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青年は何故、殺人犯となったのか/映画「NITRAM/ニトラム」感想レビュー

2021年公開
「ニトラム/NITRAM」

1996年4月28日
オーストラリアのタスマニア島の観光地・ポートアーサーで実際に起きた無差別銃乱射事件。
死者35人・負傷者23人を出した犯人は地元の青年。動機は不明だった。

如何にして彼が犯行に至ったのかを、静かに見つめる実録ドラマです。

<STORY>
オーストラリアのタスマニア島にある小さな町。両親と3人で暮らす青年ニトラム(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)は、幼少期から花火で遊ぶことが好きで、大人になってもやめられずにいた。どこか幼さが残る彼は周囲と上手く馴染めず、孤立する日々。ある日、海で出会ったサーファーに憧れ、サーフボードを買って欲しいと母に懇願するが断られてしまう。サーフボードを買うべく、庭の芝刈りで金を稼ごうと色んな家へ訪問するが、門前払いされてしまう。そんなある日、訪れた家の女主である資産家・ヘレン(エッシー・デイヴィス)と出逢い、芝刈りや犬の散歩等で賃金を貰うようになる。ニトラムとヘレンは意気投合し、ニトラムは唯一の理解者を見つけ心躍るが、とある出来事をきっかけに彼の心は壊れていってしまう……

メガホンを取ったのは、オーストラリア出身の監督ジャスティン・カーゼル。(監督作「アサシン・クリード」「マクベス」他)

母国オーストラリアを舞台にした作品が多く、実録に基づいた題材を扱い社会的メッセージを訴えかける監督です。

主演にはハリウッドで注目を集めている
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ。(代表作「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」「DOGMANドッグマン」他)

ミュージシャンでもあり、独特の妖艶な雰囲気で多ジャンルの作品へ溶け込む俳優。
"NITRAM(ニトラム)"の今にも壊れてしまいそうな危うい脆さを繊細に演じていました。

実力派の製作陣とキャストが揃った本作は、事件の犯人であるマーティン・ブライアントの人物像と、彼を取り巻く環境に焦点を当てて描かれています。

彼は何故無差別に殺戮を行ったのか。
一体、何が目的だったのか。

逮捕後、何度も事情聴取が行われましたが、
未だに動機は明らかになっていません。

謎に包まれた犯行動機に迫るこの作品、
如何にして"ニトラム"が犯罪者になったのか、
3つの大きな要因とともに解説していきます。

"普通"になれない孤独な青年"ニトラム"

映画のタイトルでもあり、劇中にマーティンが呼ばれていた"NITRAM(ニトラム)"という名前は、MARTINを逆から読んだものになります。
英語圏でNITRAMの"NIT"は「ばか者」「間抜け」などの批判的な意味を持つスラング。
つまり、マーティン・ブライアントは周りからのけ者扱いされた名前で呼ばれており、彼自身もこの呼び名に対して静かな怒りを感じていました。

そんな彼は、大人になっても子どものように花火で遊び近所から怒声をあげられたり、良かれと思って小学生に花火を渡して遊ばせているところを酷く叱られたりします。
周りと毛色の違う彼に対して、周囲は必要以上に厳しく、冷たく当たりました。

彼は、自分が周囲の人間と違うことにしっかりと気づいていました。劇中では、彼が言動や考え方が"普通"ではないと自覚をしながらも、感情のコントロールが出来ず、社会に馴染めず孤立し、小さなフラストレーションが溜まっている様子が映されています。

また、とあるきっかけで自殺をしてしまった父親について母親と対話するシーンではこのようなセリフがあります。

「皆、絶望的な気持ちで毎日過ごしているんだ。パパはなぜ…。命を断つなら僕だった。
皆に無視されてる"うすのろ"だもん。
ママも僕を"ニトラム"と呼ぶ連中と一緒さ。」

※母親のセリフ、一部セリフ中略

自分自身を"うすのろ"と言い、母親に対しても自分を馬鹿にする人々と同じ存在だと呟きます。

それに対して母親は
「それは違う。あなたの母親だもの。」
と否定しますが、その後に彼が溢した本音に対して「あなたの言っていることが分からない」と言います。

「時々、僕は自分を見て分からなくなる。誰を見ているのか…何ていうか、そいつに届かない。皆と同じになるようそいつを変えたいけど方法が分からない。だから結局僕は、ここにこうしてるしかない。」

