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エニアグラムタイプ別質問に答えてみた

「そのタイプにしか答えられない質問がある」という話を聞いたので、タイプ9の私が本当にそうなのか試してみます!

自分のタイプであるタイプ9と、よく言われがち(PDBやアンケートに投票されがち)なタイプであるタイプ4とタイプ5の質問に答えていきます。



タイプ9(自分のタイプ)

1.タイプ9は、愛する人の関心ごとに自分を同一化してしまうといわれています。あなたの人生で他人との境界線(距離)とはどのような意味がありますか。

相手との精神的な距離は親密度かな…?好きな相手とは近くにいたいし、苦手な人からは遠ざかりたいみたいな。私の精神に近い存在を私の空間の中に入れる。逆に「苦手!」という反応が出ると、意識を遠い場所に逸らして別の世界にいるような感覚になる。
「愛する人の関心ごとに自分を同一化する」というより、順番が逆で「自分を同一化できる相手ならそれだけ大切だということだ」が感覚としては近い。私は人に対して何らかの気持ちが生じている事にあまり気付かない。その代わり、なんか距離が近くなっていた人のことばかり意識しちゃった時に「この人のこと好きなのかも」ってふと思う。私がその人のことを愛しているのかどうかはよく分からないけど、側に置きたいと思う人はいる。


2.タイプ9は、自分の興味や欲求がよくわからないといわれています。そのことについて話してください。また、欲求がわからないのに何かを一度やり始めると、今度はずっと続けてやめられなくなるともいわれています。これについてはどうですか。

「好き」「やってみたい」というポジティブな動機が原動力になることがほとんどなくて(人につられて何か始めることはあるけれど自分からはない)、自分から何かを原動力にして行動を始める時は大体、嫌な気持ちを忘れるために何かに没頭するということが多い。気持ちを鎮めるための執着であり、趣味とは違う。「好きだから続けられるもの」じゃなくて「やめるとイライラしてしまうもの」。
今の生活に満足できているかは微妙な感じ。今の状態を変えたくない気持ちは強いけど、好きだから続けたいわけじゃなくて、変えるのがストレスだから変えたくない。不快感が生じた時に、不快感を打ち消すという動機で動いている。
いつか何かやり遂げたい気持ちはあるんだけど、どれも実際に取り掛かろうとするとダルさが出てくる。だからといって今のままで大丈夫だという覚悟ができている訳でもない。不満をず〜っと引きずってるような感覚。


3.あなたの人生で、怒りはどのように現れてきますか。怒るとどうなりますか。また対立を避けたい欲求があるといわれます。それについて話してください。

怒りを感じるとお腹の辺りが熱くなったり内臓がグニャグニャ動いたり変な感じがする。全身の心地が悪く、早くその状態を脱したい。物凄い量のエネルギーが一気に込み上げて来るのだけど、収まるのが早い。小さな怒りの時は、怒りを取り消し何も感じていないフリをしている。怒りを抑え込んでいると、意識が遠のいて体の力が抜けてくる。
対立を避けたい欲求があるというより、いざ対立しそうになった途端に「そこまで言うほどじゃないかも」と気分が変わって怒りが収まっちゃう。あと人が突っかかって来た時に、体はそこにいるのだけど心の中で「やめて…!」と距離を置いてバリアを張っている感覚がある。心の中で距離を置きながら「私がここにいる事なんて忘れて、私がいないかのように振る舞って……!」と願い続けている。対立を持ちかけられるとものすごくイライラして、とにかく相手を落ち着かせるか諦めて離れていくように誘導する。


4.タイプ9は穏やかで焦らず、「明日やれることは明日やろう」と無理をしないといわれます。それについてどう思いますか。また周りで無理をしている人を見るとどう感じますか。

