僕はなにも選べない

 自分が何を考えてるなんて自分でもわからない。僕は僕がどこに向かいたいかをウンウン唸りながら考えるけど、全然きまらなくて10年が経つ。時の流れに淘汰されて選択肢も絞られたよなぁと思うが、選択肢はむしろ増えてて未だに何も選べない。
 なにかを選ぶことはなにかを選ばないことだ。
 選んだことによって失うのが嫌で、中途半端だから全部失う。そういう絶望的な夏が今年の夏だ。暑さの中で冷房の効いた家の中にこもり何も生み出せないでいる。しかし、そういう経験さえも素晴らしいとどこか肯定している部分もある。そう考えてやらないと、僕が生きている意味ってやつが消失してしまうから。
 小説を書かなくなってだいぶたつ。夢を語らなくなってだいぶたつ。ウニみたいに全方向に針を伸ばしてどこかに刺さるのを待つスタイルで色々試しているふりをしてるけど、実際のところ自分がある程度できることしか挑戦しない。
 狭い世界の中で、自分はできるんだと自己肯定を繰り返さないと、すぐになにかが崩壊して生きていけなくなる。だから外の世界はとても怖い。失敗し恥をかき自分の無能を認めるのが怖い。
 そんなこと全然怖くないとそういうフリをしている。なんでもできる、可能性にあふれているポーズをしている。だが、本当のところ心底怖がっている。
 何を僕はそんなに恐れているんだってくらいに、逃げ出している。選ぶことを放棄し、勇気の必要のない場所へいく。安全で予測可能で全くリスクがない平和な場所で僕はだんだんと力を失い死んでいく。


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