌詞(言葉)から学びを得ました、そして支えになりました
それは当時、言葉が(扱い方によって)とても怖いことを感じていたから
今、わたしはいろいろな言葉に引っ掛かりを覚えるようになりました
私は考えすぎだとよく言われます、
こんな小さなことに目くじらを立てるなと言われるかもしれませんが
このnoteで、現在(2020年9月)時点の思考整理をさせていただきます
1.「教育」
別に教育が嫌いというわけではないです
むしろ学びは楽しいですし、今も学びつづけています
自分にとって中高での学びの時間が自分を作ってきた部分が大きいので
教育の可能性を日々感じているし、信じたいと思っています
教育現場の負担を減らすべきだと思いながらも、教育に頼りすぎていた自分に気づいたこともありました
これからは教育の在り方について、理解を深めたいと考えています
まぁとにかく私は教育と深くかかわってきたわけです
今年の夏、合同会社なんかしたいの30時間なんかしたいというYouTubeLiveでお話されていたSmall Farmers Collegeの岩崎吉隆さんのお言葉、
教育が価値観の強要にならないように、中立的に
教育は「教える」でよいのだろうか?
教育方法や教育理論の変遷について勉強していないのであまり大口はたたけませんが、
アクティブラーニングやら、PBL、ICT、ESDとか(カタカナばっかり)
今の義務教育・高等教育現場は教師、生徒ともに大変だと思います
私はディスカッションが好きだった高校生なので、
正解がない問に先生も一緒に入ってほしいとか思ってます(それは極端)
教える、教えられるといった受動的だけが学びではないことが伝わる学校、
そしてその考えも尊重されるあたたかい世界になったらいいなとおもいます
2.ゴミ問題
高2のときにプラスチック問題を授業で学び、興味を持ちました
そのなかでも、人々が環境問題に取り組む行動の変容というところが一番の興味にあります
数ある社会問題からどうしてプラスチックに特に興味を持ったのかは、自分の価値観に理由があることも分かりました。
それはこの夏向き合ったので、またnoteにまとめ中です
ごみ問題って聞くとごみが多いんだな~、減らさないとって大変なイメージ
でも違うってことがだんだんわかってきました
確かにごみは多い、減らすべきだ、
だけど、そこにニュアンスを含めたい
ごみが多いことだけが問題なんじゃなくて、
無駄にごみを出してしまっていることに焦点を当てたい
減らさないとってするよりきっと簡単
無駄を減らす
おい自分、もったいない精神 まだ残ってるだろ
3.地域
地域を地域と呼ぶ理由ってなんなんでしょう
何か共通点あるんですかね、固定観念みたいなものがあるのかも
地域と都市の違いは、なんかその数値的なものじゃなく感覚的になにでわけるんでしょう
そもそも地域で分ける意味ってなんなんでしょう
地域でまとめすぎず、一つ一つの”地域”の個性を見ようと思います
4.ジブンゴト
他人事
その反対こそ”自分ごと”
その発想をすると、善と悪みたいな対立構造に見えてしまいなんかモヤモヤ
ジブンゴトに状態定義したいなと思いました
自分はけっこう感受性豊かとか、涙もろいということを自覚しています
だから、感情を共有することが自分にとってのジブンゴトかも?
と仮設定してみました
でも、もちろん他の人にとっては違うだろうから、
押し付けにならないように気を付けないと
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