興味が湧いたら今すぐやりたくなるけど、その事に関して意識した瞬間に少しでもダルさを感じるようなら「後にしよう」と先送りにしがち。「ダルっ」→「今はやめとこ」と即後回しにする。「明日やろう」と明確な時期を決めている訳じゃなくて、「今はやらない」。いつやるのかは決めない。
無理をしている人を見ると体調や精神状態が心配になったり、「巻き込んで来ないでよ…?」と距離を取ろうとする。言い方が悪いけど、自分に負担をかけて苦しむのは自業自得だと思う。やる必要のない事を義務だと主張する人は苦手。自分にできる以上の事をしようとしたり、その人本人ができる以上の事を期待するのがストレスやトラブルの最大の原因になると考えている。私は無理をする事で苦しみたくないから「無理しないように」を心がけている。(実際できているかどうかはさておき……。)実際には私自身も実力以上の事ができると信じてしまってできない事を引き受けて苦しむ事がある。無理をするのは健康に悪いし、人にストレスを与えるし、良くない事だらけだと思う。心身に負担をかけないのが一番。


5.タイプ9は平穏な毎日を好み、人や外部の刺激がないとなかなか動けないといわれていますが、そのことについて話してください。

他人から刺激を “受ける” のはモチベーションになるけど、刺激 “される” のはストレスになる。圧力をかけられたりするのは嫌。精神的に余裕がある時は頑張っている人を見るだけでやる気が出てくるし、周りを見ても動く気になれない時は疲れてるから話しかけられもせず放っておかれたい。外部の刺激が原動力になるのだけど、その時には自分から動きたいという気持ちが生じるから「自分から動いた」と思ってる時が多い。でも刺激がない所でやる気が出ない自分を自覚して、そうした時に「外部の刺激が原動力になってたんだな〜」と初めて気付く。
あと平穏な毎日を好んでいる自覚はないな〜。平穏すぎると刺激が足りなくて退屈になっちゃう。だけどいざ日常に変化を起こそうと行動してみると物凄く疲れちゃうから、やっぱり平穏であることが好きなのかな〜という感じ。


6.タイプ9は嫌なことがあってもゆっくりと寝て、おいしいものを食べれば「まあいいか」と忘れていくといわれます。これについて話してください。

これに関してはあまり心当たりがない。ストレスが体調に影響するから、嫌なことがあったら寝れなくなるし、食欲も無くなる。
一人で何か食べる予定を立てていると「この後で食べたいものが食べられるなら今ちょっとしたストレスがあってもくらい気にしなくていっか〜」にはなる。(←今後の楽しみな予定によって嫌な気持ちを紛らわす所はタイプ9というよりタイプ7っぽさがある。)だけど食べる事が日課の一つとして決まっている場合だと、ストレスを感じている間は他人の決めた予定通りに行動することで更にストレスがかかるから食欲がなくなる。
寝れば大丈夫というのは、ストレスがかかりすぎて何も考えられなくなるくらいの状態じゃないと「とりあえず寝よう」とはならない。まず、今やっている事から離れて寝る方向に行動を切り替えるのがキツイ!!睡眠に支配されるか!!となる(怒💢)


7.タイプ9は、素早く迷わう決定を下すことをしないといわれています。これについて話してください。誰かから、何かを決めてくださいといわれたとき、あなたの心の中では何が起きていますか。

あるものを選んだ時に感じる気持ちと別のものを選んだ時に感じる気持ちには変わりがない。どちらも平坦な気持ち。「これが欲しい!」とか「これは嫌だ!」みたいな強い気持ちが滅多に出てこなくて、「どっちを選んでも欲しくも嫌でもない」というものが多い。大差ない。あと、好きでもないのに好きだとか、嫌いでもないのに嫌いだとか嘘をつきたくない。だから「何でもいい」としか返せない。どれか選んでと言われても、「選択肢に大差がないのでどれを選んでも変わりがない」が私の答え。

それでも何か決める必要があるのなら「それを選ぶことで周りの人はどう感じるか」という所に着目する。だから「他の人達はどうなの?」ということを知りたくなる。みんなの意見を確認して、大丈夫なものを選びたい。選んでからネガティブな反応をされるのは嫌だから。「えー、それ!?」とか言われたくないから周りのことを確認しながら決めたい。


8.どのような環境(学校生活、または職場環境)が最も心地良いですか?