彼が吐露した本音の中には、自分自身じゃどうしようもできないやるせなさと、彼なりのSOSが含まれていました。

母親は生き地獄にいる彼を救いたいけれど、理解が出来ず、またさらに彼を孤立させてしまう言葉を溢してしまいます。

彼は孤立した世界で、自分自身を変えたいともがいていました。しかし、孤独や寂しさ、満たされない心は、人間を極端な選択へと追いやってしまいます。

マーティン・ブライアントの逮捕後、自宅からは、合計2,000本にも及ぶバイオレンスとポルノに関するビデオが押収されました。
また、彼が起こした事件の約6週間前には、スコットランドの小学校で16人の児童と講師1人が犠牲となった銃乱射事件の犯人がテレビで大々的に報道されていました。

これらはマーティン・ブライアントに犯罪を誘発する影響力があったものなのではないかと囁かれています。しかし、上記の要素が影響していたとして、その影響を受ける心理的状態になるまでの経緯が重要なのではないかと、今作では訴えかけているのです。

子育ての難しさと責任の行先

今作の冒頭は、マーティン・ブライアントが12歳の頃に花火で火事を起こし、自らも火傷を負った際に出演したテレビのインタビュー映像から始まります。

1979年 12歳のマーティン・ブライアント

インタビュアーより「もう花火では遊ばない?」と聞かれたマーティン・ブライアントは「遊ぶよ」と回答。
「懲りていないの?」の問いには、
「懲りたけど、また遊ぶよ」と全く懲りていない様子。

インタビュー映像から、大人になった彼が懲りずに、花火で遊び続けるシーンへと移り変わります。
近所から花火の騒音に関して怒声が飛んできていても全く気にせずに楽しんでいるのです。

そんな息子の姿を見て、呆れた様子でただ「夕飯よ」と花火で遊ぶことを咎めずに見過ごす母親。

このシーンだけで、マーティン・ブライアントは風変わりな人間であり、その母親は彼に対して諦めた姿勢を取っていることが分かります。

母親役ジュディ・デイヴィス

逮捕後、マーティン・ブライアントは鑑定を受け、医師から様々な結果を告げられています。
「知的障害」「発達障害」「精神疾患」

医師によって鑑定結果は異なったそうですが、
彼が何かしらの障害や疾患を抱えていたことは間違いありません。
90年代半ばのオーストラリア、特に小さな州であるタスマニア島では、今と比べて知的障害者や精神疾患者への理解やサポートが広がっていなかったようです。

そんな中、マーティン・ブライアント自身、そして彼を育てる両親たちは十分な支援も受けられずに、"普通"に属せない居場所なき存在として孤立していました。

また、父親は息子に対して優しい存在でしたが、何でも手助けをしてしまい、まずいことは黙認するイネイブラーだったそうで、劇中でも息子を常に陰から補助する様子が映されています。

そんな父親を見兼ねた母親は、息子のためにも嫌われ役を買って、マーティンに対して厳しく接したのでしょう。しかし、冒頭のインタビュー映像から劇中の事件前に至るまで、母親の「立派に育って欲しい」という想いは虚しく、"大人になっても花火で遊び続ける自立できない息子"と終わらない子育ての中に閉じ込められています。

母親が息子に向ける視線はどこか冷めており、
発する言葉は鋭く、その言葉で息子は更に萎縮し、家に対して居心地の悪さを感じていきます。

愛を注ぎたいけれども、その愛が息子を更にダメにしてしまうかもしれない。
母親がしっかりしなければ、という親としての責任感。

果たして、病気や障害は親の責任なのでしょうか。

現代でも病気や障害を持つ親子に対して、全員が十分な支援を受けられない世の中ですが、当時のハンディキャップを持つ人たちは更に「自分たちでどうにかしなければいけない」という厳しく重い責任を強いられる環境にありました。

今作では、どこにも頼ることが出来ない、
思うように息子が育ってくれない母親の葛藤と、
両親からの愛情を十分に感じられずに寂しさを募らせる息子の孤立が大きなテーマとして描かれています。

