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⑧霧の晴れた航海

「みなさん、こんばんは! 人生という大海原で迷子になったあなたを導く光でともすラジオ”ライトハウス”へようこそ! メインパーソナリティのカノンです」

 ボクはいつもの自己紹介を終えると、ラジオブースの外に目を向けた。
 プロデューサー席でホクトさんがいつものように居眠りをしている。
 その隣でミナミさんがしっかりとした表情でラジオを見守っている。
 だけど、いつもと違う。ボクには分かる。ミナミさんは平然な顔をしているけど、心は泣いている。
 ラジオ放送直前にお気に入りのホストに女性と思われていて本当の性別を知られてフラれてしまった。ミナミさんも毎回性別が原因でフラれる機会が多いので、自分のことを心から受け入れてくれる人以外に明かさない。
 今回も相手の本心を知ってからカミングアウトするつもりが心の準備が出来ていないのに告白することになってしまった。
 ミナミさんは「何回目の失恋しました!」と冗談のように言っていたが、本当はとても辛かっただろうに。ラジオの放送中に心のモヤモヤを出さないようにと必死に我慢していた。

 ミナミさん、心配しないでください。今日も船(ラジオ)を無事に航海(ほうそう)させます。ボクは副船長(ディレクター)に船(ラジオ)の無事の航海(ほうそう)を誓って進行させた。

「このラジオでは大海原で迷子になった船を導く灯台がテーマです。
なので、リスナーさんのことを船長さんと呼ばせてもらいます。
メールを投稿するときは○○船長と書いてください。あと、メールはリスナーさんの進路に対する内容などを取り上げさせて頂きます。そのため、メールをこのラジオでは海図と設定します」

 ボクはライトハウスでの基本ルールを説明し終えると、早速リスナーさんからのメール紹介のコーナーに入ることにした。

「では、今日の船長さんから届いた海図を紹介します。みなさん、たくさんの海図をありがとうございます。
では、早速読ませて頂きます。
カノンさん、こんばんわ! こんばんわ! 本音が言いたい船長です。本音が言いたい船長、はじめまして。
本音が言いたいということは何か我慢しているのでしょうか?。
今日はどんなお悩みなのでしょうか。ぼくは……」

***

「なに、話って?」

「お母さん、あのね……」

 言わなくちゃ。言うって決めたじゃないか! ぼくは自分自身を奮い立たせるように心で呟いた。

「お母さん、調子悪いからもう寝るね」

「あぁ、ごめん。おやすみ」

 しびれを切らした母は二階の自室へと向かって行った。
 ぼくは母の背中を黙って見つめることしか出来なかった。
 母が調子が悪いのは分かっている。今、母は更年期障害で苦しんでいる。ホルモンバランスの乱れから自律神経が狂ってしまい、眠れなかったり、イライラが止まらなくて苦しんでいます。

 ぼくは男だから母の苦しみは分からないけど、優しい母の苦しそうな表情を見る度に辛いのかなと感じています。

 でも、ぼくも人のことは言えない。ぼくは2つの病気を抱えています。
 1つは心房細動(しんぼうさいどう)という心臓の働きに異常で生じる不整脈の一種です。心臓が痙攣(けいれん)を起こして上手く働かないことで脳梗塞に繋がる可能性がある病気です。
 もう一つは大人の発達障害。仕事のミスが続く、人間関係が上手くいかないなど大人になってから環境に馴染めず悩む心の病気です。

 心房細動は昨年会社の健康診断で発覚して、早めの手術をしたことによって大事には至らなかったです。術後は経過観察中ということになって、ぼくは一安心でした。

 体の問題が解決したと思った時、ぼくは部署異動することになって新しい職場へ派遣されました。そこで、ぼくは新しい職場の上司と上手くコミュニケーションを取れず、仕事も上手く出来なくなった。
 業務後に上司から仕事の研修をやってもらうも、ぼくは身につかず仕事でのミスが増えていきました。
 ついに派遣先から「キミはいらない」とクビを宣告されます。
 ぼくは、今後何をして良いのか、仕事とどう向き合って良いのか、何も考えられなくなりました。