自分が落ち着いて考えられるために十分な時間と静けさが確保された環境。私は急かされたり驚かされたりすると混乱するし気持ちも不安定になってしまうから、気持ちを揺さぶる刺激がない環境を好む。急に行動しなければいけない予定が入るのもかなりしんどい。切羽詰まった空気感がなければ大体の環境でうまくやっていけるかも。
あとは求められていることが自分の能力に見合っているということは重要。苦しい思いをして出した成果を期待値とされるとキツイな〜。苦しかったのに当たり前であるかのような受け取り方をされて「この調子で次も頑張って」と頼まれたらキツすぎる……。心の安定感を保てる範囲内での仕事が求められる環境が良い。


9.あなたとうまくやっていくために、私たちはどうしたら良いでしょうか?あなたをサポートするために周りの人は何ができますか?

私は何か決意するまでに時間がかかるし、要点を絞って素早く進めていくのが苦手。話が長い時に要点を聞かれても上手く省略して説明できないし、答えに辿り着くために長いプロセスを必要とする。私が回りくどいことをしている時は、人を困らせたいからじゃなくて自分が困っているから。私の意見を尊重したいのなら、何も刺激を与えずに私の考えがまとまるまで静かに待つ時間が必要。精神的に疲れた時にはどんな善意での援助もストレスに感じてしまうから、声をかけたりサポートなどは何もせずに放っておいてほしい。それくらいかな。
私は考えをまとめるのに長い時間を必要としていて、その時に「まだ?」とか「早くして」と言われるとストレスで落ち着きが無くなってしまい、考えられなくなってしまう。考えている間に次から次へと話を進められるのも苦手。聞くことに気を取られると考えがまとまらない。私が黙っている間は私から何らかの刺激を引き出そうとしないでほしいし、一方的に進めないでほしい。積極的な関わり合いや長い話し合いはどれだけ大切な相手でも疲弊してしまう。私から自力で行動を起こすまで放っておいてくれると、大切にしてもらえていると感じる。



タイプ4

1.羨望とは何ですか?具体的な例を挙げて話してください。

自分に持っていないものを持っている他の人を見ると、その人の持っているものが自分も欲しくなる気持ち。
私は高校生の頃にインターネットで生まれつき綺麗な髪の色をした人を見て「私もこんな髪色して生まれてきたかったなぁ……」と思った。違いに出くわしたことで自分は劣っていて相手は恵まれているかのように思えてきた。こういうのが “羨望” の例だと思う。あまりにも羨ましすぎて、その色に染める方法に関して長い間調べていた。その髪色が素敵だと思った途端に自分の地毛の色が好きじゃなくなって、どうにかして私がそんな髪色して生まれてきた事実を抹消したいほどの気持ちになった。

あと、他の人達の関わりを見て「私もあんな感じに優しくされたいな〜」と思うのもそうかも。
子供の頃に親は私を叱る時によく他所の家庭の子供と比較していたから「私が他所の子供だったら優しくされたのかな?」と思ったりしていた。それからこれは昔ずっと思っていた事なんだけど、有名人は存在するだけで人々の力になれる人達だと思っていたから有名人になりたいと思っていた時期がある。身の回りの人達が誰にどんな感情を向けているかという所をよく見ていたから、身の回りの人達が私よりも誰かを大切に思っていたらそのポジションを得たくなる。この気持ちが「羨望」だと考えている。
大切にされる人達はそれなりの理由があると思うんだけど、私はその過程をすっ飛ばして愛される人達は存在するだけで愛されているかのように思えてきてしまう。そう思いたいのは自分の愛されていない所(他人にはあるのに自分には欠けている部分)に気付きたくないからかもね。自分の内面を何も変えずに自分を取り巻く環境だけ他の人のものと一緒になりたいと思うことがある。その時の「いいなぁ…」という気持ちが羨望だと思っている。