両親が子どもに与える影響がどれほど大きいのか

当時の孤立した環境の中で生きねばならない世界の冷たさを知らしめると共に、全ての責任は親に課すべきものなのかを我々に問いかけます。

事件をきっかけに強化された銃規制とその後

「ポートアーサー事件」と呼ばれるこの悲劇は、当時のオーストラリアないし全世界を震撼させ、銃規制の必要性を知らしめる出来事でした。

というのも、マーティン・ブライアントは事前審査や使用許可等を得ず、ミリタリー用のライフル銃を手に入れていたことが大きく問題視されたのです。
当時のオーストラリアでは、民間人がゴルフクラブや釣り竿を買うように、いとも簡単に凶器を買うことができました。

この事件をきっかけに、オーストラリア全土で銃規制が強化され、国民が保有する銃を政府が強制的に買取し、のべ64万丁もの銃が回収されました。
一時的に全国の銃保持率は下がったものの、現在では規制前よりも銃保持率が増えているといいます。

オーストラリアでは銃を購入する際、自己防衛等を含まない正当な所持理由の申請及び身元登録等、厳重な登録審査を行わない限り、銃の保持は違法となっています。(しかし、中折式の小銃等は制限なしで購入可能だそう。)

しかし、オーストラリア政府の調査では、26万丁をも超える正当な手続きを掻い潜った不正な銃が、民間人の中で保持されていると分かっています。(2017年時)

結局、規制の強化は一時的なものに過ぎず、
オーストラリア全土で施行された規制とはいえども、規制の強度は州によってまばらだったそうです。

この事件は、現代でも各国の銃規制を巡る事例として度々議論され、アメリカ及び銃の所持が認められている国の銃規制の手本となる一例でもあります。
しかし、規制が行われても、一定期間の有効度と州任せとなっている規制強度の不均一さ、不法所持率の増加等の問題があります。

「NITRAM/ニトラム」はそんな問題点を、悍ましい事件の風化を防ぐとともに、銃社会における規制強化に対して、今一度全世界へ訴えかける重要な作品でした。

民間人の青年が、簡単に銃を手にすることが出来る環境こそが、悲劇の最大の要因とも言えるのです。

まとめ

上記、大きく3つに分けて、犯人マーティン・ブライアントが無差別の殺戮を行った経緯を映画から推測し、まとめてみました。
作品にする上で、ジャスティン・カーゼル監督ら製作陣も約10年の構想と、事実に基づいた調査を行なったとのことで、恐らく"シリアルキラー"が誕生した背景はこのようなものだったのではないかと思います。

ただ、前述の通り、
マーティン・ブライアントの動機は不明であり、予想される要因とは全く関係のないものかもしれません。

しかし、この事件の背景に隠されている問題点は、社会は弱者に厳しく、脅威を生み出しているのは己自身だと気が付いていないことです。

この作品を観て、私たち社会が一人ひとりのアイデンティティを尊重し、認め合うことができる優しさの意識改革をしなければいけないと、強く諭されているように感じました。

また、この映画が製作される上で、テーマが実際の事件であり、まだ服役中であるマーティン・ブライアントの人物像に迫るものなだけあって、政治家を含む沢山の人から反対運動が起こされたそうです。

ジャスティン・カーゼル監督は、ヘイトを起こす人々へなるべく丁寧に説得を行い、無事に融資してくれる会社を数社だけ見つけて製作・公開に辿り着きました。


被害者遺族の意見等を含め、とてもデリケートなテーマにはなりますが、今作が世間に出て反響が出たことで、社会から外れてしまった居場所のない存在や厳しい環境、蔓延る銃社会の脅威を今一度見つめ直すきっかけとなる作品です。

作品の中はとても静かで、どこか寂しい光が漂う雰囲気が広がっています。まるで、"ニトラム"の孤独を映すかのように……。

観るまでに少し時間が経ってしまいましたが、
今作を観てまた一つ違う視野で社会を見つめ直す意識を得られました。

人間って弱いものいじめをしたくなる、とても愚かな存在だけれど、傷つけて良い権利なんてないし、傷つけられる必要もないんですから。

"ニトラム"にもヘレンというただ1人だけ、信頼できる理解者がいました。世界に一人ぼっちだと感じていた彼もヘレンと出会い、笑顔が増えていたことが唯一の救いだったのかもしれません。
ヘレンのように救いの手を差し伸べる存在であれるよう、優しさと認め合いの精神を忘れずに、また明日から過ごしていきたいです。

主演のケイレブ・ランドリー・ジョーンズの「DOGMAN」も気になっているので、また観たら感想を残そうと思います。


ではでは










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