 そんな時、妹から「お兄ちゃん、大人の発達障害かもしれない」と言われた。ぼくはショックだった。だけど、それが原因で仕事で上手くいかないのかどうか知りたかった。
 藁をも掴む気持ちで、ぼくは精神科を訪れた。先生から「あなたは鬱病うつびょうですね。会社に連絡して休職しましょう」と宣告された。

 ぼくは体と心の2つを病んでいた。ぼくは先生に休職のための診断書を書いてもらった。その際にデイケアという治療プログラムへの参加を勧められます。先生から「治すにはご家族の協力が必要なので、次回ご両親を連れてきてください。デイケアについて説明しますので」と言われた。

 お母さんに鬱病になったから休職してデイケアに通うことになったから、一緒に説明を聞いて欲しい。それを言いたかった。

***

「……でも、更年期で苦しんでいるお母さんにこれ以上心配させたくないです。鬱病のことはお母さんに言わないでデイケアに行くか、正直に話すか迷っています。カノンさん、ぼくはどうしたらいいですか? アドバイスをください。よろしくお願い致します。
本音が言いたい船長、ありがとうございました」

 このリスナーさんは自分よりもご家族を優先してしまう優しい人だ。
 でも、人のことばかりに気が向いて自分がどうしたいのか、どうするべきか見失っている。
 このリスナーさんには、こう伝えよう。
 ボクはリスナーさんの伝えることを決めてマイクへと乗せた。

「本音が言いたい船長。あなたは本当に優しい方ですね。ご自身よりもお母さんのことを心配されるなんて中々出来ません。
 でも、それでは本音が言いたい船長が潰れちゃいます。言いにくいことかもしれませんが、そういうことを含めて言い合えるのが家族だと思います」

 ボクはリスナーさんに自分の想いを伝えたあの人のエピソードを伝えようと思った。
 だけど、その人のことを考えると、古傷に塩を塗ることになる。
 ダメだ。別のエピソードにしようと思った瞬間、プロデューサー席の近くにいたミナミさんが目に入った。
 カノンちゃん、言いなさい! ミナミさんがそう目で訴えている。
 ボクにはそう見えた。ありがとう、ミナミさん。

「最近、ボクの知り合いで好きな人に想いを伝えた人がいます。
 その人は断られる怖さがあるけど気持ちを伝えないで後悔したくないと告白しました。残念ながら、断られてしまいました。
でも、その方は後悔していません。
本音が言いたい船長も、お母さんに正直に本音を言ってください。きっとお母さんは、あなたの本音を受け入れてくれますよ」

***

「カノンちゃん」

 ラジオ放送終えて、ほっと一息ついていたボクの前にミナミさんがやって来た。

「ミナミさん、お疲れ様です」

「いいラジオだったわよ」

「ミナミさん、ごめんさい」

「え?」

 ボクはミナミさんが告白してフラれたエピソードを話したことを謝罪した。
 しかも、つい数時間前のことでミナミさんもまだ傷が癒えてないのに。リスナーさんのためとはいえ、間違った判断だったかもしれない。

「ミナミさんのことをラジオで言ってしまいました」

「いいのよ。カノンちゃん、わたしのサインに気づいて話したんでしょ」

「はい」

「それに、わたしがフラれた話でリスナーさんが救われたら安いものよ!」

 ミナミさんは、いつものように笑いながらお咎めなしということにしてくれた。だけど、笑顔の裏で泣いている。ボクにはそう見えた。
 そんなミナミさんをホクトさんが咄嗟に現れて抱きしめた。

「ホ、ホクト!?」

「我慢するな」

「え?」

 ホクトさんはそれ以上何も言わずにミナミさんに胸を貸してあげた。
 自分よりも背の低いホクトさんの胸の中でミナミさんは声を出して泣いた。好きな人にフラれて悲しくない人間なんていない。
 しかも、それが世間から偏見の目が向けられやすい恋なら尚更だ。

「悪い、カノン。スタジオはアタシが閉めておくから、みんなに先に帰るように言っておいて」

「はい」

 副船長(ディレクター)の心を傷つける悲しみが無くなるまで、側にいてあげる船長(プロデューサー)の優しさにボクの心はキュンとした。
ホクトさんってずるい。普段、だらしないのに。決めるときは決めるんだから。
 カッコいいホクトさんにミナミさんを任せてボクはラジオスタジオを後にする。

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