2.タイプ4は喪失体験を噛み締めていると言われています。これについて話をしてください。

喪失感はよく感じる。今意識しているものから離れる時に、今まで意識していたものを喪失してしまう感覚がある。そうした時に「自分の内部にあった何かが抜け落ち、空虚になる」という感覚に陥る。これは「喪失体験」かも…?
そうした時に寂しさを感じ、そこを埋めるために失ったものを取り戻そうとする。この場にはもう無いけれど心の中では存在し続けるといったことを信じることによって、何かを失ってしまったという現実を否定する。前進することへの抵抗。もうここにはないものを忘れ、無いものとして扱うことに対してものすごく辛くなる。

喪失する存在から目を離せないことがある。「何かが失われる」という場面に入り込んでしまい、失われたものがどうなかったのかが気にかかる。例えば映画で登場人物が持っている物を無意識に手放すというシーンがあった時に、私は「その手放したものはどこに行ってしまうのだろう」とすごく気になる。
消えたものの存在ばかりに意識が向く傾向があるから、「寂しい」という気持ちは日頃から頻繁に感じる。何かを失いながら誰もそれに気付かずに見過ごされることへの寂しさを胸にしまっている所がある。


3.タイプ4は自分の手に入らないものに憧れ、過去のかつてあったもの、これから来るもの、今現在自分にないものに思いを巡らせると言われていますが、これについて具体的な例を挙げて話してください。

皆から慕われている人に憧れる。それは自分はあまり人から関心を持たれていないと感じるから。たくさんの人達と関わっている人を見て「楽しそう」とか、人から大切にされることが「いいなぁ」と感じる。
子供だったら年齢を理由に許される事がたくさんあるから自由が欲しくて子供時代に戻りたくなる。でも私が子供の頃は逆に親や校則に縛られない自由を求めて早く大人になりたいと願っていた。今現在に対して「縛られている」「好きなことをする時間が足りない」と感じやすくて、そうした時に「どんな存在になれば求めているものが手に入るのか」に思いを巡らせる。
これから来るものは、何でも「自分を生まれ変わらせてくれる運命の出来事になるかも!」と期待しちゃう。どこかで自分は生まれ変わって幸せになれるという夢を抱きがちだから未来は素敵に見える。特に人間関係に関して、新しい人と出会うと「今までにないほど嬉しいことが起きるかも!」と浮かれがち。でも実際には今まで通りで、その度に物足りなさを感じてしまう。


4.あなたが誰かをあちらに押しやってしまって、その人が遠のき始めたらどうしますか?どう感じて次にあなたは何をしますか?

ものすごく後悔する。自分の軽率な行いがその人とのこの先の人間関係にも響いたなら、取り返しのつかないことをしてしまったと反省する。人に冷たくしてしまったことが「関係を悪くする起因」として記憶に刻まれるから、それ以降は二度と人が離れて行かないように、同じような過ちを繰り返さないようにする。

(他の人の意見を聞いて気付いたんだけど、これって「相手を不快にさせる」という文脈を含んでいる…?誤解してたかも。私は距離の近い/遠いとその後距離感をどうするかで見ていた。)


5.タイプ4は今の仕事は現在の生活を維持するためにあり、本当に好きな仕事、やりたかった事は他にあると言われています。これについて話してください。

好きな事をやっている間は人生を満喫している気分になるけど、それ以外の時間は他人から何かやらされている感じというか、ロボットみたいに操作されているように感じてしまう。無機質な感じというか、無味乾燥で退屈な時間というか。
好きだと思えないと心が乗ってこない。そうした時に「こういうのが良かったな〜」というのが思い浮かぶ。だけどそれは仕事と言うより漠然とした夢で、実現させる程でもない。だから仕事は仕事として割り切る。割り切っているのだけどやりたくない事をアイデンティティの一部にしたくない。現実よりも「こんな人生に憧れている人」という理想の方を私のアイデンティティとして認識されたいな〜という気持ちは出てくる。特に気に入りもしない事を仕事にしていたら、それを私の一部であるかのように扱われたくなくて、「本当はそんな事したくないんだけどね……」と本音を説明したくなっちゃう。


6.心が動かされるような強烈な体験または普通の人には分からない実はとても美しいことなどに心惹かれると言われています。これについて話してください。
このことはタイプ4は自分の価値を確かめようとしていると言われていますが、それについてはどうでしょうか?

変性意識状態に入りたい気持ちはあるし、変性意識とまでは行かなくても実際そういう「通常とは異なる意識状態」を経験した時にその時の感覚を内面に留めたくてしばらく “内側に籠もっている”。「怖い!」と感じた時に、怖さを抑え込んで何が私を怖がらせるのか見ようとする。痛めつけられる、心の底からえぐられるような経験に直面することによって今まで見えなかったものを明らかにしていくことが好きなのかも。普通の人なら精神的なダメージを受けるのを恐れて躊躇うような事に好奇心を持って立ち向かうのが好き。そうする事でほとんどの人がしないような人生を送っていると感じる。
「美しさ」に関しては、まともな考えを持っていれば美しい人生は送れないと思っている所がある。精神的に成長する過程で「他者からは自分の行いがどう見られるか」を意識するようになるのだけど、そうすることで私が心から求めている “詩的な美しさのある人生” は消えてしまうと感じる。物事を美しく捉える人は限りなく主観的であることを分かっているから、社会適応のためにそれを手放さなければいけない現実がつらい。
「自分に価値があると確かめたい」というより、自分自身の人生を自分自身の観点を通して見られないのが、「誰かに人生を奪われている」と感じて嫌。主観的であるのは「まさしく自分自身の人生を歩んでいる」と感じたいから。


7.刺激も変化もない平穏な毎日が続く生活環境にずっといなければならないことになったらあなたはどう思いますか?話してください。

退屈に感じる。何のために生きてるんだろう……って思えてくる。熱中できることが無い人生ってつまらないから早く抜け出したくなる。
そういう生活は避けたいけど、そんな生活を避けたすぎて避けまくってると思う(笑)。日常がつまんないな〜と感じたら空想してるし、身の回りのものから新しいことを始めるネタを探すのは得意な方かも。子供の時も、遊びに行けない時は家で遊びに行く空想してたし。外がダメなら心の中で満たそう!的な考えは子供の時から持ってる。
外に刺激も変化もないなら自分から生み出してやる!ってなる。



タイプ5

1.タイプ5は感情を自分から切り離していると言われます。それについて話してください。

感情を感じた時に「なんか嫌だな」って感じて、気持ちを深掘りするのを避けるようにしている。今この瞬間にリアルタイムで感じている感情と環境とがリンクしてしまうことが恐ろしい。外にある何かが私の内面に影響を与えて、私が反応することによって外にも通じるというのが怖いから必死に隠そうとする。自分がどのように影響を受けているのかを見透かされるのって無防備で怖い。だから環境と自分との間に壁を作ることでその瞬間の自分を知られないように守ろうとしている所がある。
なんかさ〜、前もって用意していなかった感情がいきなりヒョイって出てきちゃったら心が追いつかなくてビビっちゃう。


2.あなたの人生で感情はどのようなものですか?

感情が及ぼす影響による。
感情が良い影響をもたらすものなら自分の一部を構成する要素であり、大切なもの。「この感情を感じることで精神的に落ち着く……」という感情は、自分と切って離せないもの。何かに引き込まれていている時、あるものにより引き起こされた感情はその物事と私を繋げるので必要なもの。何かに夢中になっている時のフロー状態のような心地良さや、それから離れることへの不満は、私が私であるために必要だと思う。何かする時に喜びを感じ、何かする時に抵抗が生じるというのは、そういう感情があるからこそ自分自身が成り立っているのだと思う。だから私が何か感じている時には「そう感じている私自身」という状態を受け止められる環境に想いを馳せているのかも。みんながやっている時に躊躇いを感じたらその躊躇いこそが私自身を形成するみたいな感じで。馴染みたいんだけど馴染めなさがあるからこそ私の感じる様々な後ろ向きな感情と関連づけられるみたいな。
私の心が「悪い影響をもたらす」と決めた感情なら感じる必要はないと思う。感情があることで誰かが嫌な思いをしたり自分が苦しくなるのなら、そういう感情はない方が幸せだと思う。「苦しみ」という感情を感じるのを避けたくて「幸せ」を感じていたい。そうでありながらも、苦しみが私自身を形成するストーリーの一部になるのならその苦しみは重要である。ただ、私自身の形成のされ方として望まない感情が表出してしまい、それにより私自身の人格がありたい姿とは別物になってしまうような時にはそんな感情を私のものとして認めたくない。優しくありたいと決めたら怒りなんて私には必要ないみたいなこと。

うん、タイプ5っぽくないね〜
自分語りだからね☺️


3.タイプ5の人々は、人と親密な関係を持つことがなかなか難しいと言われますが、それについてどう思いますか?
このことがあなたの人間関係にどんな影響を与えていますか?

人に馴れ馴れしくするのが苦手だという自覚はある。これは私が馴れ馴れしくしすぎる人だからこそ、馴れ馴れしさを過度に抑圧していて、人との関わりにおいて自分の持つ馴れ馴れしさが誘発されそうになった時に「これ以上行ったらまずい」と感じてその反動で過度によそよそしい対応になる。これは相手が嫌いだからとか人付き合いをしたくないという訳じゃなくて、人と関わりを持つのはしたい方なんだけど、私が人と関わったらまずいことになると自制している所がある。私が素を出したら人が離れて行きそうとか嫌われそうだという恐怖があるから、人とは付かず離れずの距離感を保ちたい。親密な関係になるために踏み込むより、今ある穏やかな関係を崩したくないほうが大きい。

私は親密な関係を夢見る方なんだけど、それが現実になる事なんて望んでいない。なぜならその夢は「私の何もかもを受け入れて私の理想通りに振る舞ってくれる相手が欲しい」という自分主体のものであり、それを実現させるのは自分勝手な要求で他人を振り回すことになることを知っているから、夢のままであり続けたい。私が夢見ていることが現実では受け入れられないからといって、考えを変えるまではしたくない。そういうのを夢見るのが自分の精神世界だとして受け入れ、現実はそれとは別に誰とも親密にならない人生を歩むことでトラブルのない平穏な人生を送りたい。だから、そんな自分主体の精神を持った私に恋人はいらない。深い対人関係を拒むことで無害な人であることを維持する。私は自分が自由でありたいがために誰にも縛られたくない。


4.ある人がひどく感情的になっている状況に居合わせることになったら、あなたは何を考えますか?そして何をしますか?

正直「やめてほしい」と思っちゃう。つられて爆発してしまうのが怖いからその人からは意識を背けようとする。だけどやっぱり「その人は大丈夫かな…?」って事が気にかかるから完全にスルーはできない。ずっと「私が何かした方が良いかな?どうしよう?スルーしちゃダメかな?」って迷ってると思う。なんかソワソワする。ソワソワしすぎて気持ちを落ち着けることに必死で、傍から見たら突っ立ってるだけとかになりそう。
本当にこういう状況苦手。私自身に話しかけているにしても、「伝えたい事があるなら落ち着いてから来て。本当に重要な事なら冷静な時の方がきちんと考えられるだろうから。落ち着いた時にどうでも良くなっているのならその感情は自分の中で整理してよ」って言いたくなる。ていうか耐え切れなくて怒ったらそういう主張する。激しい感情をコミュニケーションだと思ってる人はまるで私をサンドバッグにしているかのようで「こちらは人間だからされて嫌な事とかあるのに……」とモヤモヤしてしまうし、接していて疲れるから関わらないで欲しい。


5.人と境界を設ける事は、あなたにとって大切ですか?

内容による。
一つの物事に対しても人によって受け取り方は違うのだから「私にとってはこう、この人にとってはこう」と区切った方が良い。人を傷つけたり関係を悪化させることに繋がるから、他の人を見下して「この人よりはマシ」という自己肯定感の保ち方は良くないと思っている。人と比べるのではなくて「自分なりにどうか」という自分軸を持ったほうが良いと思う。また、「世の中ではこれが絶対だ」「〇〇ができていないとダメ」なんて考えを持ってしまったら劣等感を感じる人が増えてしまうから、個々に長所と短所が存在することを受け入れ、長所を取り柄として伸ばし短所を補う助け合いの精神が必要だと思う。
私は元々境界線を設けるのが苦手で、境界線を設ける考えは私の中に元々あったものではなくて学んで得たものだから「大切にしているかどうか?」と聞かれると難しい。「大切にしたい事」であって「大切にしている事」ではない気がする。私は元々他の人と自分を一緒にして考えたり人と比べる思考回路をしていて、未だにその癖は続いているから「大切」とは言い切れない気がする。


6.あなたにとって、最も心地よい、あるいは満足できる環境とはどんなものでしょうか。 (家庭において、職場において) 

タイプ9の質問8で書いた。


7.タイプ5は、ある意味では話しやすいと言われます。これについてどう考えますか?

「タイプ5は」じゃなくて完全に「私は」の話になるんだけど、私は人に対して独自の解釈で偏見を持ったり面と向かってキツい事を言うことが少ないから、その点において話しやすさはあると思う。私は人の話を聞いて大きなリアクションを出すことがほぼ無いし、言いたいことがまとまるまで静かに待っているから、人は私の前では落ち着いて話せるという所はありそう。


8.タイプ5の囚われは、『出し惜しみ・けち臭さ』などと言われますが、それについて話してください。

完全に自己感覚なんだけど、「失ったら困るものを他人から奪われないように守り抜く」ということだと解釈している。何か与えた所で、見返りが返ってくるとは期待していない。自分が見返りに与えられる何かを持っている訳ではないのにも関わらず他人には見返りを求めるなんて良くないと思っているから、人に分け与えず、その代わり私から何も奪うな(返せるものなんて何もないから)と思っている。人に分け与えることと自分のものが奪われることは同じだと思っている。他人に自分を差し出すことへの抵抗。他人に合わせてしまえば誰も自分を見る人がいなくなってしまうから、自分の面倒を見られるのは自分しかいないと心のどこかで思っている所がある。私自身は要求が高いことを自覚していて、他人が自分のニーズを満たしてくれる訳がないと思っているし、ニーズに反したお節介をされても正直嫌だしそれを我慢しながら築く関わりが面倒だから「自分のニーズは自分で満たす」というスタイルで生きている。

自分の必要とするものを取らないでほしい(そのために関わりを避ける)ということが、タイプ5の『強欲』…?
他人を「自分の必要なものを奪う存在」と見なしていて、「与えるだけ損」であり、人とあらゆるリソースの共有が難しくなるのが「出し惜しみ」かな…?

一応自認はタイプ5じゃなくてタイプ9。
タイプ5的な「情報の出し惜しみ」は私にはあまりないな〜。対人恐怖であまり親しくない人に自己開示をするのが苦手な所はあるけど、知識を武器だと思っている所は私にはなくて、知識はどんどん広まってみんなの役に立ってほしいと思っている。その辺りがタイプ5とは違うんだろうな〜。


9.あなたとうまくやっていくために私たちはどうしたらよいでしょうか?

タイプ9の質問9で書いた。


10.ガッツセンターは、体が自分自身であると感じている。ハートセンターは心が軸なので自分が感じたことが自分自身であると感じている。ヘッドセンターは頭が軸なので、頭で考えたことが自分自身である。いう感覚をそれぞれ持っていると言われています。
それについて(頭の考え=自分自身と言う感覚について)話してください。

空想していたら周りの事とかに意識が向かなくなる。あとは人と話している時には話の内容を頭の中で整理しているから、物理的な所に意識が向かなくなって視線の焦点が合わないまま話している事が多い。頭の中に焦点を置いている間は周りの環境の変化にも鈍くなる。感情を認識したり表現することにも意識が向かなくなるから単調なトーンで話すことになるとかはある。

(ねぇ……。自認ガッツセンターなんだけど全然身体に意識向いてないかも……。)


11.タイプ5は、興味がない無駄な飲み会には行かない、と聞きますがそれは本当ですか?逆に自分が行きたい飲み会(人が集まる会)というのはどういう会でしょうか?

飲み会はまだそんな年齢じゃないから行ったことがないけど、行事に参加する時の動機は「社会参加」ではなく「興味」なのは確か。何かの行事に参加するかどうか聞かれたら大体は「参加したい」と言うのだけど、集団で顔を合わせることの重要性を理解しているからという訳ではなく、単に「気になるから行ってみたい」という興味本位なんだよな〜。「何か面白いこと起きないかな!?」というワクワク感が動機。
今後飲み会があるとすれば「大人なんだから自分の都合を優先させるのは良くないよな……」と建前として思っている一方で、心の中では(自分に何の利益ももたらさないのなら)「ここで過ごしている時間が無駄!!」と苛立ちを感じたり「この退屈な時間がさっさと終わりますように🙏」と願ってしまうかも。社会参加に意義を見出せるほど成熟するのが一番だと思うのだけどね……。

自分が行きたい飲み会か〜。
まず悪口陰口を言い合う会は苦手だなー。仲間割れをしているのを見るのが苦痛で、何より自分が仲間割れを構成する一員に加わらないといけないのがキツい。
みんな仲が良い雰囲気で、自分の心身にも負担がかからない会だったら行きたいな〜と思う。精神的な繋がりは大切。(9だな〜)


12.小学校、中学、高校など、学生の時の自分はどのような子供だったのでしょうか?

小学生の頃は今では考えられないほど積極的だったな〜。人前で緊張することなんてまず無くて、喜んで人前に出るような子供だった。目立ちたがりで、自分が注目の的になりたくて、良くも悪くも人からの注目を集めていた。本当に今の性格からしてみて同一人物なのかと思うほど、活気に溢れていて自分のやりたい事を見つけては進んであれこれやる性格だった。エニアグラムで言う所の、タイプ3やタイプ7っぽかった。

中学生の時はめちゃくちゃハマってるゲームがあって、いつでもそのゲームに関しての事ばかり考えていたな〜。そればかりが印象に残っている。色んな人にそのゲームを布教したり、ゲーセンにいる知らない人に話しかけてカード交換したりしていた。
今じゃ絶対やらないような事していたwww

高校生はどうだろう…?記憶が曖昧。全体的に幼少期の記憶は印象くらいしか覚えてないんだけどね。
入学し初めの頃は「みんなと仲良くなりたい」という気持ちが強くて、クラスの色んな人に話しかけてた。本当になんであんなに積極的だったか自分でも疑問。一人でいる人達に私が声をかけて仲良しのグループが出来て、その人達とLINEのグループチャットで会話したりお菓子を分け合って食べたのが高校時代一番楽しかった思い出。
その人達と高2のクラス替えで離れ離れになってしまってから、新しいクラスに馴染めなくて不登校気味になったな〜。その時の私は思い出すのが苦しいほど精神的に不安定だった。周りの人に色々迷惑をかけたとも思っていて、とても人には話せない内容ばかりだな……。その精神不安定な時に自己探究系の色々なことにハマって、MBTIやエニアグラムもその時に知ったという感じ。


13.タイプ5は、ストレス状態になるとタイプ7に行くと言われていますが、それについて話してください。

14.タイプ5の成長の方向はタイプ8だと言われます。それについて話してください。

タイプ5じゃないので省略。



参考

こちらの動画で紹介されています↓




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